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異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

歴史をちゃんと理解するための経済学 3 幕末通貨交換比率問題

桜のつぼみがふくらんできました!
いよいよ花見シーズン到来です。
だけど、せっかくの風流さを求める古来の遊びなのに、あの「ブルーシート」の群れだけは許せませんよね~? (#゚Д゚)ゴルァ!!

幕末通貨問題を一区切りつけようというのが今回です。ホントは目一杯書くつもりでしたが…
では、行ってみましょー


日米和親条約後、安政三(1856)年にアメリカ合衆国の初代総領事としてタウンゼント・ハリスが下田に着任した。あまりにも日米修好通商条約(1858年締結)の内容が日本側からすると、関税自主権がない・治外法権を認めるなどの不平等条約であるために、今の教育ではハリスに対して相当うがった見方をされているように思う。

しかし、真相はそんな短絡的なものだろうか?次の「ハリス」(坂田精一著)の文を見てほしい。

 外国との紛争は出来るだけさけて、おんびんな回避策、すなわちぶらかし政策を採ろうというのが、当時の幕府の腹であった。
 そこで、ハリスを怒らせず、しかも下田に釘づけにしておくつもりで、幕府はハリスに「邪教(※ここではキリスト教のこと)」伝染これなきよう相心得」させた上で下田駐箚(ちゅうさつ)の正式許可をあたえたのであるが、しかし中央との直接交渉はあくまでも避けて、要求事項については出先機関である下田奉行をして応接にあたらせることにした。一時のがれの空返事で責任のある回答をさけさせ、あくまでも遷延策をとって、ハリスが手を虚しく帰国するようになることを期待したのである。
 ハリスは奉行たちの不正直と不誠実をなじって、「日本の役人は地上における最大の嘘つき」であると罵った。



 つまり、アメリカの武力は恐ろしいことが分かって、開国は嫌々ながらしたものの、日本の一部に外国人が上陸して物品補給の権利を認めただけで、それ以上のことは先送りにして、中央政府との直接交渉に関しても「空返事」でごまかしたのである。

他国の正式な使節に対して、このような役人の責任回避の態度は赴任している使節にどのように映るであろうか。少なくともまともな国際感覚からすると当時の日本の対応の方がよほど不誠実であろう。この例を考えると、これまで通貨レートの問題がなかったということは、オランダは出島での交易に際して江戸幕府にへりくだった態度で接してくれていた、ということも間接的に理解できる。

なお、ハリスは一般の日本人のことをかなり高く評価していて、下田の住民の勤勉な姿を目にすることで、「喜望峰以東の最も優れた人民」であると言っているのである。また、「世界のあらゆる国で貧乏につきものになっている不潔なところが、少しも見られない」ということに起因しているというのだ。このことはいずれまた詳しく述べる機会があると思うので今回はおいておく。

他国と比較しても公平に日本の事を観察しているこのハリスが、日本側に最も強く要望したことがある。それが「通貨交換レート」 だ。

ところで、話は逸れるが戦後の日本は1949年–1971年8月 の期間、日本はブレトン・ウッズ体制の下で1ドル=360円の固定相場の時代となっていた。今は秒単位で変化する変動為替相場制であり、2017年3月30日現在で1ドルは111円である。固定相場制時代における360円というのは、単位の「円」が360°ということからテキトーに決められたという説もあったくらいだ。…もちろんこれは単なる噂話である。

それはさておき、この通貨レート設定の問題は幕府の存亡に大きく関わることになったのである。

前任の、マシュー・ペリーとの間で定められたのは、アメリカ銀貨1ドル(当時は紙幣でなくメキシコやスペイン製のコインが国際貿易で用いられていた通貨)に対して、一分銀一枚という暫定的なものであった。

しかしハリスはこのレートに不信感を抱いていたのである。なぜなら、1ドル銀貨は26.73gで銀の含有量も90%ほどであるのに対し、日本の一分銀は2.3匁(8.62g)である。つまり、一分銀と1ドル銀貨は約3倍も重さが違うのに価値が対等であるのはおかしいという理屈である。だから1ドル=三分のレートに修正すべきだ というのである。

ここで、「なるほど、確かにハリスの主張は正当だ」と考えた人。しかし、それこそが幕府を滅亡へと追いやった大きな要因なのだ。
次のシュミレーションを見てどう思うだろうか?

