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「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -

ユダヤ教(前13世紀)→キリスト教(後1世紀)→イスラム教(7世紀)。
この順番が歴史上での成立順です。

今回はココからスタートし、ついに、宗教改革・最終回(ただし、前編)となります。

さて、「The Creator」という言葉があります。
これが造物主であり、ユダヤ教における唯一神:ヤハウエです
「ヤハウエってどんな神?」とネットで画像検索しても出てきませんよ・・・。

The が付く時は、特別な存在を指します。creator だけだと、ただのデザイナーみたいな感じになります。

メジャーリーグのイチローも He is the one. と呼ばれています(第1回のWBCの時にはどっかの隣国でHe is one. と新聞でディスられましたが…)。

日本人や古代ギリシア、ローマは多神教なので、この唯一神の観念が非常に分かりづらいと思いますが、それはまたいずれ。

今回の核心に迫るべく、まずはユダヤの唯一神:ヤハウエは旧約聖書によれば、天地創造がどのようなものかを大ざっぱに書いておきました。

「創世記」天地創造 第1~2章
1日目 神は天と地をお造りになった。暗闇がある中に、神は光を創られ、昼と夜ができた。
2日目 神は空をお造りになった。
3日目 神は大地を造られ、海が生まれ、地に植物を生えさせられた。
4日目 神は太陽と月と星を造られた。
5日目 神は魚と鳥を造られた。
6日目 神は獣と家畜を造られ、神に似せた人をお造りになった
7日目 神は全てわざを終えられて、お休みになった。そしてこの7日目を聖であるとされた。


注目ポイントは、6日目です。造物主によって人が造られています。つまり、ユダヤ教ではあくまでも人間・その他は神が造ったものであるということです。ここを押さえておきます。

次に、ユダヤ教では、唯一神ヤハウエが救うのはユダヤ人だけです。他民族や他宗教の人たちは救われません。

これを「選民思想(せんみんしそう)」と言います
これはヤハウエとユダヤ人が契約したからそうなっています。
まあ、「ユダヤ人はヤハウエ以外の神を神としてはならない」と言っているのですが、「それなら、他に神がいることになるだろ!あなた唯一神じゃなかったっけ?」と矛盾するのですが、ドンマイです。

そして、ユダヤ人は大変な苦難を強いられた歴史がありました(ココ、伏線です)。

故郷イスラエルのカナン(シオンとも言います)を追われたり、根こそぎエジプトで捕虜となったりします。
この暴政を働くエジプトから脱出する顛末が書かれたのが旧約聖書の中にある「出エジプト記」で、預言者モーセに神が約束の地カナンへ戻れと命令します

『預』言者」とは1999年7の月に恐怖の大王がやって来て地球を滅ぼすぞ、などを言うような「『予』言者」ではありませんので注意です。ここテストに出ます。

ヤハウエの言葉を預かる者特殊能力を持つ者、の意です。ヤハウエはユダヤの一般人にはこういうことを教えません。だからヤハウエに選ばれた特殊能力を持つ「預言者」の言葉は重要なので、逆らえないから、みんなでエジプトを決死の覚悟で脱出します。当然、エジプトからは「逃げるな、コノヤロー!」とばかりに追手が来ます。カナンに渡るのに、しかしながら目の前には「紅海」が横たわっています。「どうすんの、これ?」と一同絶望していたところ、モーセが海を割ってくれてみんなで渡ります。みんなが渡り終えたところで、まだ渡り中の追手たちをまるごと海に沈めて終了です。
これが旧約聖書にある「出エジプト記」の概略です。
ここでは「預言者」を押さえておきましょう

red_sea.jpg
モーセ 紅海を割る の

昔、チャールトン・ヘストン主演で「十戒」がありましたが、コレです。最近では、リドリー・スコット監督の「エクソダス」がそうですね。

余談ですが、ボクが小学校の頃、少年ジャンプで車田正美の「リングにかけろ」に出てくる、プロデビュー戦でいきなり世界チャンピオンとやるとかいう無謀なチャレンジャー剣崎がボコられて、やられそうになった(てか、これ食らってリング上でいっぺん死んだ)、チャンピオン:ジャーザス・クライストの必殺ブロー「ネオ・バイブル」は、この7日間になぞらえてのものでしたので、あの頃初めてボクは旧約聖書を読みました。
neobible.jpg

漫画は教養の宝庫です、今も昔も

今回のもう一つのポイントは「メシア」です。
ユダヤ人の国、イスラエルは神が与えてくれた約束の地なんですが、ざっと言えば、栄えたのはダヴィデ王、ソロモン王の時だけです。ここをローマ帝国が襲ってきたのが、今からおよそ2000年前。それで、ここがローマ帝国の植民地と化していました。

また、ユダヤの苦難が始まりました。(ココ、伏線です)

当時のローマ帝国はまだ多神教だったことも覚えておきましょう。ゼウスを筆頭にした、あのオリュンポス12神!

