CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

「ガリヴァー旅行記」に長崎が出てくるの、知ってました? イギリス編 外伝(1)

ガリヴァー旅行記。
ガリヴァ旅行記

日本人なら誰しも小学生までに読んだことのある絵本であり、最もよく知られた物語のひとつでしょう。

ただ、この文芸作品は、全部を読んだ人でないと気づかないことがたくさん出てきます。

実在の国をガリヴァーは訪れています。それが「日本」。

で、何と、「ナガサキ」が登場するのです!


ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説によれば、ガリヴァー旅行記はこうなっています。

ガリバー旅行記
Travels into Several Remote Nations of the World..., by Lemuel Gulliver; Gulliver's Travels

イギリスの作家ジョナサン・スウィフトの風刺物語。 1726年刊。4部に分れ、第1部ではガリバーが漂着した小人国リリパットについて語り、小さいくせにいばりくさっている皇帝や国内の騒動を通してイギリスの政党対立を風刺する。第2部は巨人国ブロブディンナグ、第3部は空飛ぶ島ラピュータの物語。後者では、当時盛んであった自然科学研究の行過ぎや思弁にふける学者への風刺がある。作者の感情がいちばん激しく表わされていると思われる第4部では、理性的生物の馬フィナムに対比して、不潔で悪臭を放つ最下等の獣ヤフーが人間を表わし、作者の徹底的な人間嫌悪を示している。しかし、フィナムは理性万能の精神を表わすものとして、ヤフーと同様に風刺の対象になっているとも思われる。深刻な人間風刺として、また楽しい冒険的旅行記として、子供にもおとなにも愛読される、近代小説史の発端を飾る特異な作品である。



絵本で読んだ人は、小人の国:リリッパットの話だけしか知らないのではないでしょうか?

小人とは真逆の巨人の国に行って「お前、めっちゃ肌キレイやん!」と、ガリヴァーは可愛がられたりもします。
また、馬が人間(ここでは「ヤフー」と呼ばれてます)を家畜にしている国もあります。ある意味「猿の惑星」を彷彿とさせますね。

そして、第3部の「空飛ぶ鳥ラピュータ」から着想を得て、宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」が創られました。
ラピュタ

ナガサキ」が登場するのは次のようなくだりです。少し長めですが引用してみましょう。

「私は遠い遠い世界の果で難船したオランダの商人ですが、それからとにかく、どうにかラグナグ国までやって来ました。それからさらに船に乗って、今この日本にやって来たところです。つまり,日本とオランダとは貿易をしていることを知っていたので、その便をかりて私はヨーロッパへ帰りたいと思っているのです。そんな次第ですから、どうか、ナンガサク(長崎)まで無事に送りとどけていただきたいのです。」
 と答えてやりました。それから私はつけ加えて、
「それから、もう一つお願いがございます。どうか、あの十字架踏みの儀式だけは、私にはかんべんしていただきたいのです。私は貿易のため日本へ来たのではなく、ただ、たまたま災難からこの国へたどりついたのですから。」
 と、お願いしました。
 ところが、これを陛下に通訳が申し上げると、陛下はちょっと驚いた様子でした。それから、こう言われました。
「オランダ人で踏絵をしたがらないのは、その方がはじめてなのだ。してみると、その方はほんとうにオランダ人かどうか怪しくなってくる。これはどうもほんとうのクリスト信者ではないかと思えるのだがなあ。」
 しかし、とにかく、私の願いは許されることになりました。役人たちは、私が踏絵をしなくても、黙って知らない顔をしているように命令されました。
 ちょうどそのとき、ナンガサクまで行く一隊があったので、その指揮官に、私を無事にナンガサクまでつれて行くよう、命令されました。
 一七〇九年六月九日、長い旅のあげく、ようやくナンガサクに着きました。私はすぐそこで、『アンポニア号』という船の、オランダ人の水夫たちと知り合いになりました。前に私はオランダに長らくいたことがあるので、オランダ語はらくに話せます。私は船長に、船賃はいくらでも出すから、オランダまで乗せて行ってほしいと頼みました。船長は、私が医者の心得があるのを知ると、では途中、船医の仕事をしてくれるなら、船賃は半分でいいと言いました。
 船に乗る前には、踏絵の儀式をしなければならないのでしたが、役人たちは、私だけ見のがしてくれました。
 さて、今度の航海では別に変ったことも起りませんでした。四月十日に船は無事アムステルダムに着きました。私はここから、さらに小さい船に乗って、イギリスに向いました」



…と、こんな感じです。

1709年という年に長崎へ、あの「ガリヴァー」がやって来ていたのです。みなさん、知ってました?

