FC2ブログ

CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 19 - 寄り道イギリス編(5) -

「関ヶ原の戦い」で徳川家康が石田三成を下し、天下を獲った年
『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)
手が滑って変な画像が。気にしないで下さい。

西暦に換算すると、1600年10月21日。

つまり、この天下分け目の戦い半年ほど前、1600年4月29日にリーフデ号は「漂着」しているのです

ところで、関ヶ原の合戦は、武士が平原に出て大勢で切り合いをしているイメージですね。
関ヶ原の戦い1620頃狩野派

「関ヶ原合戦屏風」 狩野貞信 

しかし、実際の戦いは大規模な銃撃戦です
この天下分け目の関ヶ原の決戦は、東軍である徳川家康軍で、あのリーフデ号の大量の武器が使用されているのです。
 
戦いの経緯をざっと述べると・・・
徳川家康率いる東軍:75,000人 VS  石田三成率いる西軍82,000人
家康と三成

しかも東軍は(遅刻してきたので)良い陣形を敷くことが出来ませんでした _(:□ 」∠)_

しかし、そういった逆境をはねのけて、ただ後ろで陣取って動かないのではなく、果敢にも家康が自ら中央へ攻め込みます

これを見た、(予め黒田長政から説得されていたけど松尾山の上でヒヨっていた)西軍の小早川秀秋がよーやく三成を裏切る覚悟を決めて、味方に右サイドから襲い掛かります(「吉川家文書(きっかわけもんじょ)」にそう書かれてます)。家康様が自ら攻めてキター.゚+.(・∀・)゚+.てことで、東軍の士気もうなぎ上りです。(ホントは自分だけ弾をはじくアレ、着てるんですけどね)

これで総崩れとなった西軍は、当初3カ月くらいかかるだろと予想されてた戦闘が、わずか7時間であっという間に東軍に敗れ去りました。
(※かなり長期戦になると見越して、九州から漁夫の利を狙って、自ら天下人になろうと登って来てた黒田官兵衛は「ウソ―!orz」とコケましたが…息子:長政の余計な小早川への説得工作でジ・エンドです)

これが大戦になる事を見越して、家康は予め、元々敵方で豊臣方の子飼いであった、黒田長政、加藤義明(よしあきら)などをある方法を使って自軍に抱き込んでいました。

家康:「日頃頑張ってる君に良いものをやろう。ほらコレ。めっちゃイイでしょ。試したけど鉄砲に当たっても死なずにすむよ」

長政:「おおっ!!家康様、コレめっっっちゃイイすね!賢いウチの親父(官兵衛)と違ってオレ、猪突猛進(笑)とみんなに言われてるから、当たっても死なないのあればイイなぁて、こういうの探してたんすよ」

それが「南蛮胴具足・改」でした
南蛮胴具足 家康用

しかし、ウィリアム・アダムスからもらった西洋式甲冑を超・短期間でアップグレードし、来るべき三成との大決戦に備えて、家康はこの最新型甲冑(かっちゅう)をエサに根回しを徹底していったのです。(前回からの近未来への伏線2、帰結しました)

家康恐るべし…。

関ヶ原の戦いの勝利には、まだ様々な要因もありますが、オランダの話の中のイギリス編なんで(-_-;)
いずれ詳しく。

家康のことを褒めてばかりではつまらない科学でないから、ちょっとディスり、いや、相対化しときましょう。

1573年、徳川家康&織田信長軍と武田信玄軍が戦ったのが、有名な三方ヶ原(みかたがはら)の戦いと言います。これに大惨敗を喫し、家康は浜松城に向かって命からがら逃げまくります。で…馬上で、恐怖過ぎて、「う○こ」もらしてしまいます。

大久保彦左衛門という家臣が、異臭、違った、異変に気付き、「…殿、まさか、ソレ?(-_-;)」とダイレクトで指摘すると、「ち、違うぞ。こ、こ、これはだな、焼き味噌だ!」と、言い訳をしたという記録があり、この時の臭態、違った(;・∀・)、醜態を今後の自分の教訓にしようという、わけわからない理由で、その時の自分の困った感と恐怖感の入り混じった情けない絵を描かせました。
それが↓
『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)
「徳川家康三方ヶ原戦役画像」(徳川美術館所蔵)
着物の色が茶なのはカモフラージュです(推)

誰もネットに書き込んでないのでひとこと言わせてもらうと、乗ってた馬が一番の被害者でしょう。一応、動物愛護の観点から指摘しておきます。

余談ですが、この「う○こ」事件の前に、とある茶店であずき餅を食べてたところ、恐怖の武田方の追っ手が直前まで迫ってきました。ビビりまくった家康は金を支払わずに、慌てて逃げようとしたところ、店の主人に「ゴルァ!」と追いかけられて捕らえられ、金を払わされたという、殿にあるまじき失態もしでかしてます。
なかなか御茶目な生き様ですこと。