ユダヤ人は選ばれた民ですから、他の神を、しかも山ほど神がいるとかいう民族に征服されているのが我慢なりません。しかし武力では勝てないのです。

こうして生まれてきたのが、「メシア(救世主)」待望論です。「あん時のモーセみたいな人、誰かいないんかなあ~」と。
だから、メシアの本来の意味は、悪の帝国ローマから救い出してくれる者の意味です。今の用法とは異なるので気をつけましょう。

さて、約2000年前と言いましたが、今2017年12月6日です。
ちょうどこの頃、イスラエル・ナザレという所で12月25日にイエスという、大工の息子が馬小屋で生まれました。

成長する過程で、様々な奇跡を見せます。

例えば、
「片手の萎えた人がいた。イエスはその人に、手を伸ばしなさいと言われた。伸ばすと、もう一方の手のように、もとどおりよくなった」(新約聖書『マタイによる福音』第12章より)
他にも、湖の上を歩いて渡ったり、触った瞬間に病気を治して見せたり…。

これでまさしく「メシア、キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!」となったのです。「あいつ、マジ神の子」みたいな。(伏線、帰結しました)
まるで、「神」の所業・・・

ところが、イエスは、あのモーセみたいに、一向にローマを撃退してくれません。それどころが、ローマ帝国に反抗すら示さず、「信じる者は救われる」というような、ふわっとしたことしか言わないのです。イエスからしてみると、ユダヤ人だけでなく世の中の人間をすくいたいのですが(後の「カトリック」というのは、そもそも「普遍」という意味でしたね)、自分達しか救われないと信じるユダヤ人には、まるでこのことが分かりません。しまいには、「あいつ神の名を語る詐欺師で、実はローマの味方する悪党じゃねえ?」という疑いまでかけられます。しかも、「あいつヨセフんちの大工の息子(=神でなくヤハウエが造った「人」の意味です)だろ?」とも。一神教ユダヤ教においては、神が他にいるわけないですから。

こうしたさ中、イエスはとある予言(預言ではありません)をしているのです。

「今、私たちはイェルサレムに上っていく。人の子は、祭司長や律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架にかけるためである。そして、人の子は三日目に復活する」(『マタイによる福音』第20章より)

知ってるなら、わざわざ行かなくても良いイェルサレムへ行き、予言通りに死刑が宣告されてしまいます。

イェルサレムにはローマから派遣されてきた総督ピラトがいました。彼自身は「別に殺さなくてもいいだろ、言っていることは間違ってないし」、と思っていました。
むしろ、ユダヤ人たちが悪人だと決めつけて殺そうとしていると聖書にも書かれてあります。だから、ちょうど祭りの時期でもあったので、この祭りの時には囚人をひとり解放できるというルールを利用して、ピラトはイエスを解放しようと思いつきます。

この時にはイエスの他に死刑囚には盗人のバラバがいたので、「お前ら、盗人バラバと思想犯のイエスとどちらを助けたいかー!」とユダヤの民衆に問います

すると民衆は「バラバー!」と言ったので「もうお前らの責任で勝手にやれ」ということで、ユダヤ人によってイエスは十字架の刑に処せられて殺されてしまうのです。

おそらく興奮していたユダヤ人たちも、この処遇に対して「血の責任は、我々と子孫にある」と言っていますので、これはもう自覚していることになります

これも全て新約聖書に書かれている内容です。

イエスは予言通りに十字架の刑に処せられて死亡、しかし予言通りに3日後に復活しています。この日がクリスマスと同じくらいの価値を持つ、キリスト教の祭りの「イースター祭(復活祭)」です。
「予言」通りに「奇跡」を起こしたイエスは、こうして単なる人ではなく、キリスト教の「神」となります(後に「三位一体説」ということになりますが、それはいずれまた)。

いよいよここからなのです!

16世紀に飛んでルターに始まる宗教改革によって、そしてルターのドイツ語訳によって、一部の人間たちの専有物であった聖書の内容が、民衆の間に聖書に書かれたことが文字情報として明らかになっていきます。広まれば広まるほど、そこに書かれている内容でおそらく最もショッキングだったのは、「オレたちが信じるイエス様を殺したのはユダヤ人だったのか!」です

お判りでしょうか? 今に至るキリスト教徒のユダヤ人差別の真の理由。

あの「ヴェニスの商人」で、ユダヤ人シャイロックがキリスト教徒に最も蔑まれている「金貸し」という職業に就いていた理由。もう一度、問いを書きますので、答えてみてください。

問い:「ヴェニスの商人」(シェイクスピア作と言われてい…もごもご)に出てくる、主役の一人「シャイロック」というユダヤ人がいますが、彼はなぜ金貸しをしているのでしょうか、次の中から選べますか?

1.儲かるから。
2.元々が金持ちだから。
3.自分の天職だと思ったから。
4.金貸しの才能があったから。














A.いいえ、一番の理由は、次の中から選べません。

・・・ハイ、コレ正解です。

(*゚益゚)ゴルァ!

と、お怒りの方。設問要求をよく見ましょう。

「次の中から選べますか?」と聞いてるだけです。別に、誰も1~4の中から選べ、とは言ってませんからね(;・∀・)
設問要求に正確に従う、というのが問題を解く基本ですから。

つまり、シャイロックはイエスを処刑した極悪ユダヤ人の子孫であったために、キリスト教徒が普通にやれる職に就けず、人に蔑まれるけど仕方なくやれる仕事である「金貸し」をやっていた。ということになります。まあ、誤解のないように言っておくと、「ヴェニスの商人」とは助かった主人公アントニオのことで、こいつも貿易商やってんですけどね(儲かるから)。

「いやぁ、深いですね~」と、どっかから北のテポドンに、間違えた(-_-;)、寒風に乗って称賛の声が聞こえてきそうです(それに混じって「答え、詐欺じゃん」と聞こえてくるのはたぶん気のせいでしょう)

てか、よくこの問題一つでここまで引っ張ってしまいました(笑)

(ホントはまだまだあるんだけど)

 ちなみに、「ヴェニスの商人」が明治時代の輸入された時の日本名は「人肉質入裁判(じんにくしちいりさいばん)」といいます。なぜなのかを知りたい人は、ぜひ「ヴェニスの商人」を読んでみましょう。サイコサスペンス映画の金字塔:デイヴイッド・フィンチャーの「セブン」もよくわかります。特に「GREED」の章。



宗教改革 前編終了 オツカレしたー!