18世紀前半の設定で「踏絵」も話が出てきます

実際には筆者のスウィフトの生涯は、1667年11月30~1745年10月19日なんで、77歳まで生きましたから、当時としては結構な長生きでしょう。
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ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)■イングランド系アイルランド人の諷刺作家・随筆家

この「ガリヴァー旅行記」からは、当時の強烈な政治風刺が読み取れます

文芸作品だから、歴史的な価値はない、とする意見もありますが、そんなことはありません。
実はコレ、かなり貴重な資料となっているのです。

「フィクション(いわゆる小説)は事実を描くものではない。真実を描くものである」

これが世界文芸の常識です。文筆の力でこの世に現れていない真実を炙り出すという。

これに対して、日本の小説事情は特殊でした。

いつかこのブログでも明治にさかのぼって話をすることがあるとは思いますが、純文学が広まった日本では、「小説は事実を描くものである」という観念が広がっていきます。
尾崎紅葉が没したことを契機に、自然主義文学が隆盛していき、世界の小説にはない「私小説」という、自然主義文学から派生した流れが押し寄せてくるのです。田山花袋の「蒲団」がその始まりでした。

このような意外なところに、ひっそりと歴史の真実が転がっているのかもしれませんね

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<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 3
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 6
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 7
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9 - アントウェルペン編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 10 - オランダ独立(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11 - オランダ独立(2) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 12 - オランダ独立(3) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 13 - オランダ独立(4) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 14 - 寄り道イギリス編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 15 - 寄り道イギリス編(2) -

<宗教改革編>
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -」

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出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 15 - 寄り道イギリス編(2) -

オランダからイギリスへの寄り道の続きです。

ブラッディ・メアリのあとを継いだエリザベス1世ですが、ソッコーで「国王至上法」を施行します。
これは、「イングランド国内では、私こそが政治と宗教では至高の存在よ」、という趣旨の法律です

こうやって先王メアリのカトリック政策をちゃぶ台返ししてしまいました
ちゃぶ台返しがわからない方のために、イメージ図を載せておきましょう
    ↓
ちゃぶ台返し
※繰り返しますが、画像は単なるイメージです。
ちなみに、コレは、映画「自虐の詩」(尊敬する業田良家 原作)より、パンチパーマの阿部寛のちゃぶ台返しの図。

しかし、前回書いたように、あのメアリの後ですから、反動がMAXで、国民はそれでも大賛成です。

ということで、逆にバチカンの教皇庁からは「お前もか、エリザベス?なら破門じゃー!!」と、あっさり破門されてしまいます

また、ブリテン島の上にいるスコットランドのメアリ・スチュアート女王も黙ってはいません
Mary_Queen_of_Scots_from_Hermitage.jpg
メアリー・ステュアート(Mary Stuart)
■1542年12月8日~1587年2月8日(グレゴリオ暦2月18日)

※同じメアリという名前がですが、血の雨を降らせたメアリ1世 ↓とは別の人物ですから注意しましょう。
ブラッディ

このスコットランド王メアリは、新女王エリザベスに対し「私こそイングランド王位継承権者だわよ」と、事あるごとに主張し、エリザベス廃位の陰謀を企てます

これも、すったもんだを繰り返した末に、メアリは捕えられてゆるい軟禁状態となります。
そして、「バビントン事件」というエリザベス暗殺の陰謀の企てに関与した証拠が出てきたので、裁判で有罪となって死刑が宣告されます。

エリザベスは初め、メアリの死刑執行の署名をしぶっていたのですが、結局メアリは処刑されました。

このスコットランド王処刑を知った、(エリザベスにしつこく言い寄っていて、フラれ続けた)スペイン王フェリペ2世は、(その腹いせに)、「イングランドを乗っ取ったるわ!」と、あの最強のオスマン・トルコを(ラッキーで)破った、例の「無敵艦隊」を派遣します。

これでイングランドとスペインが激突する、アルマダの海戦~、となったのです。
スペインは負けて「無敵」ではなくなりましたが…。これがイングランドとスペインが戦った顛末です。
(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11- オランダ独立(2)」参照)

それにしても、「太陽の沈まない帝国」を作ったスペイン・ハプスブルクは侮(あなど)れない存在です
アルマダ海戦では勝利したものの、フェリペ2世↓の脅威は去りませんでした。
フェリペ2

何とかしてこの状況を打破したいと考えたエリザベス1世は、次にどのような手に打って出たでしょうか?

この当時のヨーロッパ各国の、カトリックとプロテスタント勢力図を見比べるとよく分かります。
キリスト教_教派分布

引用:【キリスト教】16世紀のキリスト教

ちょうどこの頃、散々これまで書いてきたように、ヨーロッパではルター&カルヴァンなどの宗教改革が進んでいて、カトリック勢力との争いが頻発していました。
カトリック勢力の敵はプロテスタントです。「プロテスタント」という言葉自体が「(カトリックに)抵抗する」の意でした。しかもフランスやスイスなどにも、プロテスタントは勢力が広がりを見せています。

彼らプロテスタントの人たちとなら、この強大なスペイン・ハプスブルク家に対する共闘が出来る」、エリザベスはそう考えたのです。

同じプロテスタント国ならばカトリック国のスペインの敵で、教皇庁から「破門」されたエリザベスの同志になるはずです。
そこで、当時プロテスタントが広がりを見せていたフランスを支援します。(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 13 - オランダ独立(4) -」 参照)