まず、日本では前回書いた「両替商(※シリーズ2を参照)」によって、一両(金の小判)=一分銀四枚に交換されていたことを記憶しておく。つまり、金:銀=1:4 であること。

これに対し、ハリスが主張したのは分量で比較すべきだ、ということであった。
つまり、1ドル銀貨(26.73g):一分銀(8.62g)=3:1だから、1ドル:一分銀=3:1である。そして、前回書いたように、「価格革命」によって西欧では銀の価値が下落し、金:銀=1:16という大変低い割合まで銀の価値が落ちていた。しかし、日本では金:銀=1:4 という銀の価値が高止まりのままなのだ。

こうするとおかしなことになってくる。

1:アメリカ人は1ドルを4枚持ってきて、等価値の一分銀12枚と交換する。
                     ↓
2:小判(金)1枚は一分銀4枚であった(先ほど記憶しておくと言った内容)。
                     ↓
3:アメリカ人は交換した一分銀12枚を、小判(金)3枚に交換できるから遠慮なく交換する。
                     ↓
交換レート
幕末の通貨問題 より>
4:彼らがこの交換を繰り返すことで、日本から大量の金が他国へ流れ、溶かされて地金として売却される。結果、日本は深刻な金不足に陥る。
                     ↓
5:そして、一両の価値が3分の1に下落した日本では「ハイパーインフレ」が発生し、物価高となる。つまり、逆に銀が大量に入って
くるという日本版「価格革命」 が発生したということになる。
                     ↓
6:「俸禄米」という米で固定給与を得て、それを換金して生業を建てていた武士の生活がインフレに追い付けなくなり困窮する。
                     ↓
7:幕府の防衛を担う武家の没落が、この経済原理によって始まる。


それでも、やはりハリスの主張が正しいと思う人もいるかもしれない。
では、次の事実はどう考えるだろうか。

現在の日本のお金の原価は次の表で確認できる。

お金の原価2017
<引用:お金はいくらで作っている?
ここで1万円札を見てほしい。原価は「22.2」円である。つまり、原価の450倍の価値が1枚の紙幣にはある。

ここで、先ほどのハリスの主張をもう一度振り返ってみよう。
1ドルは一分銀より3倍重いのであるから、3倍の価値がある。だから、日本の一分銀と1ドルを等価交換するのはおかしいので、1ドルは一分銀3枚にしよう 、というもの。

いかにこのハリスの主張が通らないかがわかるだろう。実はこれは、「兌換券(だかんけん)」の問題なのだ。兌換券というのは、紙が金貨と同じ価値があるとは到底思われていなかった戦前、日本政府によって、一円紙幣を一円分に相当する「金」と交換できますよ、という意味の文言が印刷されていたものである。すなわち政府からの「信用」がある、ということが当然前提となってはじめて「紙」に価値が発生するのである。今は金の地金と交換を保証しない「不換券」である。誰しもが「22円の原価」しかない紙に1万円の価値があると認めている時代であり、そこにわざわざ信用を謳わなくとも良い時代だからである。

ちなみに、世界初の紙幣はチャイナの北宋の時代に、金融業者が作った手形「交子」である。交子はその利便性から需要が増えることになる。そして、北宋は遼や西夏といった北方の民族との軍事費に当てるための財源として交子を必要とするようになった。北宋の皇帝:神宗は1072年に発行額を倍に増やし、以後次第に乱発気味になって、徽宗(きそう)の統治時代である1106年には2600万緡(みん)と当初の20倍以上にも増大してしまった。こうなると経済原理が発動し、「ハイパーインフレ」となってしまい、市場での価格が上がって市場が混乱した。

交子
交子 より>


ここで話を元に戻そう。

江戸幕府には唯一の交易国であったオランダからも、こうした通貨交換レート情報は入って来ていただろうが、他国の使節に対して不誠実な対応を取り続けたばかりに、ハリスによって日本政府はこうした不当な交換レート要求を飲まされたと言っても過言ではないのではないか。敬虔なキリスト教徒であるはずのハリス自身もこの歪んだシステムを利用して、両替を重ねることで資材を増やした、という日記をつけている。幕府は一連の外国勢力が起こした脅威を抱くべき事件に対して何の備えもしてこなかった。フェートン号事件、清におけるアヘン戦争。日本の当時の軍備ではまさに「太刀打ち」が出来ないこともオランダからの情報によって入って来ていたのに、全てスルーしていたのである。そうした日本の防備観念の希薄さが招いた事態であろう。

…理解できただろうか?江戸幕府が滅亡した背景に、確かに世の中で語られている幕末志士達の英雄譚が大きいと思われていたかもしれないが、実はじわじわと江戸幕府の活力を蝕み、滅亡への布石を盤石にしていったのは、間違いなくこの通貨交換レート問題なのである。

しかし、幕末においてこうした事態をいち早く把握し、他の藩に先んじて日本の危機を把握して西洋の価値を正しく理解し、近代化を見事に成功させた偉大な人物がいる。

それが佐賀鍋島藩、鍋島直正

鍋島直正
※肥前の妖怪 鍋島直正 1 参照
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■ 歴史をちゃんと理解するための経済学 1

■ 歴史をちゃんと理解するための経済学 2 幕末通貨交換比率問題 

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歴史をちゃんと理解するための経済学 2 幕末通貨交換比率問題

パダワンらの受験終了後で、うっかり酷い風邪を引くのが毎年この頃。
すっかり、ブログのUPもやってなかったけど、今日よりぼちぼち再開です。

今日は、江戸幕府滅亡へのカウントダウンに関連した事象です!!


