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CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

鍋島直正(1)

日本の近代化・産業革命はどこから始まったのでしょうか?

今の大河ドラマ「西郷どん」を見ている人は、おそらく「薩摩」と答えるのではないでしょうか?

その大河ドラマ「西郷どん」で渡辺謙さん演じる薩摩の賢公:島津斉彬がついに没しました。日本の将来を憂い、命を賭して藩主自ら近代化を進めている姿には感動すら覚えますよね。なかなかイケメンな殿様として描かれていました。

島津斉彬 1857年撮影、尚古集成館蔵 

島津斉彬 1857年撮影、尚古集成館蔵

ちなみに、斉彬が死ぬ間際に、西郷さんの発案によって薩摩が攻撃をしかけるという設定になっていましたが、もちろんフィクションです。

さて、あのドラマではサッパリ出てきませんが、島津斉彬と非常に密接な結びつきのある殿様がいます。このブログでは要所で少しずつ登場している肥前の賢公と呼ばれる鍋島直正(なべしまなおまさ)です。

どーん
鍋島直正


ほんとこの写真、堂々としてイイですよね。日本の殿様は西洋と違って、折り目正しく正座して写っているのが素晴らしい。

この二人の母親が鳥取藩藩主:池田治道(はるみち)の娘で、直正と斉彬はいとこ同士です。江戸での佐賀藩と薩摩藩邸が近かったので、斉彬が直正を訪ね、二人は直正の娘について縁談の相談をしていたといいます。当時、共に「蘭癖(らんぺき)」と言われてましたが、こうした交流の中で若い彼ら二人が、将来の異国への対応を話し合っていた姿が目に浮かびます。

ただ、歴史には様々な切り口があるとはいえ、その功績や人物像などを客観的に判断すると、島津斉彬より鍋島直正の方が勝っているとボクは考えています。

日本の科学・化学・医学の本質的な発展である産業革命は、まさしく鍋島直正から始まっているからです。

その偉大な例をいくつか挙げてみましょう。

■1849年:日本初の種痘を実施し、全国への種痘普及起点となる。
■1850年6月:日本初の反射炉築造である「築地反射炉(ついじはんしゃろ)」を設置。
■1852年:最先端の理化学研究施設にあたる「精煉方(せいれんかた)」を日本で初めて設置し、天才・佐野常民(さのつねたみ)らと藩外の有能な科学者らで科学を推進させる。
■1852年5月:日本初の鉄製大砲の鋳造に成功。
※ペリーが来航した際に国内で鉄製大砲を製造できたのは佐賀藩のみ。
■1853年:長崎にロシア艦隊が、予め設置していた本格的な砲台である四郎ヶ島砲台に脅威を抱く。
■1855~59年:幕府の発注で品川の台場に鉄製大砲を設置。今の「お台場」はここから始まる。
■1856年:家臣・島義勇(しまよしたけ)に北海道の探索調査し、後の札幌都市計画の基礎を形成した。
■1858年:「御船手稽古所(おふなてけいこしょ)」=現世界遺産「三重津海軍所」設置。
■1865年:「三重津海軍所」において日本初の実用蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」完成。
■1867年:パリ万国博覧会へ初の日本代表として正式参加。佐野常民らを派遣する。
■1868年5月:上野戦争で幕末最強の軍事力を駆使して犠牲者があまり出ないように戦闘を早期に終了させる。

研究の場に率先して赴き、学習し、時には自ら長崎でオランダ軍艦へ乗船して船長に教えを請う。また、低い身分の家臣たちとも積極的に意見交換を行って、激励しています。

薩摩の島津斉彬は、佐賀のこうした科学技術の発展を目にして、次のようなことを言っています。

「西洋人モ人ナリ、佐賀人モ人ナリ、薩摩人モ同ジク人ナリ。退屈セズ倍々(ますます)研究スベシ」

同じ人間なのだから、お前たちも出来ないことはない、と家臣を叱咤激励しているのです。ま、結局出来なかったので佐賀に助けてもらっているんですけどね(;・∀・)

次回より、具体的に鍋島直正の魅力を書いていこうと思っています。

お楽しみに~!


テーマ:歴史大好き! - ジャンル:学問・文化・芸術

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