フランスの時の王は名君アンリ4世です。
ちなみに、フランスには彼の名前がついた超名門高等学校があります。
King_Henry_IV_of_France.jpg
アンリ4世(Henri IV)
■1553年12月13日~1610年5月14日
■ブルボン朝初代フランス国王(在位:1589年8月2日~1610年5月14日)

まさにこの頃、フェリペの圧政からの独立を目指していた国がありました。エリザベスは当然その国を支援することになります

それが・・・・ネーデルラント。つまりオランダなのです

オランダを通じて俯瞰(ふかん)してきたヨーロッパの歴史が、平面からだんだん立体的になっていくのが感じられます

どうしてイギリス人であるウィリアム・アダムスが、ポルトガルやスペインの船でなく、オランダの船に乗っていたか、こうして考えるとよく理解出来ます

さて、そのウィリアム・アダムスですが、彼はオランダ船「デ・リーフデ号」に乗って、南アメリカの下、あの険しいマゼラン海峡を渡り、太平洋を航行して日本まで辿りつきました。
この航海は過酷を極めました。もとは5隻からなる船団でやって来ていたのですが、途中で仲間の船がスペインやポルトガルに拿捕されたり、寄港した先々で赤痢や壊血病が蔓延したり、インディオの襲撃でも次々と船員を失っていきます。ウィリアムの弟:トマスもこの時インディオに殺害されてしまいました。

こうして、オランダのロッテルダムから出航時には110人だった乗組員が、過酷な航海を経て日本に到着した時には24人になっていました…。

しかし、そうまでして彼らオランダ人が日本に来なくてはならなかった事情というのは一体何だったんでしょうか?

実はボク、この展開を見越して、以前のブログで既に書いています。

長きにわたる伏線を経て、よーやくここに因果関係が明らかになり、その答え(?)が完結しようとしています( ;∀;)

みなさん、このシリーズ↓ を読んで、ぜひその答えを推理してみてください!
「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 1
「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 2
「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 3
「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 4
「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 5 最終回 ‐グローバリズムの落とし穴‐

次回も、お楽しみに~!

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<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 3
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 6
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 7
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9 - アントウェルペン編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 10 - オランダ独立(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11 - オランダ独立(2) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 12 - オランダ独立(3) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 13 - オランダ独立(4) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 14 - 寄り道イギリス編(1) -


<宗教改革編>
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -」

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出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 14 - 寄り道イギリス編(1) -

現在イギリスと一括りに言いますが、もう少し複雑です。

そもそも、いわゆる「イギリス」の正式国名、覚えていらっしゃいますか?

「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」

長っ!とボクも小学校の頃に思いましたし、誰しも幼心にも思うことでしょう。なにせ、我が国は漢字で書くと二文字の「日本」ですから。

ちなみに、左隣の島「南部アイルランド」は「アイルランド共和国」で、カトリックが主流の国です

まず地図で位置関係をおさらいしておきましょう。

ukmap1013.jpg

ラグビーやらサッカーの大会にはイングランド代表、スコットランド代表など、グレートブリテン島から2チーム出てきます。

つい2014年のことですが、スコットランドはイギリスから独立する、と言ってきました。
「イングランドのやつらが、北海油田の利権独占したり、南部のロンドンに一極集中し過ぎだろ!」と不満を叩きつけ、この話が出てきたのです。
時のイギリス首相はトニ・ブレア。彼もまたスコットランド出身です。

住民投票は、単独での行政や防衛などリアルな線で考えていくと、「まだ無理だろ」という反対派が55.3%の票を獲得し、独立だという賛成票は44.7%となりました。途中までは案外競ったんですが、結局は独立しませんでした

しかし、この対立は今に始まったことではありません

対岸のフランスとハプスブルク家(神聖ローマ帝国とスペイン王国)が争っていた15世紀後半から16世紀初頭には、イングランドのヘンリ7世という王様が、背後にいるスコットランドの奴らをけん制しながら、「あいつらウチに攻めてこないだろうな」、とヒヤヒヤしながらイタリア戦争を見守っているというような状況であったくらいです。

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ヘンリ7世(Henry VII)
■1457年1月28日~1509年4月21日

この王が即位したのは、薔薇(ばら)戦争による国内の混乱を解決したからでした。
赤ばらのバッジを目印にしたランカスター家、白バラのバッジを目印にしたヨーク家、という内乱だったのでそう呼ばれました。結果、赤ばらが勝って、ランカスター家の女系のテューダー家からの王が即位します。それがこのヘンリ7世です。

いずれ大英帝国を築いていくテューダー朝の成立です

ここでヘンリ7世は24年間もの長きにわたって王位につきました。
主の権力も回復、政治を安定させ、優れた統治と積極的な外交政策と経済運営を行ったので名君と言われています。

この段階ではまだイングランドはカトリックです

このヘンリ7世の継いだのが、ヘンリ8世です↓
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似ているからまたビッグバン・ベイダーと間違えました。ヘンリ8世です↓
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ヘンリ8世(Henry VIII)
■1491年6月28日~1547年1月28日

ドーバー海峡を隔てた島国であり、あまりイタリア戦争の際には戦火を交えなかったのですが、それでも例のカール5世とフランソワ1世のイタリアを巡る争いに振り回されます。
つまり、都合の良い時だけ「平和の調停者」みたいに本人もしゃしゃり出てくるものですから、その時々で都合よく彼ら手練れからコキ使われるんです