南米のボリビアで、インディオらによって1545年に銀が発見された。これがボリビア南部のアメリカ大陸最大のポトシ銀山という。この銀山はペルー副王領に属していた。この銀に目をつけて開発したのが侵略したスペイン人である。このペルー副王領産の銀はスペイン本国に送られる植民地産の貴金属(主に銀)の3分の2以上を占めるようになった。このボリビアからの銀の流入によって、ヨーロッパでは金と銀の比率が逆転。ついには銀の比率を99%にも高めたのである。大量の銀の流入はヨーロッパに1世紀以上にわたる物価の騰貴をもたらした。通貨量が増えるとインフレになるという経済原則通りである。これを「価格革命」という。

ただ、大量の銀が流入したので、ヨーロッパの銀価が下落するが、貨幣量の増加は商工業を盛んにするという側面もある、ということもここでは記憶しておこう。

さて、物と物との現物経済をシュミレートしてみる。

例えば、
Aさん:トマトが欲しい、キャベツは持っている。
Bさん:キャベツが欲しい、トマトは持っている。

これなら交換することが可能である。

Aさん:トマトは欲しいが、キャベツは持っている。
Bさん:トマトは持っているが、ホウレンソウが欲しい。

これでは交換が成り立たない

しかも生産物は腐るので、誰か交換相手が現れるまでずっと待つわけにはいかない。

ここに貨幣が導入されると、物の価値がそれぞれ設定されることによって、わざわざ欲しくない物と物とを交換しなくても、貨幣と交換することで楽に解決してしまう。つまりAさんはトマトの価値分の貨幣を持っていれば、Bさんとの交渉によってトマトを貨幣でゲット出来る。ここに取引が、片方ではあるにしても成立したことになる。そして、Bさんはそのゲットした貨幣で別の人からホウレンソウが買える可能性も生じるということにもなる。

このように一般人レベルにまで貨幣量が適度に増大することによって、商業の活性化につながることは容易に想像つくだろう。

しかし、あまりに貨幣量が急激に増えすぎると、通貨1枚の価値が下がってしまうことにもなる

例えば、南ドイツの銀を独占していた大富豪や南欧港市の商業資本の没落を決定的にし、貨幣地代で生活していた領主にも打撃を与えた。最も没落したのが、ドイツのフッガー家である。フッガー家はアウグスブルクを本拠地としたヨーロッパ最大の金融業者である。15世紀イタリアとの香料・羊毛取引で財をなし、15世紀末には南ドイツで銀山を独占経営した。更には16世紀初め、その莫大な富で皇帝や教皇にも強い影響力を持っていた、強大な一族だ。
しかし、16世紀後半に没落した。理由はあの「価格革命」である。新大陸からの大量の銀がヨーロッパに送られ、銀貨1枚の価値が低下し、あっという間にフッガー家は姿を消して行ったのである。

・・・日本の幕末の話なのに、さっきから一体何の話なのか?と思ったかもしれない。

それは、フッガー家という神聖ローマ帝国皇帝やキリスト教の教皇にも強い影響力を行使していた巨大な一族ですら、貨幣価値の暴落によって瞬く間に没落してしまう、という歴史的な事実が予習的に必要なエピソードだからだ。

通貨の量というのは、バランスを失うとこのように恐ろしい事態を招く、ということを知っておこう。

余談にはなるが、歴史上凄まじい「ハイパーインフレ」と呼ばれた第一次世界大戦後のドイツの話もしておく。一般に「ハイパーインフレ」とは、過度のインフレのことで、物価が短期間に数倍、数十倍に上がることを指す。しかし、戦後のドイツのインフレは最終的に物価が384億倍にまで達した。

ドイツ街中に捨てられた紙幣
この写真はゴミとなって路上に捨てられてる紙幣を掃除する、の図である。

ドイツハイパーインフレグラフ
敗戦したドイツ帝国内で短期間の内に急激なインフレが発生していることがわかるグラフである。

例えば、小学生が100均のボールペンを1本買おうと思っていても、3兆8400億支払わないとボールペンが買えないことになっていた、ということになる。

ドイツ札束で遊ぶ子供


この要因を「詳説 世界史」山川出版の教科書では次のように書いてある。
「国土が戦場になったフランスでは第一次世界大戦後も、ドイツの強国化を恐れた。そのためフランスは、ドイツに課された賠償金不払いを厳しく要求し、支払い不履行を理由に1923年ルール占領を強行した。
これに対しドイツは、ルール占領には不服従運動で抵抗したため生産が低下し、激しいインフレーションが進んだ」