「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」

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みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -

やー、寒いす(;´д`)<萎ェェェ↓

「寒さ撲滅ファシズム」のハマ口的には、いち早く南方に移住するか、地○温暖化推進をどうにか個人的にでも図りたいこの頃です。

さて、どーでも良い時候のフリはおいといて、今回は核心に迫れるのか!? 迫りますとも!

まずはカルヴァンの「予定説」のおさらいです。

「予定説て何?」の方は、「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、 オランダ 7」で既に詳細は書きましたので、そちらを参照してくださいねー。

山川の世界史B用語集の項目から引用してみると、「予定説」はこのようが定義となっていました。

「予定説」
魂の救済は、人間の意志や善行とは無関係であり、あらかじめ神によって決められているという説で、カルヴァンによって徹底された。そして自分の仕事を神から与えられた天職として励めば、やがて自分が救いの対象となっているという確信を得られるとした。カトリックでは蓄財を否定したが、カルヴァンはこの予定説において、天職に励んだ結果としての蓄財を認め、新興市民階級の活動を宗教的に承認したため、資本主義の発展に貢献することになった。


正直に告白すると、この中で、
「自分の仕事を神から与えられた天職として励む」
    ↓
「やがて自分が救いの対象となっているという確信を得られる」

というのが、以前のボクにはさっぱりわかりませんでした。

どのように見ても論理的飛躍としか感じられなかったからです。

でも、これはカトリックの考えと比較することで答えは得られます。さっそく以下でやってみましょう。

まず、旧来のカトリックでは、生きているうちに善行を積む→天国への扉を開ける、という因果関係です

これは日本の仏教なども因果関係としたほぼ同じです、と以前に書きました。(※「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革 -」参照)

この逆論理を考えれば理解できます。

つまり、プロテスタントの予定説によれば、神様が予め全てのことを決めているこの世の中で、良い行いをしようとあがいている人間はしょせん無駄な努力であり、結局は出来ずじまいで死ぬに決まっていて救われない。むしろ、どんなに悪いことをしようと思っても、予めこの世で真に良い行いが出来ている奴こそが天国への扉が開けているに決まっている、ということなんです。

だから、今、勤勉に何度も良い行いをやって、事実人に感謝されている自分は天国へ行けるはずだという確証を持つ、と考えればわかりやすい と思います。

※話はちょいそれて、以前、格闘家:須藤元気の著書「幸福論」にあったと記憶してますが、彼が四国のお遍路をした際に、ずっと「ありがとう」を唱えながら、しかもカウンターで言った回数を数えながら霊場を回ったそうです(ちなみに言った回数は、21万90回らしいです)。普通は人から何かをやってもらった時に言う感謝の言葉が「ありがとう」ですが、逆に、先に「ありがとう」を唱えることによって、自分が人を感謝できる人間になれる、と。この因果関係は日本の言霊信仰(ことだましんこう)の典型ですね。

話を元に戻しましょう。

これに加えて、カルヴァンは「蓄財」を肯定しています。これも逆に言うと、それまではカトリックで「蓄財」は否定されていた、ということになります。

否定されていた証拠は新約聖書にあります。
「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい」て、言ってますからね(新約聖書『マタイ19章16-26節』)。
と、イエスがこのように青年に諭す場面があります。

また、矛盾しますが、教会は民衆から税や「贖宥状(免罪符)」などの手段で金を搾取しまくっており、デカい教会はバンバン建てるわで、教会自らが放蕩の、いや、蓄財の権化みたいな体(てい)をなしていたのに、「お前ら蓄財やってんじゃねえ!」とツッコミが来なかったのはラテン語を独占して、人々を文盲のままにしておいたからこそでしょう

ちなみに、さっきのイエスの言葉を思い出してほしいんですが、実は「商業」というのは洋の東西を問わず、ずっと蔑まれるものでした
朱子学(儒教)思想においてもそうです。王族や貴族といった支配階級はそもそも別格です。
農業は人の生命の源を生産するので尊い。また、農業ほどでないにしても工業の物づくりがなくては物理的に生活が成り立ちません。いずれも、汗水流して生産に関わるものですから尊い、と考えられていました。江戸時代の「士・農・工・商」の上からの序列の意味がこれで分かります
つまり、江戸時代のコレ、チャイナから輸入された朱子学(儒教)の思想なのです。(いずれ、日本編はやります)

先ほどのカルバンの「予定説」では、この世における人のあらゆる生活は神様に対する勤めであることにもなります。頑張って仕事に専念し、更には「禁欲」を徹底して仕事で成功すれば、当然のことですが副次的なこととして蓄財も発生します。
第一義的には、他人に良い商品を売って、他人は喜んでくれた(これまで禁止されてた金はたまったけど)。てことは、「オレは隣人愛にも成功したんだ」となり、ますます自分は天国への扉が開かれた「選ばれし者」であると確信を持てるのです。