ところで。

「あれ?オランダ船が持って来たのに、なぜ『紅毛』胴具足でなく、『南蛮』胴具足なの??」と思った人もいることでしょう。
一般にはイギリス・オランダ人が「紅毛人」、スペイン・ポルトガル人が「南蛮人」でしたからね。

初めてこれがもたらされたのは、ちょっとだけ時間を遡(さかのぼ)ります。史料上では、ということになりますが、1588年にポルトガル領ゴアのインド総督より、豊臣秀吉への外交文書(妙法院所蔵)と一緒に贈呈されたとかいう、目録上の甲冑が初めだと言われています。しかし、あくまで目録上なんで実物は不明です。

その12年後に、ヨーロッパでスペイン(南蛮人)と宗教&独立戦争をガンガンやっている紅毛人のオランダ船がいわゆる「漂着」して持ち込まれたのです。
だから、先に南蛮人が似たような甲冑は既に持ってきてたんで、「南蛮」胴具足だということになってます。

142790851415184982179_William_Adams_1707_map_of_Japan.jpg
北海道未発見の時代の地図とウィリアム・アダムスが将軍に謁見するの図

アダムスの功績は間違いなく、この日本史の最も起点となった戦いで最大化されています

このアダムスが、ふらっと超険しいマゼラン海峡を通って太平洋を散歩してたら、嵐で遭難し、たまたま遥か日本に漂着していまいました(;´∀`)いやあ失敗失敗(照)。・・・って、誰が信じますかそんな話!

第一、南アメリカの最南端:マゼラン海峡はフィヨルドが発達していて、多島海が形成されてて複雑怪奇な海峡です。しかも、気候が寒過ぎで霧もよく出るから、航行には常に難破の危険が伴うという恐ろしい場所です。
magellan-course.jpg

①何らかの重要な使命を帯びているか、
②オレが初めてココ通ったるわ!という野心がないと命がけで行く意味がない海峡です。
昔マゼランが通ったんで、もう誰にとっても初めてではないですが。

リーフデ号ルート
リーフデ号のルートと目的(?)
引用:三浦按針の話《4》日本到着までの苦難の航海

ロンドンの大英図書館には、アダムスが本国へ送った11通の書簡が残されています。
そこに、アダムスが、あのイギリス東インド会社に送った書簡に次のようなものがあるのです

「20ポンドの金をイギリス東インド会社が、イギリスに残されたアダムスの妻:メアリに渡した」と。

これは今の価値に換算すると、およそ500万円に相当し、他にも計5000万円ほどが妻に渡っているのです
まさに東インド会社はエリザベスが設立した貿易会社です。だからこそ、この会社にはアフリカ南端の喜望峰からマゼラン海峡に至る、全域での貿易独占権が付与されており、国家プロジェクトとして莫大な資金が投入されているのです。

一個人に支払うことが可能な金額としては、私的には結構な額ですが、国家が絡んでいるなら楽勝だと思われます。しかもウィリアム本人でなく、妻に渡っているし、この額ですからちゃんとした契約がなされたものであると推測されます
単なる私的な口約束であったなら、妻にまでこれほどの金が渡ることはないのでは?

また、ウィリアム・アダムス自身、王の使命を帯びた重要な任務だと認識していたからこそ、妻子も顧みず、栄達や名誉のためにも命がけで航海へ出かけたのではないでしょうか
こうした状況から推測すると、この金は、妻と二人の子供たちを抱えたアダムスが、イギリスの国家の威信をかけた、初めてで、かつ危険なアジア貿易開発プロジェクトに対する報酬であると同時に、万一自分が帰国できない際に支払われる、ある種の「遺族年金」もしくは「生命保険」に近いものだったのではないでしょうか?

もちろんこの時代には、まだちゃんとした保険制度が確立していなかったので、推測の域を出ませんが…。

妻が国の東インド会社を通じてこの大金を得た理由、ボクはこう推測してます。(伏線1帰結しました)

・・・・しかし、彼はこの書簡の中で、ハッキリとこう書いています。

「我々は日本を目指した」と。

次回、この寄り道イギリス編は最終回です。

お楽しみに~!


dejima_agin_rogo-3.png

<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 3
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 6
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 7
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9 - アントウェルペン編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 10 - オランダ独立(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11 - オランダ独立(2) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 12 - オランダ独立(3) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 13 - オランダ独立(4) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 14 - 寄り道イギリス編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 15 - 寄り道イギリス編(2) -
「ガリヴァー旅行記」に長崎が出てくるの、知ってました? イギリス編 外伝(1)
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 16 - アジアへ(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 17 - 寄り道イギリス編(3) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 18 - 寄り道イギリス編(4) -

<宗教改革編>
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -」

テーマ:歴史大好き! - ジャンル:学問・文化・芸術

オランダ関連 | コメント:0 |
| ホーム |