つまり、フランス人らが占領したルール地方での工業製品を造る工場がストップし、物が少なくなったが、ドイツ政府は通貨を発行し続けたことで通貨量が余りすぎる事態となった。逆に考えると、全ての品物が極度のレア物になってしまったということと同じことである。

通貨恐るべし…

国や巨大勢力ですら崩壊させかねないのがこの通貨コントロールなのである。

ちなみに、このルール占領されたドイツ人たちが、機械の前でフランス人への抵抗から意図的に物を作らなかった。つまり、サボっていたのである。この語源がフランス語で「サボタージュ sabotage」という。

さて、日本の幕末。これとは逆のどんどん海外に金が流出していった破壊的な出来事が発生した。

誰もが知っている1854年に締結された日米和親条約。これ以後に交易を始めるに際して、当然日本の通貨と西洋の通貨の交換比率が交渉されることになった。

そもそも江戸時代は、物によって代金を「金貨で払う」、「銀貨で払う」、「銅貨で払う」というように分かれていた。また、高額な取引の場合には、関東では「金」、関西では「銀」を使う独特の風習(これを「関東の金遣い、関西の銀遣い」という)もあった。また、金・銀・銅ではそれぞれ単位も呼び名も違っていて、交換する相場も頻繁に変わっていたので、買い物の時に一般人は計算が大変だったのである。そこで発達したのが、現在の銀行にあたる「両替商」だ。当時の有名な両替商には鴻池(こうのいけ)、三井、住友がある。三井・住友はそれぞれ現在の大手銀行グループへと発展していったので、知っている人もたくさんいるだろう。

中学校の歴史でこの「両替商」という言葉を学ぶが、銀行のような仕事をしていたとは教えてもらう。しかし、テストのためにこの単語を丸暗記するだけでは、中学生もよく分からないだろう。この商売が発達したのは関東では金、関西では銀などのように使っていたお金が違っていたので、国内でのそれぞれの交易の際に交換割合を決めておかないと商売が成り立たなかったからだよ、という解説が抜け落ちているからである。

この両替を他国との交易でレートを定めよう、という交渉が、安政三(1856)年に下田御用所において幕府側と交渉を行ったのが、あのタウンゼント・ハリス。

Townsend_Harris.jpg
<DATA>
■Townsend Harris
■1804年10月3日 - 1878年2月25日
■アメリカ合衆国の外交官。初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使。民主党員、敬虔な聖公会信徒で生涯独身・童貞を貫いた…らしい:(;゙゚'ω゚'):

この交換比率によって、日本は短期間で壊滅的な打撃を受けるのである。

当時の日本は世界最大の金・銀・銅の産出国であったのに…。

次回はハリスとの交渉の具体的な内容!

歴史をちゃんと理解するための経済学 1

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お母さんが預かったお年玉の行方 長崎といえば編

crossroadsブログをご覧の皆様
ごぶさたしております。
最近、長崎のことをまったく発信できず…
というか、自身の長崎活動が一切できずにモヤモヤしておりました。


長崎の魅力。

長崎を観光するなら。

長崎って…?



その答えとも言えるほどのものが

海!そして港!です。

わたくし、好きすぎて遂には長崎港にて船を運航する会社で船員として勤務しています。



海から見た景色が本当の港町の姿



とは、ブラ◯モリという番組でタモリさんがおっしゃった言葉ですが
本当にその通りだと思います。
海からの日の出や日没、長崎の夜景は本当にキレイで、初めて見た日は仕事中にも関わらず涙を浮かべたのを覚えています。



港町長崎の歩き方としては
こちらがオススメ↓


http://www.saruku.info/course/Y152.html


長崎を各ジャンルに分けてそれぞれのガイドが町を歩きながら案内してくれる「長崎さるく」港町編です。

いかがですか?
長崎の海。
ここで仕事ができるなんて、長崎好き冥利につきますね。



鎖国時代の長崎の港について↓


http://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_294.html


長崎の海では有名なフェートン号事件↓


http://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_286.html


離島の数が多い長崎では、アイランドリゾートやレジャーも豊富です。
本当は船に乗って頂きたいところですが、陸路でも行ける観光やジゲモンの休日に行くならやはりここですかね。


長崎温泉 やすらぎ伊王島↓


https://www.ikyu.com/00002017/?ikyh=p__s_accnm&ikCo=ik000407

と、わたくしなりに長崎の海と港の素晴らしさをお伝えしたつもりですが
これハッキリ言って初心者編です。

長崎マニア向けの
長崎の海と港編


今回の記事が好評だったら
書いてみようかな。


読む本が無くても、もはやクセなので
どれだけ朝早くから船に乗っていても
仕事が終わるとやっぱり浜の町のドトールの二階でアメリカンを飲んでしまう
湊(みなと)かなえ さんの本が大好きな
今月で32歳になった青年がいたら
それはわたしです。