このようにして、宗教改革で生じた新たな生活倫理、これが「蓄財の肯定」なのです

ボクは歴史を科学で考えるので、当時の歴史事情や常識を考慮し、客観的に文献で事例を取り出して、極力今の価値観から断罪しないようにしながら、その功罪を判断しておかねば、といつも思うので言っておきますが、この「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教」シリーズを通して、カトリックやカルヴァンをこう書いてくると、カルヴァンがすごくイイ人のように見えますよね?つまり、カトリックが悪でカルヴァン派が善みたいな。

しかし、カルヴァンにはスイスで宗教改革を行った当初はやはり反対派が多くて、一時ジュネーブから追放されました。けれども、戻ってきた1541年から14年に渡って市政の実権を握り、「神権政治」という超厳格な教会改革と政治改革を実行したせいで、異端者をひっ捕らえて生きたまま火刑にするということもやっています。また、他にも独裁の恐怖政治を敷いて反対派などをバリバリ処刑に追いやってます。

こんな恐ろしい負の側面も過分にあるので、ぜひとも両論併記しておきましょう(どっかの国の、フェイクニュースで昨今読者数を減らしまくっている「朝○新聞とは違います→夕刊フジ 12/5(火)『朝○新聞の購読やめた』ツイッター大反響、長崎・平戸市長を直撃 『信用が著しく落ちている』 )。

余談ですが、カルヴァン派の「予定説」に基づく、こうした教義内容の性質に注目して、16世紀の一連の宗教改革と資本主義という新たな関係を逆説的に論じたのが、19~20世紀の大経済学者:マックス・ウェーバーの名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年)です。

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マックス・ウェーバー(Max Weber)
プロイセン生まれの、バカシブ男の代名詞!!
■1864年4月21日~1920年6月14日 (56歳)
■父は政治家、母は上流階級出身の敬虔なプロテスタントの裕福な家庭の長男
■政治学者・社会学者・経済学者

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「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年)

これは本当に皮肉なことなんですが当時最も金儲けに否定的であったキリスト教という宗教が、ルターによって原初の聖書に戻り、そして、そこから派生したスイスのカルヴァンによって金儲けを積極的に肯定する論理づけと、資本主義を生み出してしまったということになります
つまり、最もカトリックが嫌っていた商業(金儲け)に正当性を与えたということになります

でも、歴史上、カトリックがやらないけど、誰かがこの商業をやっていないと貨幣経済は成り立ちませんよね。
「・・・一体誰がやってたんだろ?」と思いませんか?

ルター以降、そして活版印刷術による聖書の大量な広がりによって、そこに書かれた内容を知ったキリスト教徒によって、蔑視されていった人たちです。

それが「ユダヤ人」。

次回、お楽しみに~!

もうすっかりスッキリ朝ですが、オヤスミのハマ口推奨の一曲でお別れです。


「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」

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みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -

今年も残すところあとひと月となりましたが、この2017年はルターの宗教改革500周年でした。

ReformationLogoLutherjahr.jpg
ドイツ連邦共和国大使館・総領事館HPより

宗教改革のことを、英語では「Reformation」と呼びます。作り変える、再構成する、といった意味ですね。英語の方が内容をよく表していると思います。

 2017年は、ルターがヴィッテンベルク城門に「九十五ヶ条の論題」と張り出してから、500年目に当たる。ルターが論題を張り出したとされる10月31日には、宗教改革500年を記念する行事が各地で行われたが、ヴィッテンベルクでは、縁の教会でプロテスタントの牧師とカトリックの神父が合同で礼拝をし、両宗派の対立を克服し、その絆を深めようと試みられた。ドイツ国内外から1500人の信者が集まり、カトリックのゲアハルト=ファイゲ神父は「今年は和解に向けた大きな突破口となる。キリスト教徒は、難民問題などの不正義を前にして沈黙しているわけにはいかない」と世界の課題に協力して取り組む必要性を訴えた。プロテスタントを代表して中部ドイツ福音主義教会監督のイルゼ=ユンカーマン牧師は「合同礼拝を開けたのはお互いの信頼が深まっていることの証拠だ」と語った。<朝日新聞 2017年11月1日>

未だにプロテスタントとカトリックの間には和解がないんですね。やはり大変根が深い問題です。何せ500年

この「95カ条の論題」を1517年に発表した後、ヴォルムス帝国議会で法律の埒外に置かれたルターは、ヴァルトブルク城で聖書のドイツ語訳を行ったこと、これはこのブログでも書きました(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、 オランダ 6」参照)。

なぜヴァルトブルク城なのでしょうか?