また、敬虔なカトリック教徒でもあったヘンリ8世は、1521年にルターをボロカス批判します

これで、バチカンの教皇庁から、「君、何かイイね。カトリックの鏡だよ。今後君のことを『信仰擁護者』と呼ぼう」と、称号をもらうのです。

称号…こんな名誉なものを、それも当時のキリスト教のトップの権威からいただけるという。ヘンリはどれほど嬉しかったことか。

ボクなどは日頃「バカじゃない?」、「物忘れ王」、「無謀」という称号しかもらってません
それは称号ではなく、ただの罵りじゃね?と聞こえたような気がしますが、まあいいでしょう。
いつの日か見返してやろうと企んでいます(*`皿´*)

さて、こんな称号までくれたバチカンでしたが、のちにヘンリ8世はヘーキでそんなバチカンを裏切ってしまいます

まず、ヘンリ8世の遍歴なんですが、

1509年に10歳で結婚します。キャサリン・オブ・アラゴンという姉さん女房。
  ↓
で、ソッコーで多数の愛人を持ちます。
  ↓
王位に慣れてくると、兄のヘンリ7世の代以前からの重臣を逮捕、処刑を繰り返す。


側近を逮捕・処刑しまくるとは…まるで、どっかの隣国の黒電話を見ているかのような粛清ぶりです。
black telephone2
※画像は単なるイメージです。

こんなヘンリ8世が「平和の調停者」というのもタチの悪いブラック・ジョークです

このようにして、国王の権威を利用して女性に手当たり次第手を付けまわるものですから、どっかから梅毒をもらってきてまき散らしまくります

しかし、カトリックは一夫一婦制の宗派なので、ヘンリの無謀な振る舞いを耳にした教皇庁としては、さすがに黙っていられません。
なにせこれほどカトリックの信仰を踏みにじっているのに、「信仰擁護者(笑)」じゃねえか、と


「あいつのどこが信仰擁護者だー!」と、突っ込まれるたら、ただでさえ宗教改革で信者が減っているというのに、カトリックの敬虔な信者達に対してもメンツが丸つぶれです。

一応、1527年にヘンリは離婚を申請しますが、姉さん女房であった王妃キャサリン・オブ・アラゴンの甥が、カトリック最強国で神聖ローマ帝国&スペイン王、あのカール5世 ↓ なのです。
1024px-Emperor_charles_v.png

さすがにこれでは怖くて離婚もままなりません・・・とはならず、ヘンリは執念の果てに1533年、王妃キャサリンと婚約無効を宣言して、愛人で可愛いアン・ブーリンと秘密結婚をしてしまいます。

いちよ、キャサリン(左)とアン・ブーリン(右)を比較しておきましょう・・・。
catherine ann

・・・まさか、ですが、みなさんは「ヘンリの気持ちがわかるわwww」なんて一瞬たりとも、かつ微塵にも思ってませんよね?

ところで、「婚約無効」て、何かおかしいと思いませんか?なぜ、「結婚無効」でないのかと
これは離婚となれば問題なので、過去の婚約した時点にさかのぼって、「そこ無効ね」と詭弁(屁理屈)を弄(ろう)したのです

こうして(未だに『紳士の国』と言い張っている)イングランドはカトリックの国から、一人の王の性癖の悪さによって、瞬く間にプロテスタント国になっていくのです。ヨーロッパ本土の、ある意味真面目な宗教騒動とは大違いです。

これでもし神聖ローマ帝国などから攻められてたら、当時弱小国だったイングランドは間違いなくタコ殴りにされていたハズです。まあ、国内のカトリックの人達は大混乱でしょうけどね。

もう一度出しておきましょう。こいつです↓
427px-Hans_Holbein,_the_Younger,_Around_1497-1543_-_Portrait_of_Henry_VIII_of_England_-_Google_Art_Project
ふう。今度は画像間違えませんでした。

こうした一人の王の、極めて不純な動機でカトリックを裏切り、イングランドはプロテスタントになっていきます。
このようにして出来たのが、ザックリ言えば今に至るプロテスタントの「イングランド国教会」です
ただ、この段階でまだ儀礼はカトリックのままだった、というのがガチで入試に出る情報です。

オランダ編なんで詳しいことは避けますが、このヘンリのしばらくあと、国王となったのがヘンリの梅毒を産まれる前から感染(うつ)されて、15歳で夭逝(ようせい)したイケメン王子エドワード6世です。
311px-Edward_VI_Scrots_c1550.jpg

母親はヘンリの3番目の妃であるジェーン・シーモアです。

エドワードがあまりに可哀そう過ぎて、「トム・ソーヤの冒険」でおなじみアメリカの作家:マーク・トウェインの小説「王子と乞食」の主人公となります

この小説を読んだ方はお分かりでしょうが、王子と乞食少年が服を交換して立場を入れ替わり、異なる視点で世情を見るという体裁ですが、つまりは、この16世紀のイングランドをディスりまくった小説でした

