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出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5

2017年11月24日、出島表門橋開通に先立って、長崎市とオランダのライデン市との姉妹都市提携が結ばれました。

姉妹都市提携図
画像引用:ライデンと姉妹都市に 長崎市 シーボルトが結んだ縁 [長崎県] 西日本新聞

・・・てか、まだやってなかったの?

という行政の歴史ウ○チぶりですが、よくそれで歴史とロマンの街を標榜出来るよなぁ~とあきれ返っている人も多いのではないでしょうか。

オランダを知るという目的から発したこのシリーズですが、オランダの独立は、神聖ローマ帝国とスペイン、イタリア、フランス、そして、イギリス。加えて、カトリックとプロテスタントのせめぎ合いの中から果たされるので、どうしてもこの一見長そうに思われるネタ振りは必要条件なのです。

これを知らずして、この今のオランダと真の友好は果たせません。


ということで、前回の続き。カール5世(カルロス1世)の息子の一人で、「太陽の沈まない帝国」を築き上げた、フェリペ2世再登場です。

King_PhilipII_of_Spain.jpg
このフェリペ2世については以前のスペイン・ポルトガル関連カテのブログで、(「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 5 最終回 ‐グローバリズムの落とし穴‐)で書きましたので詳細は省きます。今のフィリピンの国名の元となった人であります。

ここで、オランダとのリンクが生じます。ぜひとも、理解を深める準備としご参照ください(おヒマでしたら、「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか?シリーズも通してお読みくださいね♡)。

スペインの、いわゆるアメリカ「新大陸」での暴虐ぶりはここで改めて書くまでもないでしょう。
しかし、全部読まれた方、「南『蛮』人」の意味は十分理解できたと思われます。

そもそもです。
「イエズス会」という言葉は「イエスの軍隊」という意味です
1540年には教皇パウルス3世によって、「ま、そういうこと」という公認も出ます。自ら言ってしまっているので、これはボクの創作でも何でもありません。

1925年発行の100ペセタ紙幣にはフェリペ2世の肖像が使用されていました。
1925年100ペセタ

ここには「他国の人たちの感情に配慮して」といった、どこかで聞いたことあるような気配りはミジンコほども感じられません。インディアン大虐殺を行ったコルテスやピサロの肖像紙幣も以前紹介しました(※「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 3」)。まあ、別段これはスペイン紙幣に限った話ではないですが…。

この神聖ローマ帝国との抗争としては、前回もちらっと触れましたが、さかのぼること12世紀以降はドイツ皇帝とローマ教皇との抗争が激化し、イタリア国内で都市の大商人を中心とした教皇支持派「教皇党(ゲルフ)」、貴族・領主などを中心にしたドイツ皇帝支持派「皇帝党(ギベリン)」がありえないほど争っています。

このイタリアでの状況下で劇化されたもの、何だか知ってますか?

「ロミオとジュリエット」(シェイクスピア作、と一応言われてます…もごもご)です。あれはまさにこの教皇党と皇帝党の抗争下における、恋愛を描いた作品です(中ぼーの)。

皇帝派のモンタギュー家の息子として生まれたロミオと、教皇派のキャピュレット家の娘ジュリエットが、両派が血の雨を降らせる抗争を繰り返していたさ中に、互いの家の空気も読めずに付き合っていた、今でいうところの中学生らの話です(ちなみに、ロミオ15歳。ジュリエット13歳の設定です。だから中ぼー)。

「おー、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの?」
これを、
「おー、(よそ者神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世シンパ家の)ロミオ。あなたはどうして(ウチのローマ教皇グレゴリウス7世をディスる)ロミオなの?」

と、いうように心の中で(  )を補って読むと受験にも役立ちます。

また、時代を少しさかのぼって周りを見渡すと、13世紀末にはスイスが神聖ローマ帝国の圧政に耐えかねて、市民や農民らが独立抗争を繰り広げていますし、スペインとポルトガルがあるイベリア半島は、8世紀以来、北アフリカをまわってきたイスラム教徒に支配されているという状況でした。

イベリア半島を初めに支配したイスラムの後ウマイヤ朝は、4世紀以降の「ゲルマン民族大移動」で、イベリア半島のキリスト教化(きょうげ)を推進した西ゴート王国に比べ、他宗教に寛容でした。ここでの被征服者にイスラムへの改宗を強制せず、その代わりにジズヤ(人頭税)を納めさえすれば、ユダヤ教徒、キリスト教徒の区別なく、信仰を保持していいよ、というゆるい統治でした。

その後を継いだナスル朝では世界で最も美しいとされる、あのアルハンブラ宮殿が造られました。14世紀に完成したとは思えないほど、数学・物理学を駆使したその造形美に魅せらて、世界中の人が訪れます。

