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「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -

ユダヤ教(前13世紀)→キリスト教(後1世紀)→イスラム教(7世紀)。
この順番が歴史上での成立順です。

今回はココからスタートし、ついに、宗教改革・最終回(ただし、前編)となります。

さて、「The Creator」という言葉があります。
これが造物主であり、ユダヤ教における唯一神:ヤハウエです
「ヤハウエってどんな神?」とネットで画像検索しても出てきませんよ・・・。

The が付く時は、特別な存在を指します。creator だけだと、ただのデザイナーみたいな感じになります。

メジャーリーグのイチローも He is the one. と呼ばれています(第1回のWBCの時にはどっかの隣国でHe is one. と新聞でディスられましたが…)。

日本人や古代ギリシア、ローマは多神教なので、この唯一神の観念が非常に分かりづらいと思いますが、それはまたいずれ。

今回の核心に迫るべく、まずはユダヤの唯一神:ヤハウエは旧約聖書によれば、天地創造がどのようなものかを大ざっぱに書いておきました。

「創世記」天地創造 第1~2章
1日目 神は天と地をお造りになった。暗闇がある中に、神は光を創られ、昼と夜ができた。
2日目 神は空をお造りになった。
3日目 神は大地を造られ、海が生まれ、地に植物を生えさせられた。
4日目 神は太陽と月と星を造られた。
5日目 神は魚と鳥を造られた。
6日目 神は獣と家畜を造られ、神に似せた人をお造りになった
7日目 神は全てわざを終えられて、お休みになった。そしてこの7日目を聖であるとされた。


注目ポイントは、6日目です。造物主によって人が造られています。つまり、ユダヤ教ではあくまでも人間・その他は神が造ったものであるということです。ここを押さえておきます。

次に、ユダヤ教では、唯一神ヤハウエが救うのはユダヤ人だけです。他民族や他宗教の人たちは救われません。

これを「選民思想(せんみんしそう)」と言います
これはヤハウエとユダヤ人が契約したからそうなっています。
まあ、「ユダヤ人はヤハウエ以外の神を神としてはならない」と言っているのですが、「それなら、他に神がいることになるだろ!あなた唯一神じゃなかったっけ?」と矛盾するのですが、ドンマイです。

そして、ユダヤ人は大変な苦難を強いられた歴史がありました(ココ、伏線です)。

故郷イスラエルのカナン(シオンとも言います)を追われたり、根こそぎエジプトで捕虜となったりします。
この暴政を働くエジプトから脱出する顛末が書かれたのが旧約聖書の中にある「出エジプト記」で、預言者モーセに神が約束の地カナンへ戻れと命令します

『預』言者」とは1999年7の月に恐怖の大王がやって来て地球を滅ぼすぞ、などを言うような「『予』言者」ではありませんので注意です。ここテストに出ます。

ヤハウエの言葉を預かる者特殊能力を持つ者、の意です。ヤハウエはユダヤの一般人にはこういうことを教えません。だからヤハウエに選ばれた特殊能力を持つ「預言者」の言葉は重要なので、逆らえないから、みんなでエジプトを決死の覚悟で脱出します。当然、エジプトからは「逃げるな、コノヤロー!」とばかりに追手が来ます。カナンに渡るのに、しかしながら目の前には「紅海」が横たわっています。「どうすんの、これ?」と一同絶望していたところ、モーセが海を割ってくれてみんなで渡ります。みんなが渡り終えたところで、まだ渡り中の追手たちをまるごと海に沈めて終了です。
これが旧約聖書にある「出エジプト記」の概略です。
ここでは「預言者」を押さえておきましょう

red_sea.jpg
モーセ 紅海を割る の

昔、チャールトン・ヘストン主演で「十戒」がありましたが、コレです。最近では、リドリー・スコット監督の「エクソダス」がそうですね。

余談ですが、ボクが小学校の頃、少年ジャンプで車田正美の「リングにかけろ」に出てくる、プロデビュー戦でいきなり世界チャンピオンとやるとかいう無謀なチャレンジャー剣崎がボコられて、やられそうになった(てか、これ食らってリング上でいっぺん死んだ)、チャンピオン:ジャーザス・クライストの必殺ブロー「ネオ・バイブル」は、この7日間になぞらえてのものでしたので、あの頃初めてボクは旧約聖書を読みました。
neobible.jpg

漫画は教養の宝庫です、今も昔も

今回のもう一つのポイントは「メシア」です。
ユダヤ人の国、イスラエルは神が与えてくれた約束の地なんですが、ざっと言えば、栄えたのはダヴィデ王、ソロモン王の時だけです。ここをローマ帝国が襲ってきたのが、今からおよそ2000年前。それで、ここがローマ帝国の植民地と化していました。

また、ユダヤの苦難が始まりました。(ココ、伏線です)

当時のローマ帝国はまだ多神教だったことも覚えておきましょう。ゼウスを筆頭にした、あのオリュンポス12神!