そして、様々な策謀渦巻く後継者争いの末に即位したのが、・・・・(血まみれの)メアリ1世(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル ↓
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メアリー1世 アントニス・モル画  1554年
メアリー1世(Mary I of England)
■1516年2月18日~1558年11月17日

手に持ってる赤いバラの花の、元の色は白だったんじゃないかな…。更に特殊能力者のボクがこの絵を見ると、心なしか牙が2本口から出ているのが見えるような・・・。

メアリはイングランド初の女王です。
彼女はガチガチのカトリックでスペイン王フェリペ2世と結婚し、イングランドにまたカトリックが復活します

メアリは徹底的にプロテスタントを弾圧し、異端禁止法を作って異端者を火であぶりまくります
この残虐な振る舞いから、彼女は「ブラッディ・メアリ」とあだ名がつきました。
ウォッカベースのトマトカクテルの名前になっていますね。ボクも家でたまに作って飲みます。
そして、この「血のメアリ」。多くの無辜(むこ)の民が火あぶりの刑にされている様を思い浮かべながらだと、このカクテルの味わいもまた格別増します

そして、この後に登場するのが、ヘンリ8世の離婚問題のきっかけとなった、愛人アン・ブーリンの娘、エリザベス1世です。

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エリザベス1世( Elizabeth I)
■ユリウス暦1533年9月7日~グレゴリオ暦1603年4月3日(ユリウス暦1602/3年3月24日)

今のイギリス女王はエリザベス2世ですが、まるで関係ありません。
エリザベスの代でテューダー朝は断絶し、今のウインザー朝の系譜はドイツ系だからです。昔は「ハノーヴァー朝」とドイツっぽい名前だったんですけどね。
第1次世界大戦の時に「敵国の奴らの血を、ウチの王様が引いているってコレ、よそにバレたら、ヤヴァす:(;゙゚'ω゚'):」。ってことで、イギリスっぽい名前にこっそりしてしまいましたが、もちろんバレバレです。

エリザベスが愛人アン・ブーリンの娘で、前王メアリは元の妃であるバリバリのカトリック信者キャサリンの娘です。

当然の如く、母親を無下にされた(強引に離婚させられた)恨みをメアリは、まるで無関係のエリザベスに向けます。処刑にはされなかった(奇跡的にも)ですが、エリザベスはロンドン塔に幽閉されるなどの仕打ちを受けるのです

この性根悪女のあとに王位についたのがエリザベス1世です。国民はきっと万歳三唱で迎えたことでしょう!あのク〇女がやっと逝きやがったぜ、と。

エリザベスだけでブログが4本くらい書けるのですが、止めておきます。(-_-;)
でも面白いのでいつか必ず書きます。

このエリザベスの時代に、あのカトリック信仰の憎き残虐女・血まみれのメアリ1世が戻したカトリックを再度放棄します

そして、教義がカトリック的であった部分も排除し、イングランド国教が確立します。

この中にはカルヴァン派の純粋なプロテスタントを目指した改革派も現れます。
「純粋」を英語で何と言うでしょう?pure(ピュア) です
つまり、これがイングランドのカルヴァン派の呼び名:「ピューリタン(ピュアな人)」なのです。もっとも、「ピュア」ですから、「バカ正直」の意味でディスり的に使われていましたが、いつしか自分たちからも「ピューリタン」というようになりました(「歴史に名を残す法則1」発動です。詳細は、「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4」 へドウゾ)。

のちにアメリカに渡った人たちのピューリタンの一団が「ピルグリム・ファーザーズ」。
この人たちの末裔が今のアメリカ人の基礎をなしています。だからアメリカは基本的にプロテスタントの国です。隣のメキシコはスペインが支配したので、今でもカトリックが主流です。

1600年、このエリザベス1世の時代にやって来たイギリス人が、(同じプロテスタント国)オランダ船:デ・リーフデ号事件で登場する、ウィリアム・アダムスです
william adams2
ウィリアム・アダムス(三浦按針)

この時の顛末は「鉄砲を伝えたのはポルトガル人ではない!? 5」 で詳しく書いたのでここでは省きますが、一般的に言われてるような「漂着」ではなく、ボクはエリザベス1世の何らかの意図を持って交易に来ているのではないかと考えています。

リーフデ号のいわゆる漂着後に幕府から相談を受けたカトリックのイエズス会士が、こいつら(プロテスタントのやつら)を「ぶっ殺せ!」と家康に進言したのに、逆に得体のしれないプロテスタントのやつらを重用しました。

何らかの意図が働かないとこの厚遇はありえないハズなのです

それは一体何なのか・・・?

次回、お楽しみに~!