今日の一曲

夢をあきらめないで 岡村孝子






管理人:Takao の ぶらぶら噺 | コメント:0 |

歴史をちゃんと理解するための経済学 1

旧年度末の超・煩雑な雑務も終了し、やっとブログ再開です。

今日は趣向を変えて、筆者の最初の大学である経済学部的観点から、N〇Kや大手新聞や財〇省が流布しまくっているデマの真相を明らかにしたいと思ってます。

ということで、以下の文章を読む前に次のサイトをまず見てください。

「リアルタイム財政赤字カウンター15」

どうでしたか?これは「リアルタイム財政赤字カウンター」と名がつくサイトで、衝撃的な日本政府の赤字が秒単位で増幅していっている恐怖のサイトです。昨年夏休みの事、筆者のパダワンの数名が、中学校の夏休みの課題で「税についての作文」というのがあり、学校の先生からこのサイトを見せられて、「日本の借金はこんなに恐ろしいことになっています。君たちが大人になったらもっと少子高齢化が進んで日本は財政破たんするよ」と脅されたというのです。

…コラコラです。

経済が全く理解できていない先生のデマによって、ウチの中学生らは暗い思いになったらしく、果てには「増税が必要だ」という財務省の策略に乗っかかって、「将来のために増税すべきだ」という趣旨の作文を書かされる始末。大変由々しき事態となっています。

国税庁のサイトから、昨年の「内閣総理大臣賞」を受賞した中学生の作文を引用してみましょう。

平成28年 中学生の内閣総理大臣賞

 「今から三年前、日本を襲った台風十八号。特別警報が初めて発表され、マスコミにも大きく取り上げられた一方で、六人の方が亡くなられるなど多くの被害に見舞われた。当時私の曽祖母は、京都府綾部市にある古屋集落に暮らしていた。鳴り響く轟音と、流れ込む大量の土砂や倒木。押し寄せる台風は、過疎化の進んだ小さな集落を飲み込み、曽祖母の家を容赦なく襲った。後の復旧作業で家は元に戻ったものの、曽祖母は都会への避難を余儀なくされた。
 ここ数年、大規模な台風や集中豪雨による被害が後を絶たない。地球温暖化やヒートアイランド現象が原因ともいわれている。そんな中、大阪府と京都府が「森林環境税」を四月から導入しているということを耳にした。府民税に加算されるこの税は、土石流発生時の倒木・流木対策にあてられるという。さらに、根本的な森林の荒廃を防ぎ、次世代に健全な森林を残すため、基盤づくりや人材育成にも使われる。それはまさに、古屋集落が経験したような大規模な土砂災害から、人々の暮らしを守る仕組みづくりといえるだろう。
 税金というと、社会保障や公共サービスに使われているイメージが強く、森林や環境のための税という考えには、驚きすら感じた。しかし、世界全体でみると地球環境を支える税は決して珍しくないという。例えば、フィンランドやオランダをはじめとするヨーロッパ諸国では、二酸化炭素などの排出量に応じて、家庭や企業から徴収する「炭素税」が一般的になっている。また、アイルランドではレジ袋の使用量を削減するために、「レジ袋税」が導入されている。日本でも、「森林環境税」は多くの都道府県で取り入れられており、環境保護を意識した税の仕組みづくりが進みつつあると感じた。
 世界各地で頻発する環境破壊と、危機感を増す地球温暖化。その影響や被害は極めて深刻であり、もはや見過ごすことはできない。こうした問題と向き合い、対策していくための手段の一つに税金があるのではないだろうか。一人の力で地球の未来を変えることはできない。だからこそ一人一人が、地球に生きる人間として「税金」という会費を納め、皆で地球を救う取り組みが求められているのではないだろうか。
 地球環境を支える税は、今すぐその成果が実感できるものではない。しかし、私たちが大人になった時、あるいはさらにその先の世代まで、人々の安心な暮らしと豊かな自然環境を守る財源となるだろう。地球の未来を支える上で、税金が大切な役割を担っているのだと心に留めておくことが、今の私にできる小さな一歩なのかもしれない。やがて大人になった時、税金を通して私たちの未来に貢献したいと思う。地球に生きる一人の住民として、胸を張ってその役割を果たしたいと思う。 」

「国税庁 税の学習コーナー」

他の作文も、誰から、とは言いませんが、すっかり「センノウ」されて書かされてる感満載の作文だらけですが、赤字の部分は次回検証しましょう。

と、ここでその話に移行する前に、大手新聞二誌の最近の記事も載せて置きます。

朝日新聞 国の借金

日経新聞 国の借金


これらの記事を見ましたが、いずれも「国の借金」となっていて、肝心の利益分である「資産」が示されていません。つまり、「借金」だけが載せられて日本の将来はヤヴァいと言っているのです。こんな不誠実は記事があってイイのでしょうか。ここであまり小難しい話は抜きにして、次の事実を見ておきましょう。