ユダヤ人は選ばれた民ですから、他の神を、しかも山ほど神がいるとかいう民族に征服されているのが我慢なりません。しかし武力では勝てないのです。

こうして生まれてきたのが、「メシア(救世主)」待望論です。「あん時のモーセみたいな人、誰かいないんかなあ~」と。
だから、メシアの本来の意味は、悪の帝国ローマから救い出してくれる者の意味です。今の用法とは異なるので気をつけましょう。

さて、約2000年前と言いましたが、今2017年12月6日です。
ちょうどこの頃、イスラエル・ナザレという所で12月25日にイエスという、大工の息子が馬小屋で生まれました。

成長する過程で、様々な奇跡を見せます。

例えば、
「片手の萎えた人がいた。イエスはその人に、手を伸ばしなさいと言われた。伸ばすと、もう一方の手のように、もとどおりよくなった」(新約聖書『マタイによる福音』第12章より)
他にも、湖の上を歩いて渡ったり、触った瞬間に病気を治して見せたり…。

これでまさしく「メシア、キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!」となったのです。「あいつ、マジ神の子」みたいな。(伏線、帰結しました)
まるで、「神」の所業・・・

ところが、イエスは、あのモーセみたいに、一向にローマを撃退してくれません。それどころが、ローマ帝国に反抗すら示さず、「信じる者は救われる」というような、ふわっとしたことしか言わないのです。イエスからしてみると、ユダヤ人だけでなく世の中の人間をすくいたいのですが(後の「カトリック」というのは、そもそも「普遍」という意味でしたね)、自分達しか救われないと信じるユダヤ人には、まるでこのことが分かりません。しまいには、「あいつ神の名を語る詐欺師で、実はローマの味方する悪党じゃねえ?」という疑いまでかけられます。しかも、「あいつヨセフんちの大工の息子(=神でなくヤハウエが造った「人」の意味です)だろ?」とも。一神教ユダヤ教においては、神が他にいるわけないですから。

こうしたさ中、イエスはとある予言(預言ではありません)をしているのです。

「今、私たちはイェルサレムに上っていく。人の子は、祭司長や律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架にかけるためである。そして、人の子は三日目に復活する」(『マタイによる福音』第20章より)

知ってるなら、わざわざ行かなくても良いイェルサレムへ行き、予言通りに死刑が宣告されてしまいます。

イェルサレムにはローマから派遣されてきた総督ピラトがいました。彼自身は「別に殺さなくてもいいだろ、言っていることは間違ってないし」、と思っていました。
むしろ、ユダヤ人たちが悪人だと決めつけて殺そうとしていると聖書にも書かれてあります。だから、ちょうど祭りの時期でもあったので、この祭りの時には囚人をひとり解放できるというルールを利用して、ピラトはイエスを解放しようと思いつきます。

この時にはイエスの他に死刑囚には盗人のバラバがいたので、「お前ら、盗人バラバと思想犯のイエスとどちらを助けたいかー!」とユダヤの民衆に問います

すると民衆は「バラバー!」と言ったので「もうお前らの責任で勝手にやれ」ということで、ユダヤ人によってイエスは十字架の刑に処せられて殺されてしまうのです。

おそらく興奮していたユダヤ人たちも、この処遇に対して「血の責任は、我々と子孫にある」と言っていますので、これはもう自覚していることになります

これも全て新約聖書に書かれている内容です。

イエスは予言通りに十字架の刑に処せられて死亡、しかし予言通りに3日後に復活しています。この日がクリスマスと同じくらいの価値を持つ、キリスト教の祭りの「イースター祭(復活祭)」です。
「予言」通りに「奇跡」を起こしたイエスは、こうして単なる人ではなく、キリスト教の「神」となります(後に「三位一体説」ということになりますが、それはいずれまた)。

いよいよここからなのです!

16世紀に飛んでルターに始まる宗教改革によって、そしてルターのドイツ語訳によって、一部の人間たちの専有物であった聖書の内容が、民衆の間に聖書に書かれたことが文字情報として明らかになっていきます。広まれば広まるほど、そこに書かれている内容でおそらく最もショッキングだったのは、「オレたちが信じるイエス様を殺したのはユダヤ人だったのか!」です

お判りでしょうか? 今に至るキリスト教徒のユダヤ人差別の真の理由。

あの「ヴェニスの商人」で、ユダヤ人シャイロックがキリスト教徒に最も蔑まれている「金貸し」という職業に就いていた理由。もう一度、問いを書きますので、答えてみてください。

問い:「ヴェニスの商人」(シェイクスピア作と言われてい…もごもご)に出てくる、主役の一人「シャイロック」というユダヤ人がいますが、彼はなぜ金貸しをしているのでしょうか、次の中から選べますか?