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<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 3
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 6
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 7
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9 - アントウェルペン編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 10 - オランダ独立(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11 - オランダ独立(2) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 12 - オランダ独立(3) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 13 - オランダ独立(4) -

<宗教改革編>
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -」

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出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 13 - オランダ独立(4) -

いよいよ苛烈すぎる「三十年戦争」の幕開けです。

The_Hanging_by_Jacques_Callot.jpg
また間違えて変な画像を入れてしまいました。忘れて下さい。


と、その前に。阿蘭陀のお隣、おふらんすの事情を少し書いておきましょう

さて、カルヴァンはスイスのジュネーブで宗教改革を行った人間なのですが、スイス人ではなくフランス人です
John_Calvin_by_Holbein.png
ジャン・カルヴァン、ポーズをとるの図

この時代、既にフランスでもルター派のプロテスタントが広がっていました。で、フランス王は教会とか~な~り~仲が悪いのです。
お前ら坊主どもの使うラテン語は分かりにくい。教会ではフランス語でやれ」という命令をシカトし続けたのがカトリック教会だからでした。自分たちにしか使えない文字を持つ、というのは特権であることも以前書きました。(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8 - 聖書と活版印刷の相関 -」 参照)
つまり、国が従来のカトリックである以上、国民にとっては王様の言う事より教会の言う事の方が権威なのです。

こうした事情もあり、フランス王にとって何かとムカつく存在がこのカトリック教会だったので、フランスにプロテスタントが広がって来ても、王様は「カトリック、ざまぁ~(*` 艸 ´)」ということでプロテスタントを甘く見ていました

ところが、パリで1534年10月18日、檄文(げきぶん)事件というのがおきます。これは、プロテスタントでツヴィングリ派の過激な連中が教皇やカトリック行事をディスりまくる檄文を飛ばし、それを至る所に貼りまくった事件です。しかも、アンボワーズの宮殿内にある国王フランソワ1世の寝室の扉までやって来て貼ってます。
これで、「ツヴィングリ派の過激なやつら、既に王宮内にもいやがるのか(-_-;)ぶっ潰す」となって、フランソワ1世は激怒し、脅威となるプロテスタントの連中を追放します

この命令でフランスから脱出した中に、別に直接関与はしてなかったんですがカルヴァンもいました。フランスから逃れたカルヴァンは、1536年にスイスとフランス国境付近の、ドイツの町バーゼルで「キリスト教綱要」をラテン語で書きます。のちこれがフランス語訳されていきます。

キリスト教綱要表紙 1597
キリスト教綱要表ページ 1597年

…と、ここまでこのブログでは、カトリックばかりディスってきたように見えたかもしれませんが、ご安心ください。もちろん気のせいです。前に歴史の科学的な見方というのを書きましたので、詳細はそちらをご覧ください。
「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー」

実はカルヴァン派やツヴィングリ派も相当なものです

当時のカルヴァンはかなり禁欲的で過激な思想です。ただ、スイスではこの思想がウケたらしく、彼はジュネーブに招かれます。ちなみにスイスも神聖ローマ帝国ハプスブルク家に支配されている国です。なにせイタリアへの通り道ですから…(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4」 参照)。

そして、ここスイスで、カルヴァンは例の「禁欲主義」で超過激な圧政をしきます
「禁欲、禁欲」って言われても、どんなものかよく分かりませんよね?

例えば、こんなです。

「あれ君、いま音楽聴いてた?なら死刑ね」という感じで、あらゆる娯楽は禁止です。コレ、文献に登場する本当の話です

禁欲過ぎるだろ!」と思うかもしれませんが、カルヴァンの「圧政は「疑わしきは罰せず」、というような甘っちょろいものではありません

「夜回り隊」という市民生活監視パトロール隊がガッツリ市民が禁欲的な生活をやっているかを見回っていて、彼らの目に留まった、不真面目な行為は御法度で処刑されます疑わしいやつは、死刑以外なら、「水攻めと鞭打ち、どっちにする?」という拷問の度合いを比較するといった類です
綱吉の「(みなさんが「超悪法」だと誤解しているかもしれない可能性がある)生類憐みの令」など、子供のままごとにしか見えません。これがジュネーブで行われたカルヴァンによる政治です。

なぜそうなるのか、我々日本人にはさっぱり理解できませんが…(多神教の神道&仏教徒が多いんで)。

その後、フランスでもルター派ではなく、カルヴァン派が広まっていきます。このカルヴァン派をフランスでは「ユグノー」と言いました。フランスでもなぜかウケたのでしょう。て、いうか、逆によほどこれまでのカトリック教会の強欲な縛りにうんざりしていたのかもしれません。

そうして、この「ユグノー」が、フランスに未曾有の混乱を巻き起こしていく一因ともなっていくのです

「なぜオランダとスペインが争っている中間に位置するカトリック教国、フランスがオランダを責めないのか?」

これが前回の疑問でした。と、前々回でしたね(=∀=)

フランスは神聖ローマ帝国を牛耳っているハプスブルク家と、コレマタ非常~に仲が悪いのです。ハプスブルク家と言えば、13世紀以来オーストリア・ドイツとスペインを牛耳っている一族です。フランスは、イタリアの支配を巡って、200年くらいこのハプスブルク家とケンカをやっています

そのハプスブルク家がスペインにいるし、けれどオランダとはもともと同じフランク王国だった仲だったし、毛織物産業なんかの物流もそこそこ進んで経済的にもつながりがあるしで、フランスがオランダを責める理由がありません