夜のライオンの中庭
ライオンの中庭

カルロス5世宮殿
カルロス5世宮殿

1492年という、コロンブスのいわゆる「新大陸発見」と同年、このナスル朝の都グラナダがキリスト教徒によって陥落され、以後イベリア半島にはカトリック勢力が広がっていくのです。

ちなみに、「ロミオとジュリエット」のハリウッド版が、
「ウエストサイド物語」(1961)です。
ウエストサイド物語

話を戻しましょう。

このフェリペ2世は熱心なカトリック教徒でした。だから、当然のように広大な自国領域にもカトリックによる国家統合を理想としています。

「異端者に君臨するくらいなら命を100度失うほうがよい」とまで言っているほどです。

このある意味強硬なカトリック支配に対し、16世紀、公然と反旗を翻した国がありました

その名は「ネーデルラント」。

つづく

dejima_agin_rogo-3.png

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出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4

オランダの歴史、どこから攻めようかとあまりに悩みすぎながら、明け方までブログを書くのでストレスでハゲる(ような)気がしてなりません。

古代ローマ皇帝:ジュリアス・シーザーこと、ユリウス・カエサルは、元老院から「ハイ次、モエクス・カルウス君」と呼ばれると、「私ですが、何か?」と応対して笑いをとっていたとかいないとか…。

は?どういう意味?と思われるでしょう。

ボクはラテン語を話せないので不明ですが、「モエクス・カルウス」君は「ハゲの女ったらし」という意味らしいです。ついでに言えば、カエサルはとてつもない借金王ですが、のちプトレマイオス朝エジプトの最後の王:クレオパトラ(7世)とデキてしまいます。「クレオパトラ」(1963年 アメリカ)という映画ではエリザベス・テイラー扮するクレオパトラと、レックス・ハリソン扮するカエサルでした。カエサル死後にクレオパトラが誘惑するのはリチャード・バートン扮するアントニウスですが、この二人はホントにデキてしまい、結婚までしてしまい、のち離婚と結婚を繰り返します。

Cleopatra_poster.jpg

カエサルのように、この不名誉なあだ名を自認出来て、かつ、背水の陣で一同の笑いとろうとするほどの勇気と度量がないと、やはり歴史に名を残す栄誉は手中に収められないのかもしれません・・・・・・・・・・・・・。これを「歴史に名を残す法則1」と名付けておきましょう。まぁ、ボクはどっちか言えば、現世における栄誉(髪フサフサ)を採りたいですが。

Julius_Caesar_Coustou_Louvre_MR1798.jpg
Gaius Iulius Caesar
<ガイウス・ユリウス・カエサル立像>
ニコラ・クストゥ作、ルーヴル美術館所蔵
紀元前100年頃(紀元前102年とも)~紀元前44年3月15日
カエサル(シーザー)の名が「皇帝(カイザー)」を表すようになる。
で、立像の頭には月桂樹が!
「名誉の証として与えられた月桂冠をどこでも被っていいよ」という特権を与えれた際は、めっちゃ喜んだとされています。やはり、気にはしていたみたいす。

さて、どーでも良い話を軽いジャブにしといて、よーやく本題に入って行きます。

お待たせしました


オランダはスペインでした!(16世紀中頃~)

前回までのシリーズで、「オランダという国はない」、「オランダ人は今一番デカい」とさんざん言って来て、今回はコレ。もう訳が分からなくなってきた人も多いかと思います。
しかも、
最初はドイツでした!
などと言ってしまうと、もうええわwwwとお叱りや誹(そし)りを受けるかもしれません。

しかし、コレぜんぶ本当です。
ただ、当時のヨーロッパでは「オランダってどこよ?」って認識だったハズです(水浸しの低地だし)。

地図で現在の位置確認しときましょう。
map2.jpg

実は、ここらへんの事情を根こそぎ説明しながらオランダ史を描くと、浜口改めメカ口の複雑極まりない数量計算によれば、ガチで3冊分の本が完成します。

まぁ、どうにか手短にやってみましょう。

やや古めの話からすると、かつてこの辺りにあった強力な国:フランク王国がヴェルダン条約とメルセン条約によって三つに分裂します。これが9世紀半ばから後半で、今のドイツ・フランス・イタリアの元が出来ました。
ヴェルダン・メルセン
引用:世界の歴史まっぷ より

そのうち、ドイツ辺りにあった東フランクのザクセン家2代目オットー1世という人が、ハンガリーの祖であるマジャール人をレヒフェルトの戦いで完膚なきまでに撃退し、ついでにスラブ、ボヘミア、イタリアを制圧してしまいました。

Otto_I_HRR.jpg
Otto I.
<オットー1世、ルーカス・クラナッハ画>
位 936年 - 973年(東フランク王)
位 962年 - 973年(ローマ皇帝)
912年11月23日~973年5月7日