1.儲かるから。
2.元々が金持ちだから。
3.自分の天職だと思ったから。
4.金貸しの才能があったから。














A.いいえ、一番の理由は、次の中から選べません。

・・・ハイ、コレ正解です。

(*゚益゚)ゴルァ!

と、お怒りの方。設問要求をよく見ましょう。

「次の中から選べますか?」と聞いてるだけです。別に、誰も1~4の中から選べ、とは言ってませんからね(;・∀・)
設問要求に正確に従う、というのが問題を解く基本ですから。

つまり、シャイロックはイエスを処刑した極悪ユダヤ人の子孫であったために、キリスト教徒が普通にやれる職に就けず、人に蔑まれるけど仕方なくやれる仕事である「金貸し」をやっていた。ということになります。まあ、誤解のないように言っておくと、「ヴェニスの商人」とは助かった主人公アントニオのことで、こいつも貿易商やってんですけどね(儲かるから)。

「いやぁ、深いですね~」と、どっかから北のテポドンに、間違えた(-_-;)、寒風に乗って称賛の声が聞こえてきそうです(それに混じって「答え、詐欺じゃん」と聞こえてくるのはたぶん気のせいでしょう)

てか、よくこの問題一つでここまで引っ張ってしまいました(笑)

(ホントはまだまだあるんだけど)

 ちなみに、「ヴェニスの商人」が明治時代の輸入された時の日本名は「人肉質入裁判(じんにくしちいりさいばん)」といいます。なぜなのかを知りたい人は、ぜひ「ヴェニスの商人」を読んでみましょう。サイコサスペンス映画の金字塔:デイヴイッド・フィンチャーの「セブン」もよくわかります。特に「GREED」の章。



宗教改革 前編終了 オツカレしたー!

「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」

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みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -

やー、寒いす(;´д`)<萎ェェェ↓

「寒さ撲滅ファシズム」のハマ口的には、いち早く南方に移住するか、地○温暖化推進をどうにか個人的にでも図りたいこの頃です。

さて、どーでも良い時候のフリはおいといて、今回は核心に迫れるのか!? 迫りますとも!

まずはカルヴァンの「予定説」のおさらいです。

「予定説て何?」の方は、「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、 オランダ 7」で既に詳細は書きましたので、そちらを参照してくださいねー。

山川の世界史B用語集の項目から引用してみると、「予定説」はこのようが定義となっていました。

「予定説」
魂の救済は、人間の意志や善行とは無関係であり、あらかじめ神によって決められているという説で、カルヴァンによって徹底された。そして自分の仕事を神から与えられた天職として励めば、やがて自分が救いの対象となっているという確信を得られるとした。カトリックでは蓄財を否定したが、カルヴァンはこの予定説において、天職に励んだ結果としての蓄財を認め、新興市民階級の活動を宗教的に承認したため、資本主義の発展に貢献することになった。


正直に告白すると、この中で、
「自分の仕事を神から与えられた天職として励む」
    ↓
「やがて自分が救いの対象となっているという確信を得られる」

というのが、以前のボクにはさっぱりわかりませんでした。

どのように見ても論理的飛躍としか感じられなかったからです。

でも、これはカトリックの考えと比較することで答えは得られます。さっそく以下でやってみましょう。

まず、旧来のカトリックでは、生きているうちに善行を積む→天国への扉を開ける、という因果関係です

これは日本の仏教なども因果関係としたほぼ同じです、と以前に書きました。(※「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革 -」参照)

この逆論理を考えれば理解できます。

つまり、プロテスタントの予定説によれば、神様が予め全てのことを決めているこの世の中で、良い行いをしようとあがいている人間はしょせん無駄な努力であり、結局は出来ずじまいで死ぬに決まっていて救われない。むしろ、どんなに悪いことをしようと思っても、予めこの世で真に良い行いが出来ている奴こそが天国への扉が開けているに決まっている、ということなんです。

だから、今、勤勉に何度も良い行いをやって、事実人に感謝されている自分は天国へ行けるはずだという確証を持つ、と考えればわかりやすい と思います。

※話はちょいそれて、以前、格闘家:須藤元気の著書「幸福論」にあったと記憶してますが、彼が四国のお遍路をした際に、ずっと「ありがとう」を唱えながら、しかもカウンターで言った回数を数えながら霊場を回ったそうです(ちなみに言った回数は、21万90回らしいです)。普通は人から何かをやってもらった時に言う感謝の言葉が「ありがとう」ですが、逆に、先に「ありがとう」を唱えることによって、自分が人を感謝できる人間になれる、と。この因果関係は日本の言霊信仰(ことだましんこう)の典型ですね。