実は当時のローマ教皇領のあり方に、もともと疑問を抱いていたザクセン選帝侯フリードリヒ3世がいたからです。

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<DATA>
フリードリヒ3世(Friedrich III)
■1463年1月17日~1525年5月5日
■ヴェッティン家のザクセン選帝侯(在位:1486~1525)
■賢明公、賢公(ドイツ語:der Weise)と称される。

神聖ローマ皇帝:カール5世のヴォルムス帝国議会でのルター処置に対し、「あの不届き者のルターは私が誘拐した」という名目で、居城にかくまったのです
というのも、フリードリヒ3世はカール5世の皇帝即位の際の立役者であったことと、例の帝国によるイタリア戦争まっただ中の、かなり政情不安定な状況にあったため、カール5世はフリードリヒ3世にはキツイ処置をとれなかった、という事情があります。

しかも、ローマ教皇レオ10世にしても、ルターをかくまっているフリードリヒ3世はハプスブルク家に対抗するためには蔑(ないがし)ろにできない神聖ローマ帝国内では大諸侯であるということで、カール5世と同様、フリードリヒ3世に対してあまり強硬には圧力をかけられなかったという、ルターにとっては幸運な状況もありました。

ともかく、ルターはこの間、城内で聖書のドイツ語訳に勤しむのですが、これが約1年間続きました。外出もままならないので、ルターは精神的にも辛かったといわれていますが、このルターによるラテン語新約聖書のドイツ語訳化によって、世の中の人々に聖書の正しい内容が知れるようになったことの意義は大きいのです。しかも、のちに活版印刷によって大量に。

「歴史の必然」という言葉はこういう時のために使うべきでしょう

ルターの影響下で行われた戦争が、その後すぐに発生します。

1522年にはフッテンとジッキンゲンら、ルターに影響を受けた騎士たちが「騎士戦争」を起こしますが、これは大諸侯に鎮圧されて失敗に終わります。

また、1524年には、南ドイツからドイツ全域にまで拡大した「ドイツ農民戦争」が勃発します。

この「ドイツ農民戦争」は、教会の説教師であったトマス・ミュンツァーが指導者で、教会だけでなく、封建領主への不満も爆発する形となって大規模化していきます初めはこの農民たちに同情的だったルターも、あまりの凄惨な殺戮ぶりに辟易して批判するようになります

この戦争も諸侯軍によって鎮圧されました。その後は、鎮圧した諸侯による懲罰がまた過酷を極めることとなり、この懲罰で約10万の農民たちが命を落としたと言われています。

まあ、この辺りの顛末(てんまつ)は学校の教科書でも書いてある通りなのですが、カトリック教会がやっている、あの「贖宥状(免罪符)」を、キリスト教会からの「破門上等!」で、ルターが許せなかった理由の根っこに当たる部分は何でしょうか?

それは、人権などの思想がなかったこの時代においても、「魔女狩り」という手段で人を殺して、財産をせしめようというような、あまりに宗教原理を超えすぎてしまった危険思想であるがゆえに、「オレは教会のやつらが、無知な人たちにやっていることを絶対に許さんぞ」という、ローマ・カトリック教会に対する強い怒りであった と、思われます。

今ここで、「破門」という言葉を使いましたが、我々日本人が考える以上に、これはキリスト教徒にとっては遥かに恐ろしいことなのです

1077年に、同じ神聖ローマ帝国内で「カノッサの屈辱」という出来事がありました。

ちなみに、ボクらが大学時代の90年代前半にやってた、同名のフジTVの番組がありました。仲谷昇、伊武雅刀が教授に扮して教養を語るというすごく微妙な内容でしたが、この事件とは一切関係のない内容でした。いつこの話になるのかとちょい期待だけはしてましたが・・・。

この「カノッサの屈辱」という事件の概観を少し述べておきましょう。

自分に都合が良いカトリック司教を勝手に任命していた、時の神聖ローマ皇帝:ハインリヒ4世が、止めとけという教皇からの通達をシカトし続けていたところ、「お前、何いつまで勝手にやってんだ!キリスト教から破門じゃい」ということで、その任命する権利を時のローマ教皇グレゴリウス7世から剥奪されてしまい、怖くなってしまします。

そして、1月25日から3日間、雪が降りしきる中、ハインリヒ4世は北イタリア、トスカーナ女伯マティルデのカノッサ城に滞在しているグレゴリウス7世の許を訪れ、カノッサ城門外で何と裸足のままで断食と祈りを続け、「すんませんでしたー!!」と土下座してひたすら謝ります。それでようやく教皇から破門を解いてもらった、とかいう事件です。

 Cannossa gate
土下座して謝るハインリヒ4世と側近たちの図 August von Heyden, 19th cent

「破門」されると、キリスト教から完全に排斥されます。また、都市の保護も受けられなくなります。教会の墓地に埋葬されることも出来なくなります。破門された人間と交流を持つことは禁止されるので、社会からも追放されたも同然になります。で、この「魔女狩り」の時代には、異端として、見せしめのために火刑に処せられるのです。

さあ、ここまで考えるとどうでしょうか。

前回の話、復習しておきましょう。
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」

カトリックから破門されて異教徒 or 異派になってしまうと、(仏教と違って「輪廻転生」という考えがないから)二度と這い出ることの出来ない(仏教と違って「輪廻転生」という考えがないから)、あの恐ろしい地獄に直行です!
キリスト教地獄絵1

予想通り、ルターは1521年に教皇レオ10世から「破門」されてしまいますが、この時ルターはこれについてどう考えたのでしょうか・・・。 
今となっては知ることが出来ませんが、ルターではなく、破門するカトリック教会側に非があることは明らかな状況とはいえ、破門ですからね…。

ただ、ルターはその後も精力的に聖書の翻訳事業も続けています。そうして、各地のルター派諸侯の間を回りながら領邦教会の成立を進めていきます。また、1534年には念願だったドイツ語版「旧約聖書」も「新約聖書」に続き、完成しました。