政府の連結バランスシート
国の財政諸表(財務省)より 嘉悦大学教授:高橋洋一先生試算

何と、300兆円もの「黒字」です。友達に10,000円借りているけど、別の友達に13,000円貸している、という状態を赤字でヤヴァい!と言いますか?
しかも日本は、EU加盟国から借りまくってドラクマ通貨を発行し続けて強引に借金を返そうとして破たんしたギリシアと違い、その借金のほとんどである約90%がドメスティック(国内)でのやり取りです。家庭内(ドメスティック)で子供がお母さんから1,000円借りたことを借金と言うでしょうか?これを加味すると、本当にこれが借金と言ってよいのかが曖昧になります。

と、決定的なことを言うと、人は必ず死ぬから、一般人が80歳辺りで家を買おうとしても銀行は貸してくれるはずはありませんが、国は死にません。だから、延々と国債を発行してもこの歴史的にも勤勉で豊かな日本はなかなか破たんすることはないし、経済的には円という通貨に世界一の信頼を置かれている国家なのです。

また、この「国の借金」という言葉も誤りです。正しくは「政府の借金」であり、全く異なるものです。むしろ、国民が政府に貸し付けている訳だから、国民の財産ということもできます。例えば、一般の人が銀行に預金することを、銀行側から見て「銀行の借金」と言いませんよね。これと原理はほぼ同じであることに気づきましょう。

そして、日本人が働いて稼いだお金の所在は他にも、「政府の内部 300兆円(いわゆる「埋蔵金」)や「企業の内部(内部留保) 過去最高313兆円」などもあり、実は世界一経済が豊かな国家であることが判明しています。しかも、現在のアベノミクスによる財政再建は、2016年2月に日本銀行が発動した初の「マイナス金利」政策によって終了しました(_´Д`)ノ~~オツカレシタ 

かんたんに言うと、どこかから「借金」すれば、普通は借りた相手に金利を付けて元の額以上で返しますよね?マイナス金利はこの逆です。つまり、普通はAはBから借金すると、Bへ元より多い額を支払います。この増えた分が金利ですね。しかし、逆に借りたAがBへ元より少なく支払うということです。例えば、友達に10,000円貸したら、「ゴメン、今こんだけしかないわww」で、9,000円で戻ってきて以後終了というようなものです。この例え話では10%のマイナス金利となったわけです(本物の政策は0.1%だけどね)。そして、副次的には財政再建を終わらせてしまうというメリットもあるのです。圧倒的に日銀が国債を保有している(20016年には650兆円くらい)ので、日銀があの財政赤字カウンターでバイオハザードのゾンビように増殖する国債を買ってやっているのに、本来政府が日銀に払うべき金利を逆に日銀から大量にもらえるのですよ。これは政府に代わって日銀が増大する国債の金利を「国民」に代わって払ってやっていることになります。したがって、ここでは詳しいことは難しくなるので言いませんが、デフレを増進してしまう消費税を増税するなどの愚策を止めて、緩やかなインフレ(おおよそ2%程度)が進行すれば、ほぼ自動的に(とは言い過ぎかもしれませんが)あの恐怖の「国の借金」もなくなっていくのです。だから、財政再建は終了となるのです。

もちろんマイナス金利だけではデフレ脱却ができないので、量的緩和をセットで実施されることで更なる効果が上がっていくというわけです。そもそも通貨を発行しているのが日本銀行なのですから、1000兆円を刷れば借金返済終了です。中3公民の「経済」で習いますよね?日本銀行は「発券銀行」であると。紙幣には「日本銀行券」とちゃんと書いてます。ちなみに硬貨は財務省造幣局が作るので「日本国」と刻印されてますね。

ここまで来ると、安倍首相がご自分の在職中に増税を行わない、と明言した意味が分かりますね。8%に増税してしまったばかりに国内の消費が落ち込み、税収も減少、はじめに掲げたアベノミクスにもブレーキがかかってしまいました。つまり、増税によって人々がお金をつかわないから税収も減り、供給量たる物が余ってしまったので物の値段が下がるというデフレ傾向が促進されてしまいました。これも公民で習った「需要供給曲線」ですぐにわかります。

・・・と、ここまで書いて気づいた人もいるでしょう。昨今の国会中継を見ていると、野党の方々が日本はこんなに借金大国なのに、社会保障のためにも増税して緊縮財政を行わないのはどうしてか?将来の子供たちに負の遺産を残すのか!アベノミクスはどうなっているんだ!!…と揶揄に近い追及されています(最近は北朝鮮からミサイル打ち込まれたことの方が確実に国会で審議すべき重要案件なのに、森友問題追求で忙しそうです。ま、これもニセ振込用紙などで追求してますが(笑)。さっき例を挙げた新聞社と記事を書かれたの専門の方々も同様です。

・・・・・・・・・大丈夫でしょうか?経済学ってご存知でしょうか?データや事実に基づいていますか?とにかく反政権という演繹法的立場からの記事ではないですか???