また、ルターが「95か条の論題」を発表した2年後の、1519年にはフランス国王なのに、フランソワ1世が教皇の支持を得て、何と(無謀にも)!神聖ローマ帝国の皇帝選挙に出馬します
しかし、あのカール5世(スペイン王カルロス1世)に滅多打ちに完敗します。
皇帝を選ぶのは有力諸侯であることを以前にも書きました。(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4」 参照)  カール5世は、いわゆる新大陸からせしめてきた黄金を選帝侯らにバラまき、「選挙は私にヨロシク」と、入念な根回しをしていたので、フランソワ1世は1票も獲得できなかったのです。「こんな不正な選挙、認められるかー!」てことで、神聖ローマに戦争を仕掛けるのですがこれも完敗し、逆に捕虜となって賠償金を支払って土下座し、解放してもらうハメになってしまいました
ハイ、こちらです↓

フランソワ1世
フランソワ1世(仏:François Ier)
■1494年9月12日~1547年3月31日
■ヴァロワ朝第9代フランス王(在位:1515年~1547年)

また、フランソワ1世はカール5世に対抗するためになりふり構ってはいません。

ドイツ国内のプロテスタントを支援したり、イングランド王ヘンリ8世とつるんだり、果ては異教徒であるオスマン帝国のスレイマン1世と秘かに結託し、「第一次ウィーン包囲」をけしかけたり・・・・

「非常~に仲が悪い」、という意味が分かっていただけたでしょうか?ヨーロッパ中をかき回すくらいの規模です。いえ、アメリカ大陸でも、と言っていいでしょう。

余談ですが、このフランソワ1世は「アメリカ」の名前の由来となった、あのアメリゴ・ヴェスプッチに金を出して、その航海を援助しました。(※「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 5 最終回 ‐グローバリズムの落とし穴‐」 参照)

もちろんこれも、中南米を押さえたカール5世に対抗して、彼らがまだ開拓していない北アメリカを領有しようという魂胆からです。更には、ジャック・カルティエをカナダ植民に送り出して、ヌーベル・フランスの基礎を築きます。これをフランス領カナダと言いますが、今の「ケベック州」の基礎を築いています。

「ヌーベル・フランスの父」といえば、フランス人サミュエル・ド・シャンプランですが、彼がケベックを整備したのはそのしばらく後の17世紀前半の話になります。今でもケベック州ではフランス語が話されているのは、その時代からの名残なのです。

カナダ

いずれ「フランス編」にてこの辺りの事情は書くことにしましょう。

でもそんな仲悪いのに、「ベルばら」でフランス王のルイ16世の嫁のマリー・アントワネットって、ハプスブルク家じゃなかったっけ?
ベルばら
敬愛する池田理代子先生画です。みなさん、ベルサイユのばら、読みましょう!

…ま、それはさておきΣ(゚□゚、

おフランスの事情も軽く書いたことだし、オランダへ目を移そうかと思いましたが、次の展開のためのもう一つ重要なプロテスタント国をすっかり忘れていました。それが、日本にもやって来たあのウィリアム・アダムスの国、イングランドです

イングランドにもカルヴァン派プロテスタントが広まるのですが、イングランドはカトリックを捨てた理由が、よそと違って、ある男による大変ふざけた理由なのです。それが今に続いてますが・・・。

その不埒な奴は、この男です↓
vader.jpg

間違えました、この男です↓
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次回、お楽しみに~!

dejima_agin_rogo-3.png

<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 3
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 6
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 7
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9 - アントウェルペン編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 10 - オランダ独立(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11 - オランダ独立(2) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 12 - オランダ独立(3) -

<宗教改革編>
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -」

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出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 12 - オランダ独立(3)-

なぜカトリックが日本にやって来たのか?

もったいぶらずに早く書け、と急かされているので、しょうがないから予定変更で書きましょう。

ここまで全ての話を読んでこられた人にとってはもう楽勝で、ズバリ2点の理由からです。

1つ目が、プロテスタントの広がりで、カトリック教会は信者獲得(=金儲け)が出来なくなってきたからです

2点目が、ちょうどこの16世紀には、いわゆる「大航海時代」が幕を開けていて、オスマン・トルコ帝国を回避しながらアジアまで到達できる、アジアっていうか世界中に到達できる技術があったからです

ハイ、終了です。お疲れしたー!

真面目にやりますとも。

そもそも「カトリック」の意味を以前にも書きましたが「普遍」でした。
例によって、辞書の力を借ります。

大辞林 第三版の解説

ふへん【普遍】 ( 名 ) スル
① 広く行き渡ること。 「火山の到る処に-するを/日本風景論 重昂」
② すべてのものにあてはまること。すべてのものに共通していること。 ↔ 特殊 「 -の原理」
③〘哲・論〙 〔universal〕 
  ㋐ 宇宙や存在の全体にかかわっていること。
  ㋑ 複数の個物について共通に述べられ得る事柄。普通名詞に対応する項辞ないし概念。