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ドイツ語版「旧約聖書」(1534年)

また、こうした中、ルターの影響を受けた一人がスイスのツヴィングリです。彼はチューリヒの説教司祭となり、チューリヒでのカトリック教会との公開討論に勝利します。そして、市参事会の支持を得て聖像やミサの廃止などの教会改革を押し進めますが、聖餐(せいさん)問題(内容は書くのがめんどくさいんで特に書かなくても良いでしょう)などの思想がルターと異なって、結局対立しました。

Ulrich-Zwingli-1.jpg
<DATA>
フルドリッヒ・ツヴィングリ(独: Huldrych Zwingli)
■1484年1月1日~1531年10月11日
■スイス最初の宗教改革者・革派教会の創始者

ちなみに、ルターより先に聖書をドイツ語訳したのはツヴィングリです。

その頃、スイスのチューリヒからのツヴィングリの宗教改革は案外進んでいて、スイスの北部諸州から西南ドイツ地方にまで影響を及ぼしていました。しかし、やはりカトリックを維持したままの諸州との紛争が絶えず、ついに内ゲバにもなってしまいます。「カッペルの戦い」でチューリヒ軍は壊滅し、ここに従軍中のツヴィングリも戦死します。こうして、彼の死をもって改革運動は停滞し、ツヴィングリ派はのちにカルヴァン派に吸収されていくのです。

ツヴィングリのソードとかぶと
カッペルの戦いでツヴィングリが身に着けていたと言われるソードとかぶと
引用:「宗教改革から500周年 宗教改革 もう一つの重要な舞台となったスイス」

このツヴィングリの死後、スイスの宗教改革の中心はチューリヒからジュネーヴに移っていきます。このジュネーヴで宗教改革を行ったのが、現在のプロテスタントの直接的な源流となった、あのフランス人のカルヴァンなのです。

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「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革 -」

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みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革 -

「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9  - アントウェルペン編(1) -」 の最後で、このように質問しました。

問い:「ヴェニスの商人」(シェイクスピア作と言われてい…もごもご)に出てくる、主役の一人「シャイロック」というユダヤ人がいますが、彼はなぜ金貸しをしているのでしょうか、次の中から選べますか?

1.儲かるから。
2.元々が金持ちだから。
3.自分の天職だと思ったから。
4.金貸しの才能があったから。


この答えを出す前に、当時のキリスト教の実態を知っておく必要があります。まず、16世紀までの、いえ、ルターまでの、と言った方が適切でしょうか。

この世の中では、概ねこのような流れになっていました。簡単な因果関係はこんな感じです。

<カトリック編:因果関係>

(因):この世で良い行いをする。
(果1):良い行いをした人は「天国」へ。
(果2):悪い行いをした人は「地獄」へ。


更に具体的にはこのようになります。

(目的)死んだら、みんな地獄でなく、天国に行きたい。

ちなみに、酷いのばかりですが、比較的ライトなキリスト教の地獄絵を載せておきましょう。

キリスト教地獄絵1

「アウグストゥス作『神の国』より挿絵  15世紀」
地獄に落とされた人々が、煉瓦造りの釜や巨大な鍋でぐつぐつと煮られています。
神に反抗している悪魔達も、嬉々として地獄では率先して罪人たちを苦しめています。


(因)そのためにこの世で良い行いをする。

(語義)「良い行い」とは何か。修道士:ヨハン・テッツはこんな話をしています。引用してみましょう。

「お前たちは神と聖ペテロが呼んでいなさるのが聞こえないのか。お前たちの霊魂とお前たちの死んだ親しい者の救いのことを思わないのか。…そもそもお金が箱の中でチャリンと音を立てさえすれば、魂は煉獄の焔のなかから飛び出し天国に舞い上がるのだ。免罪符を買えば、キリストの母マリアを犯しても許されるのだ。」(半田元夫・今野国雄 1977 「キリスト教史・・・」(世界宗教史叢書)山川出版社)

(勧誘)これであなたも天国へ!さあ、悪いことをやってる奴ほど「チャリン」のお金の音をたくさん響かせよう!!

(果1)お金をたくさん寄付した人は天国へ行けます。
(果2)お金をたくさん寄付しないお前らはとっとと地獄へ行け!

(条件)ただし、天国へ行くためには正統なカトリックである必要があり、異教徒や異派はそもそも天国へ行く資格はない、地獄行は確定してます。あのダンテが「神曲」で14世紀初頭にもこういうことを書いてます。


Portrait_de_Dante.jpg

「サンドロ・ボッティチェッリによる肖像画(1495年)」
<DATA>
ダンテ・アリギエーリ Durante Alighieri
■1265年~1321年9月14日(56歳没)
■イタリア、フィレンツェの詩人、政治家
■代表作:「神曲」「新生」

あくまで、ルターが宗教改革を行った「当時の」という条件下ですから、ご了承ください。

さて、日本人にはよく分からない内容かもしれません。ただ、この因果関係の「形」だけは「仏教」と同じです。これも超ごく簡単に書いておきます。

<仏教編:因果関係>

(因):この現世で修業する。
(果):修行次第で六道(りくどう)(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)のいずれかに転生する。