ボクは歴史学もやります。確かに文献調査も大切ですが、それよりデータを重視して科学的な合理性を追求する手法を採ります。
単に文献に書かれていることから、それらしい推測を行って「解釈」を加えるのは、色んな風に意味をとれる「ノストラダムスの大予言」をテキトーに解釈して流布することと同じです。だからボクはデータや経済的な証拠を元に、これまでと違った観点から、実はこのブログの記事を組み立てているというわけです。




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鉄砲を伝えたのはポルトガル人ではない!? 6(最終回)

ようやくこの鉄砲伝来シリーズも最終話を迎えます。長い道のりでした┏○)) オツカレシタ
激多忙の中、久々に論文を読みまくったなぁwww
最終回は、鉄砲伝来に関連した日本人の技術力のポテンシャルなどです。


種子島の鉄砲館の説明板に次のような記述がある。

新兵器の出現で、これまでの戦闘方式が一変したことを知った戦国武将達は、急いで鉄砲の調達に努め、国内の鉄砲鍛冶が急速に発達した。鉄砲が種子島に伝わってから僅か三十年、驚くべき速度で普及した。これは日本の伝統的な刀鍛冶の鉄鋼技術が極めて優れ鉄砲製作に生かされたからで、こんな例は外国にみることは出来ない。

最後の「こんな例は外国にみることは出来ない」とは、「完成品の」鉄砲の販売で大儲けを出来ると考えていたポルトガル人らは、まさか日本がこんなに早く鉄砲を作れるようになるとは予想もつかなかった、ということを意味する。

何と、日本人はいわゆる「鉄砲伝来」と伝わる、1543年の翌年である天文十三(1544)年に鉄砲の国産化に成功しているのだ。
鉄砲を作るには化学と物理の高度な融合が必要だ。製鉄技術とその加工技術。弾道の計算など、テクニカルな考慮やトライアル&エラーがあって初めて製品化が可能だからである。

ただ、ポルトガル人はさすがにこの時代に世界を制していた民族で、鉄砲に必要となるが日本に存在しない物質があることを見抜いていた。それが「硝酸カリウム」。

「硝酸カリウム」
硝酸カリウム構造式
無色の結晶。斜方晶系。化学式 KNO3 天然に硝石として,チリの砂漠地帯やアメリカ西部などの乾燥地帯に産出する。潮解性がなく,酸化性が高いことから,黒色火薬に用いられた。マッチ・釉(うわぐすり)・医薬,食肉の保存料など用途が広い。硝石。硝酸カリ。

(「三省堂 大辞林」による)

これがないと鉄砲は単なる「鉄棒」であり、これをポルトガル人は見抜いていたからこそ種子島時堯(ときたか)へ鉄砲を譲ったのではないか?今「譲ったのではないか」と言ったが、「鉄炮記」には「時堯、其の価の高くして及び難きを言わずして而(すなわ)ち蛮種の二鉄砲を求め」となっている。島の伝承では永楽銭二千疋を支払ったというのだ。一方で、「無料」で譲ったという説も存在する。今回はあえてこの後者の説を採って、仮説を立ててみると次のようになる。

軍事的にも当時の日本にとって革命的に有効なこの武器は完成品としての価値はもちろんのこと、ハードに当たる鉄砲は、ソフトに当たるこの「硝酸カリウム」=火薬がないと使い物にならない。だから、これも付帯的に必ず売れる見込みしかないので、ハードをお試し無料であげたのではないか?

例えば現代に即して言うとこういうことだ、電話会社が新作のスマートフォンを街中でほぼ無料で配っていたとする。そして、契約を交わした人は、スマホがあるだけでは全く意味がないので、それを使い倒すために電話もするし、様々なアプリをダウンロードする。また、このアプリが無料のままでは全ての機能が果たせないとなれば、使用者がこれに価値を見出して、更に便利に使おうとすればどんどん課金してアップグレードしていくだろう。こうしてお試しでスマホを配っていた電話会社が後にアプリの普及と通話料で間接的に利益を生むシステムが確立していく。そして機械は壊れるものであるから、使い勝手の良い慣れたメーカーのものを次も使う可能性が生じ、同じ電話会社から次の機材を買う、という固定客になりうる。顧客を固定するには、この「無料」という導入は現代至る所で見られる現象だ。この鉄砲が「無料」で当主に贈られたとしても次のビジネスチャンスをつかむためにも十分考えても良い手段ではないかと思われる。

その是非はともかく、この場合のスマートフォンが「鉄砲」でハードに当たる。ソフトに当たるアプリが「硝酸カリウム=硝石(火薬)」である。ポルトガル人はこの両方の貿易で儲けを見込んでいたが、日本は独自のスマホを速攻で開発してしまった(ある意味これも「ガラパゴス化」だ)。ただし、ハードたる鉄砲はコピーされてしまったが、火薬の原料となる「硝酸カリウム」はどうにもならないのだ。世界史的には南米チリの「チリ硝石」の発見が、世界の鉄砲の普及を促進していた事実をポルトガルは当然熟知していたのである。