そんな感じですから、時のローマ教皇ヨハネス12世がその当時イタリア国内で、あーだこーだいろいろあって悩み中(でハゲそう)だっとこともあり、「もう君が皇帝やって、ここらでまとめてくれよ」ということで、476年に滅んだハズの西ローマ帝国の皇帝復活~!となります。
これをもって世界史では「神聖ローマ帝国」誕生、とすることが多いです。と、ドイツ近辺が中心なのに「ローマ」がついているのがポイントです。コレをつけたほうがお洒落だと思ったのでしょうか・・・。これが後に思わぬ落とし穴にハマってしまうことにもなります。

この「神聖ローマ帝国」というは、ナポレオンによって支配される1806年まで、わりあい長いこと継続します。あの十字軍(という名の殺戮団)を送り込んだのも最初はこの帝国です。ただ、基本的にはドイツを中心としているものの、下手に「ローマ」という名がつくし、カトリックを保護育成する政策もとった国だったし、「やっぱ、魅惑のローマ欲しいよなぁ~」ということで、歴代皇帝が度々イタリアを乗っ取ろうと企んでばかりいました。これに対し、さすがに干渉されるイタリアも無策ではなく、奴らの侵入経路にあたる北イタリアのジェノヴァやヴェネツィアなどの都市が独立して、神聖ローマに対抗すべく都市同盟を結んで抵抗を続けます。

ずっとこんな体たらくで、皇帝らがすっかりイタリアにかまけてるものだから、国内は当然まとまりがなくて、地方の諸侯たちがここぞとばかりに強くなっていきます。

実は今のイメージのドイツという国が史上初めて出来るのは、ビスマルクがまとめる1871年なのです。 この話、そのうち別のカテゴリーにてやろうかなと思ってはいます。

それまではこうした事情もあって、なかなか統一国家を作るのが出来ませんでした。13~14世紀になると、「領邦」と呼ばれる小国家が何と帝国内に300ほども出来てしまい、そいつらが勝手に独自の貨幣鋳造権や外交権を持つようになっていきます。ひいては、1256年から20年足らずほど、まともな皇帝がいなくなるという「大空位時代」が訪れるわで、こうなるとコレほんとに「帝国」と呼んでいいんだろうか?という疑問しかわきません

しまいには、帝国内の7人の大諸侯たちが集まって、自分たちに都合の良い人間を皇帝に決めてしまうという有様です。

すったもんだするうちに、帝国内のオーストリア近辺で、1273年より「ハプスブルク家」という一門から皇帝が選出され、ナポレオンに滅ぼされる1806年までずっと帝位を世襲し、強力になっていきます(※フランスとも対立します)。あの「ベルサイユのばら」でおなじみ、マリー・アントワネットの実家です。この一族から出たカール5世がフランスを越えたスペインで王位にもつき、スペイン王としてカルロス1世をも名乗ります。

1024px-Emperor_charles_v.png
Karl V カール5世(カルロス1世)
1500年2月24日~1558年9月21日
位 1519年 - 1556年(ローマ皇帝)
位 1516年 - 1556年(スペイン王)
戴冠
1520年10月22日 / 1530年2月24日(ローマ皇帝)
別号
ブルゴーニュ公・ブラバント公・フランドル伯・ルクセンブルク公
ネーデルラント君主・ミラノ公・ナポリ王・シチリア王

※アゴが長いですが気にしないでやって下さい。一族は「アゴのハプスブルク」と呼ばれています(「歴史に名を残す法則1」を適用)。

この時の領域がすさまじく広大で、ドイツ・オーストリア辺りは当然として、スペインはもとより、ネーデルラント(やっとココキタ(;・∀・))、ナポリ、ミラノ、アメリカ大陸にまで及んでしまいました。地政学的にはフランスが挟み撃ちにされて、ヤヴァす、となってますね、後の展開のためにチェックしときましょう。

カール5世の「ハプスブルク帝国」(16世紀中頃)
引用:カール5世 

このカール5世の時代なのです、いわゆる「大航海時代」が進み、そしてあの「宗教改革」が苛烈になっていくのは。ちなみに、カール5世の晩年は痛風の痛みとオスマン帝国のスレイマン1世との攻防やフランスとの戦争疲れ、この宗教改革などで、「もうオレ、無理 orz」となって退位し、二人の息子に領土を分けてスペインのユステ修道院へ籠ってしてしまいます。しかし、間違いなくカール5世はとても有能だったでしょう。この混沌としたヨーロッパ情勢、論理的に知るほどホントに面白い。現代につながる答えも、歴史を学ぶ意義もココらへんに山ほど転がってます!

<カール5世へ贈る、哀しみの秀歌>浜口改めメカ口作

痛風と止まぬ戦に耐えかねて
もとの濁りのパリよ恋しき


次回、痛風王カール5世(カルロス1世)の息子の一人について、からになりますが、いよいよスペインには太陽が沈まなくなります

「地獄より光明に至る道は長く険しい」と ジョン・ミルトンが「失楽園」で言ってます。
・・・オランダへの道はまだまだ続く(; ・`д・´) お楽しみに~!

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