具体的にはこんな感じでしょう。

(目的)死んだら、みんな地獄でなく、極楽へ行きたい。

仏教のも酷いのばかりですが、これも比較的ライトな地獄絵を載せておきましょう。
仏教地獄絵図


(因)そのためには現世で修業しなければならない。

(語義)「業(カルマ)」とは何か。現世に生きていると必ず積み重なってしまう罪。歩いていると知らず知らずにアリを踏みつぶすという殺生をやってるかもしれないし、顔に出さずに「あいつムカつく」と心で思っただけで仏教では罪です。だから、生きていると必ず積み重なってしまいます。

(勧誘)極楽へ行くためには、ウチの宗派に入って念仏を唱えて修行しよう!「悟り」を開けるかも!?(凡人には普通無理だけどね~)。

(果1)上手く修行できた人は、上から「天上」「人間」「修羅」のいずれかに転生できます。
(果2)修行せずに業が溜まって死ぬと「畜生(牛とか豚とか)」「餓鬼」「地獄(最下位)」のどこかに落とされます。
詳細はコチラのページで紹介されています。特に地獄の種類… 「仏教世界の「地獄」はどんな場所か」

このように内容は全然異なりますが、因果関係の「形」だけは似てますね。
良い行いをするから→天国。悪い行いをするから→地獄、という部分です。

ただ、この二者で決定的に異なることがあります

それは、来世があるかどうか、という点です。
単純化すると、仏教ではいずれにしても来世へ転生出来るという可能性があるのに対して、キリスト教ではあの恐ろしい地獄へ行くともう終了~ということです。

これほど世界中で科学教育が進んでしまうと、現代では「そんなバカな」と思うでしょうが、当時まともな教育などありません。識字率ですらヨーロッパでは相当低かった、という事実もあります(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8」参照)ので、教会が地獄の怖さを流布すればするほど、ヨーロッパの人々の間では死ぬともう二度と這い上がれない「地獄」への恐怖は半端なかった ということなのです。

この、民衆におけるとてつもない恐怖を悪利用したのが、「贖宥状(しょくゆうじょう)」またの名を免罪符」 と言うのです。

「信仰によってのみ義とせらる」とするルターの立場(これを「福音主義」と言いました。※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、 オランダ 7」参照)は、カトリック教会がやっているような無慈悲な金もうけでなく、聖書に書いてあることを中心にしようという主張であり、聖書のみを仲立ちとし、信仰によって人々は神と直接結ばれるべきだとする立場です。

このように当時のカトリックの悪行を批判し、原初のイエス教えが記載されてある聖書に正しさを求めた、ということで「改革」なのです

次回は、このルターの宗教改革以後、プロテスタントの変遷はどのように遂げたかを書きます。お楽しみに~!

今日のテーマに最もふさわしい、ハマ口推奨、今日の一曲はこちらです。






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10:黒崎教会 1

ここ1か月、長崎の教会巡りをし、関連書物を読んで、初めてこんなに深く学ぶうちに、ふと気づいたことがあります。

キリスト教の布教は、単にその思想内容の伝道だけでなく、「科学技術」と必ずセットであるということです。教会の建設も含まれるので、もちろん数学と物理学が投入されるのは当然ですが、医学・生物学・農学など、人を科学的に救おうという神父さまたちと信者さんたちの並々ならぬ意志と努力が感じられるからで、そこには間違いなく人種を越えて積み重ねてきた人間の英知が惜しみなく投入されています。これは筆者にとってはかなり印象深いものでした。これまで抱いてきたキリスト教観念が良い意味で破壊され、長崎って本当に素晴らしい学びの地だなぁ~とつくづく思います。

現代と違って、なにせ少なくとも100年以上も前の時代だから教科書となるものも少なく、西洋の母国から簡単に情報が入手できる環境にないという不便さ、江戸幕府による禁教という恐るべき思想弾圧なども加味しなければならないでしょう。

今回の黒崎教会は、外海地区にあるレンガ造りの大変美しい教会です。軽々しく「美しい」という言葉を使ってますが、この美に至る苦難の歴史は元亀二(1571)年より始まります。では、黒崎での歴史をまず振り返ります。

教会内リブ・ヴォールトの天井(「こうもり天井」とも言う)も大変素晴らしい教会です。
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煉瓦の色も夕陽を浴びてとてもキレイです。
DSC02490.jpg

1571年1月末、カブラル神父らが初めて外海への布教を行った。外海は長崎の中心部からも大村からも外れにあり、管理の目が行き届きにくいということからも、「潜伏キリシタン」の信仰が続いた。この要因として、日本人伝道師バスチャンの功績が大きいと言われている。バスチャンは元々長崎の深堀町平山郷布巻の出身で、深堀の菩提寺の下男をしていたらしく、治兵衛という名であった。そして、宣教師サン・ジワンの弟子になって伝道活動を行うようになった。