ということは、硝石の流通と確保こそが日本の戦国史を理解する上でも、とても重要なファクターになったと言えるだろう。
なぜなら、織田信長以降は鉄砲が日本の戦術を一変し、戦乱の世を決定づけたからである。

種子島時堯に命じられて初めて鉄砲を製作したのは刀鍛冶:八板金兵衛(やいたきんべえ)である。天文十二(1543)年の九月に命じられたが、驚くべきことに4か月後にはこれをコピーしているのだ。ただ、鉄砲の製作過程では、火薬を使用する以上大変危険を伴うもので、「暴発」の恐れがあるものだったのも確かだ。その内実と経過はここでは省くが、とにかく日本のモノづくり技術は今に始まったことではないというのはこれでわかる。まさに後の世、鍋島直正はその典型である。(※「肥前の妖怪」 鍋島直正 1参照)

種子島鉄砲
「鉄砲伝来 日本の歴史」より

これらと関連して、少し織田信長についても触れておきたい。

なぜ信長は「本能寺の変」で討たれたのだろうか?
もっと言えば、なぜ「本能寺で」なのだろうか?ということ。

これは次のように考えていく。

1:種子島時堯は、鉄砲の製造技術を独占しなかった。ここでもやはり「硝酸カリウム(※当時は『煙硝』と言っていた)」のルート確保のため、紀州に巨大な経済勢力を持つ根来寺と、当時海外貿易拠点の堺の商人にこの権利を与えていた。

2:種子島は鉄砲伝来の約100年前に法華宗に改宗されて、慈遠寺も法華宗に改宗されて、多くの学僧が本山へ修行に出ていた。その「本山」が「本能寺」なのである。

3:戦国大名の中で、最も早く堺を直轄地としたのが信長である。


これら1・2・3より推測されることを述べると次のようになる。

堺を直轄地としたのは鉄砲に必要な「煙硝」ルートを確保するためであることは明白で、これで堺には安定的に「煙硝」が供給される。また、信長には延暦寺焼き討ちや安土宗論、一向一揆弾圧など宗教弾圧者のイメージがあるのに、「本能寺」という「寺」に泊まっていたのか?そしてなぜキリスト教宣教師に好意的だったのか?これらの疑問は全て天下統一のための軍事物資の確保にあったのではないかということ。堺さえ押さえてしまえば、当時の日本の地政学的にも貿易船が西や南からやって来ると国際港となっている東端は堺である。それを独占的に供給するのがキリスト教を信仰するポルトガル人だ。信仰の自由を認めることで、ポルトガル人との商業が円滑にいく。

確かに、以西にある九州や中国地方では山口・平戸などいくつかの国際港があり、いち早く煙硝ルートを取り込んで実用化していたのは大友宗麟であり、日本最初の焼夷弾(焙烙火矢)を用いたのは毛利家の支配下にあったあの村上水軍であった。

しかし、東の武田氏や上杉氏、北条氏などの有力武家の鉄砲武装に歯止めをかける、直接的な貿易港は確実に堺である。これを信長は抑えたのである。つまり、彼らがいかに鉄砲を独自に開発しようが、その起爆剤となる「煙硝」がなければ前述の通りただの「鉄棒」であって無用の長物となることを信長は知っていたのである。

こうして、天才の情報戦と柔軟な発想によって戦国時代の覇者が決定していったのである。

そして、本能寺は2で述べたように種子島の慈遠寺の本山であり、ここは2007年からの発掘によって大量の煙硝を始めとする巨大な武器弾薬庫であったことがわかった。こうした煙硝つながりのある寺だから、信長はあの日この寺にいたのだ。明智光秀に完全包囲された信長は火を放って自害したと言われているが、首を渡すまいとして爆薬に引火させて大爆発を起こしたために、光秀が信長の遺体をどんなに探しても発見できなかったという。跡からは焼け焦げた瓦などが多数出土した。

本能寺跡
<本能寺跡>
出土した本能寺の瓦
<出土した本能寺の瓦>

視点を世界史と比較することによって日本の歴史もその真相が深く理解が出来る。このブログでは、長崎の通史を科学的な視点から再検証することを目的としており、様々な学問を導入して今後も妥当な真相をつかんでいきたいと考えている。既存の説に固執せず、新発見や多くの論文などを吸収することによって、多分自らの論が修正されていく箇所も出てくるだろう。しかし、それは有益な修正であり、過去に誤った解釈をしていたとしても何ら恥じる必要もないものである。本来、科学とは「反証可能性」を備えているものであるからだ。柔軟で偏りのない思考を持ち続けていきたい。



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