話を元に戻しましょう。

これに加えて、カルヴァンは「蓄財」を肯定しています。これも逆に言うと、それまではカトリックで「蓄財」は否定されていた、ということになります。

否定されていた証拠は新約聖書にあります。
「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい」て、言ってますからね(新約聖書『マタイ19章16-26節』)。
と、イエスがこのように青年に諭す場面があります。

また、矛盾しますが、教会は民衆から税や「贖宥状(免罪符)」などの手段で金を搾取しまくっており、デカい教会はバンバン建てるわで、教会自らが放蕩の、いや、蓄財の権化みたいな体(てい)をなしていたのに、「お前ら蓄財やってんじゃねえ!」とツッコミが来なかったのはラテン語を独占して、人々を文盲のままにしておいたからこそでしょう

ちなみに、さっきのイエスの言葉を思い出してほしいんですが、実は「商業」というのは洋の東西を問わず、ずっと蔑まれるものでした
朱子学(儒教)思想においてもそうです。王族や貴族といった支配階級はそもそも別格です。
農業は人の生命の源を生産するので尊い。また、農業ほどでないにしても工業の物づくりがなくては物理的に生活が成り立ちません。いずれも、汗水流して生産に関わるものですから尊い、と考えられていました。江戸時代の「士・農・工・商」の上からの序列の意味がこれで分かります
つまり、江戸時代のコレ、チャイナから輸入された朱子学(儒教)の思想なのです。(いずれ、日本編はやります)

先ほどのカルバンの「予定説」では、この世における人のあらゆる生活は神様に対する勤めであることにもなります。頑張って仕事に専念し、更には「禁欲」を徹底して仕事で成功すれば、当然のことですが副次的なこととして蓄財も発生します。
第一義的には、他人に良い商品を売って、他人は喜んでくれた(これまで禁止されてた金はたまったけど)。てことは、「オレは隣人愛にも成功したんだ」となり、ますます自分は天国への扉が開かれた「選ばれし者」であると確信を持てるのです。


このようにして、宗教改革で生じた新たな生活倫理、これが「蓄財の肯定」なのです

ボクは歴史を科学で考えるので、当時の歴史事情や常識を考慮し、客観的に文献で事例を取り出して、極力今の価値観から断罪しないようにしながら、その功罪を判断しておかねば、といつも思うので言っておきますが、この「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教」シリーズを通して、カトリックやカルヴァンをこう書いてくると、カルヴァンがすごくイイ人のように見えますよね?つまり、カトリックが悪でカルヴァン派が善みたいな。

しかし、カルヴァンにはスイスで宗教改革を行った当初はやはり反対派が多くて、一時ジュネーブから追放されました。けれども、戻ってきた1541年から14年に渡って市政の実権を握り、「神権政治」という超厳格な教会改革と政治改革を実行したせいで、異端者をひっ捕らえて生きたまま火刑にするということもやっています。また、他にも独裁の恐怖政治を敷いて反対派などをバリバリ処刑に追いやってます。

こんな恐ろしい負の側面も過分にあるので、ぜひとも両論併記しておきましょう(どっかの国の、フェイクニュースで昨今読者数を減らしまくっている「朝○新聞とは違います→夕刊フジ 12/5(火)『朝○新聞の購読やめた』ツイッター大反響、長崎・平戸市長を直撃 『信用が著しく落ちている』 )。

余談ですが、カルヴァン派の「予定説」に基づく、こうした教義内容の性質に注目して、16世紀の一連の宗教改革と資本主義という新たな関係を逆説的に論じたのが、19~20世紀の大経済学者:マックス・ウェーバーの名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年)です。

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マックス・ウェーバー(Max Weber)
プロイセン生まれの、バカシブ男の代名詞!!
■1864年4月21日~1920年6月14日 (56歳)
■父は政治家、母は上流階級出身の敬虔なプロテスタントの裕福な家庭の長男
■政治学者・社会学者・経済学者

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「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年)

これは本当に皮肉なことなんですが当時最も金儲けに否定的であったキリスト教という宗教が、ルターによって原初の聖書に戻り、そして、そこから派生したスイスのカルヴァンによって金儲けを積極的に肯定する論理づけと、資本主義を生み出してしまったということになります
つまり、最もカトリックが嫌っていた商業(金儲け)に正当性を与えたということになります

でも、歴史上、カトリックがやらないけど、誰かがこの商業をやっていないと貨幣経済は成り立ちませんよね。
「・・・一体誰がやってたんだろ?」と思いませんか?

ルター以降、そして活版印刷術による聖書の大量な広がりによって、そこに書かれた内容を知ったキリスト教徒によって、蔑視されていった人たちです。

それが「ユダヤ人」。

次回、お楽しみに~!

もうすっかりスッキリ朝ですが、オヤスミのハマ口推奨の一曲でお別れです。


「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」

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