サン・ジワン師は、1609年6月26日アンドレア・ベソア率いるポルトガル貿易船ノッサ・セニョウラ・ダ・グラサ号に乗船して、長崎港へ入港したが、長崎奉行長谷川左兵衛藤広、代官村山等安はこの船を冷遇した。貿易品の取引も船の接岸も禁じられ、乗組員の上陸も認められず、べソアは上陸許可を願ったものの受け付けられなかった。奉行の悪計と徳川家康との連絡外交上の駆け引きやオランダとイギリスの中傷もあった。長崎への入港後6ヶ月経過した1609年12月29日有馬軍勢の攻撃へと発展し、遂に1610年11月3日神の島の沖で爆沈した事件に巻き込まれるのである。
ジワン師は海に飛び込み泳いで深堀の教会に難をのがれ、ここで初めてバスチャンと知り合いになり、しばらくここにいたという。そして、福田、手熊を経て外海への伝道を行った。サン・ジワン師は亡くなる前に「私が死んだら海の見える高いところに葬ってください。私の見える範囲で守る」と言われたため、遠くまで見える山の高い所に葬ったのが、このサン・ジワン枯松神社であるとされている。
枯松神社
<枯松神社>

このサン・ジワン師が弟子バスチャンを育て、バスチャンはサン・ジワン師の指導により1634年の教会暦をもとに、日本語による初めての教会祝日表を編纂した。これが後に「バスチャン暦」と呼ばれ、キリシタン迫害のもとで潜伏を余儀なくされたキリシタンたちの信仰生活の規範となったものである。

バスチャンこと、トマス次兵衛は別名:金鍔(きんつば)次兵衛と呼ばれる。「金鍔」という名は、長崎奉行所で役人に成りすましていた際に、腰にさしていた刀の鍔に由来する。禁教令による迫害を逃れマニラに渡ったが、後に密かに帰国し、厳しい取り締まりの中変装し次々と居場所を変えて各地を宣教したが、捕らえられ長崎で殉教したと伝えられる。

彼は1627年にマニラで司祭叙階、31年に帰国して宣教に励んだものの、禁教が激しくなっていた1634年にその正体が奉行所に発覚した。バスチャンは追手から逃れるため隠れ家を転々とした。

バスチャン屋敷
<バスチャン屋敷> うっそうとした山深く、細い清流の横にこのバスチャン屋敷はある。

明暦三(1657)年、「郡崩れ」が起こった大村では、603名のキリシタンが捕えられた。この「郡崩れ」によって、あまりに多くの首はねた役人が疲れ、信徒を生きたままムシロに包んで大村湾に投げ捨てた。それが内海の海岸に打ち寄せられ、いち早くその始末に走ったのがバスチャンだった。こうして、バスチャンは数々の善業に身を費やし、信仰を絶やさなかった。しかし、出津の浜の住人、黒星次右衛門がバスチャンを密告。立ち昇る夕餉の煙で谷間の隠れ家が役人の目にとまり、捕縛され長崎桜町の監獄へ護送。ここで度重なる拷問を受けて、1636年11月6日、あの西坂の丘で二度の逆さ吊りの刑を受けて殉教した。

「郡崩れ」とは、

明暦3年(1657年)のある日、長崎に住んでいた池尻理左衛門は、大村から遊びに来ていた知人から次のようなことを聞きました。
「郡村の矢次という所に、天草四郎の生まれ変わりという神童が現れてのう。その神童は萱瀬村の山奥に不思議な絵を隠し持って、実に奇妙な術を説くんだそうじゃ。もしおまえさんがこの術を見たければ、そこにつれていってもよいが、どうじゃな。」
こう語ったのは大村の郡村に住む兵作という男でした。話を聞いた理左衛門は、すぐにキリシタンだとわかりました。そこで、聞き流しておいては大変と思い、すぐに町役人に知らせました。そして、その話を受けた長崎奉行は早速、兵作を取り押さえました。
長崎奉行からただちに使いが大村へ飛び、藩内にキリシタンがいるらしいという知らせに、大村城内は大騒ぎになりました。そして連日、兵作の妻子や近親者、萱瀬の山中の隠れ家に集まっていた者たちが次々と捕らえられました。天草四郎の再来と呼ばれた少年は、名を六左衛門といい、その家族が中心となって、ひそかにキリスト教の信仰を続けていたのです。それは、長年の間に日本の習俗などと交じりあって、まじないのようになり、その力で多くの信者を引きつけていました。信者たちが集まった場所は、萱瀬の仏の谷にある十畳敷きほどの岩陰でした。
事件は日を追うごとに、郡村、萱瀬村、江の串村、千綿村へと広がり、ついに逮捕者は603名にものぼりました。取り調べの結果、疑いの晴れた者99名、永牢者20名、取り調べ中病死した者78名、そして残り406名が打ち首と決まりました。打ち首になる者はあまりにもその数が多かったため、各地に分けて処刑することとなりました。大村では131名、長崎118名、佐賀37名、平戸64名、島原56名とそれぞれの地で処刑されました。
大村で処刑されることとなった131名は、刑場となった放虎原に引き立てられました。途中、妻子、縁者との最後の別れが許されました。その場所となった西小路には、今も「妻子別れの石」が残っています。刑場に着いたキリシタンたちは、四列に並べられ、次々に首を打たれていきました。切られた首は、処刑されたのち約20日間も、見せしめのため大曲の獄門所で、さらし首にされました。その後さらされた首は、原口にあった榎の根元に、胴体は処刑後まもなく桜馬場の道路脇に、それぞれ埋められました。現在その地は首塚跡、胴塚跡として伝えられています。
この事件を「郡崩れ」といい、これをきっかけとして、事件のあった一帯からは、キリシタンの姿はまったく消えてしまいました。

「大村の歴史」より抜粋


次回は、この黒崎の地での「カクレキリシタン」と「潜伏キリシタン」について。




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