つまり、自分たちの神の教義はいつでもどこでも全てに通用するハズなので、世界中に出て行って正しく布教すれば信者が獲得できるに決まっていると、と思っているからです。裏を返すと、自分たちの教義が絶対に「正しい」のであり、これまでさんざん書いてきたように、異教徒と異派はソッコー地獄行だということになっていました。(※「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革 -」 参照)

アメリカ大陸に出かけて行って、いわゆる「インディオ」を奴隷化したり、皆殺しにしたりしても、カトリックの教義を理解しない連中の方が悪だというのが「正しさ」であるなら、自己を正当化できる訳です。(※「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 3」 参照)

日本人はよく奴隷化されなかったなーと思った方。奴隷化されましたよ、九州の人たちが一説には50万人くらい。世界中に売られました、という記録が世界中に残っています。これに対して豊臣秀吉から出されたのが「伴天連追放令」でした。(※「「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 2」 参照)

イエズス会とフランシスコ会
イエズス会士(黒服)とフランシスコ会士(グレー服)
引用:歴史人マガジン【 戦国時代のキリスト教 】秀吉によるバテレン追放令とは より

つまり、「伴天連」とは、これも「カトリック」のことを指す言葉であり、「プロテスタント」ではありません

当時のカトリックは危険なことをやっているということで禁止されたのは分かりますが、ではなぜ同じ「キリスト教」の一派である「プロテスタント」は交易が許されたのでしょうか?

それには、プロテスタントの「予定説」を知っておく必要があるのです

そして、これを知ってもらうために、この「オランダ」編を中断してまで伏線として張っていたのが、「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」なのです。 
…やっと伏線が帰結しました。

カトリックでは救済のために信者はいろいろやれるんですが(多額のお布施とか「贖宥状(免罪符)を買うとかのダークサイドなども)、プロテスタントのこの「予定説」では、神が救う人間を予め決めていました。だから、ある意味、何をやっても救われないやつに布教するのは「それって、無駄な努力じゃん」、となります

すなわち、プロテスタントにとっては、日本は「八百万(やおよろず)の神」とかいう多神教で、かつ助っ人で仏教といった宗教まで入れててごちゃまぜです。その辺の石にも神が宿るといったことまで言うのです。だから、彼ら「紅毛人」にとって得体のしれないものを信仰している「日本人」など、元から救われるはずがないと思っているのです

こうして、「日本のやつらに布教しても無駄だし、あいつら(ヨーロッパではあまり採れない)金・銀たくさん持ってるし、商売で儲かればいいや」ということで布教をしなかった、これが歴史科学的にはオランダが布教しなかった理由です

紅毛人 神戸市立博物館
長崎に上陸した象と紅毛人の図 作者不明 神戸市立博物館象、間違えた、蔵

もっと言えばですが、以前書いた、あの「デ・リーフデ号事件」を覚えていらっしゃいますか?(※「鉄砲を伝えたのはポルトガル人ではない!? 5」参照

ウィリアム・アダムス(のち三浦按針)というイギリス(紅毛)人がやってきて徳川家康にも重用されたというのも、イギリスがプロテスタントの国に当時もうなっていて、カトリック布教の危険性がないからです。

ちなみに、プロテスタントが広まっていったのは、ドイツ、オランダ、フランス、イギリス、スコットランドなどでしたね。
16世紀 プロテスタントの広がり
引用:世界の歴史まっぷ より

後に詳しく書くことになりますが、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトというドイツ(紅毛)人医師がオランダ(紅毛)人に扮して日本にやって来たこともこれで理解できます。ドイツ(紅毛)人がスペイン(南蛮)人に扮して来れる訳がないですから。
シーボルト 川原慶賀筆
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト

そして、彼ら(オランダ人やイギリス人など)紅毛人が、ヨーロッパでは「カトリック」vs「プロテスタント」の最終宗教戦争(これを「三十年戦争」と言います。次回よりこのブログで入ります!)をやっていた時代が、まさに日本では織田信長から、徳川家康などが活躍した時代なのです

・・・だからたぶん、紅毛人らは日本人に、自分たちの仇敵であるカトリックの南蛮人のことをしこたまディスりまくったハズです。
「家康さん、あいつらマジ残虐な奴らっすよ、クズっすよ。いずれ日本に乗り込んで家康さんぶっ殺すってウワサ聞きましたですぜ。ボクらがその情報流しますんで、代わりボクらの商品も買って下さい」と(筆者想像)。

日本の戦国時代から江戸時代を知るには、同時代の世界史にも目を向けろ!! これが重要です。

幕末も同様で、日本の勢力図をどっかの公共放送とか自称しているN○K「大河ドラマ」で知ったふうに思うのは、非常に浅い歴史解釈なのです(どっかの公共放送とか自称しているN○K「大河ドラマ」が制作した山ほどある中のどれ、とは言いませんが…)。

…どうでしょうか?

この一連のヨーロッパ史を知らないと、長崎の教養は語れません!(断)

・・・なら、なんで同じ紅毛人のイギリスと交易しなかったの?家康のとこにもいたのに。

次回も、お楽しみに~!

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<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 3
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 6
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 7
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 10 - オランダ独立(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11 - オランダ独立(2) -

<宗教改革編>
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
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「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -

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