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CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

日露戦争(2) -100年の機密-

シンガポールでの米朝首脳会談予定が破局に終わり、トランプ大統領から金正恩チェアマンへの手紙が公開されていたので読みましたが、なかなかの面白さでした。
後半をごく一部超訳すると、「いやあ、今回残念だったけど、君とはいつか会えるのを楽しみにしてるよ。で、君らが拉致ってたアメリカ人を解放してくれて、ほんとサンキュー。気が変わったらオレに電話か手紙くれよな」でした。
英語読める人はどうぞ↓
トランプ大統領書簡

トランプ大統領のことをさんざんディスりまくっている日本のオールド・メディアやテレビの言論人などが、「どうせノーベル平和賞をトランプはもらいたいんだろ?」と言っておりましたが、ハイ残念、お疲れ様でした。一方で、トランプ大統領の当選前から科学分析的にトランプ大統領の正当性をおっしゃっている藤井厳喜先生や青山繁晴参議院議員などは、北朝鮮は絶対に核を放棄するはずがないと明言されていていました。どこぞの大統領と違って、トランプ大統領はノーベル平和賞などに目がくらんでいないこともよくわかりましたね。

ただ、年老いていく拉致被害者のご家族にとっての落胆は激しいものであることも推察されます。本当に今回は安倍首相との事前の十分な用意があったのに、と思えば・・・次の機会は果たして本当に訪れるのだろうかと暗澹たる気持ちになってしまいます。

この北の独裁者は、自分の実の兄を毒殺し、義理の叔父さんを対空機関銃(飛行機を打ち落とすやつ)で粉々にして、その肉片を火炎放射器で炭化させている人間です。これまでに100名以上の側近などが粛清されています。

そんな人間を、「血の通った人間なんだっていう、すごく好印象」と言い放ったフ●テレビのアナウンサー、安藤●子のことをぜひご記憶下さい。拉致被害者のご家族の方々はどのような思いでこれを聞かれたことでしょうか…

さて、本題に入りましょう。

前回書きましたが、バルチック艦隊は7カ月もの極東へ向けての地球をほぼ一周するよう航海してくるので、それだけでも海兵隊員らはかなり疲弊していました。更に、1902年に締結された日英同盟がうまく機能しました。バルチック艦隊の第2太平洋艦隊が、バルト海のリバウ軍港を出航し、10月21日深夜、北海を航行中にイギリスの漁船を日本の水雷艇と誤認して攻撃し、乗組員を殺傷してしまうという、「ドッガーバンク事件」が発生し、イギリスの世論は一斉に反ロ親日になっていきます。これでイギリスは自国の植民地の港へのバルチック艦隊の入港を拒否したり、スエズ運河通行を邪魔したり、蒸気船の燃料となるまともな石炭を売らなかったりと、至る所で邪魔をしまくりました。

こうした理由もあって、極東に到達した時にはバルチック艦隊の第2、第3太平洋艦隊はかなり疲弊していたのです。しかし、この艦隊が朝鮮半島から北東方面にあるウラジオへ行って、そこに駐留している味方艦隊と合流して態勢を立て直されてしまうと、やはり物量にかなりの劣りがある日本は苦境に立たされます。

果たしてバルチック艦隊は対馬海峡を通ってウラジオまでダイレクトで行くルートをとるのか、日本列島の東側を回って太平洋を北上して回り道をして行くルートをとるのか、この情報を得ることが日本の命運を握っていました。


バルチック艦隊ルート
バルチック艦隊の予想された3つのルート

もちろん、現在のようにレーダーがない時代、敵艦発見は容易でなく、蒸気船の煙や光を広大な海の中で、目視で確認するしか方法がないのです。

日本海海戦の前日である5月26日深夜0時過ぎ、バルチック艦隊に随行し、その燃料を運んでいる石炭運搬船6隻が、上海に25日の夕方に入港したという情報をようやく得ます。ロシアがこの運搬船を艦隊から離脱させたのは、航行距離が長くなる太平洋ルートを通らないことを意味するので、この情報は日本にとって大変重要な情報でした。そして艦隊を発見したのは「信濃丸」でした。午前4時50分に「203地点で敵艦発見」と打電します。


信濃丸
偽装巡洋艦「信濃丸」

次いで、5時35分、聯合艦隊には「直ちに出港用意」が 通達され、6時6分、ついに東郷平八郎提督の旗艦「三笠」をはじめとする聯合艦隊が出撃します。

呉に入港した三笠、1905年2月
呉に入港した戦艦「三笠」1905年2月
<DATA>
■建造所:ヴィッカース社(イギリス) バロー=イン=ファーネス造船所
■級名:敷島型(四番艦)
■発注:1898年9月26日 起工:1899年1月24日
 進水:1900年11月8日 就役:1902年3月1日
■除籍:1923年9月20日
■排水量:15,140トン(常備) 全長:31.7m 最大幅:23.2m 吃水:8.3m
■機関:15,000馬力 最大速力:18ノット 
■乗員:860名
■主砲 40口径30.5センチ連装砲2基4門 副砲 40口径15.2センチ単装砲14門
 対水雷艇砲 40口径7.6センチ単装砲20門 47ミリ単装砲16基
 魚雷発射管 45センチ発射管4門
■装甲 KC装甲鋼板(クルップ鋼) 舷側:9インチ(229mm) 甲板:3インチ(76mm)

そして、6時21分。この時大本営に向けた、あの有名な打電がなされます。

「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」

いよいよ最強と呼ばれたロシアのバルチック艦隊との激戦が幕を開けるのです。


と、ここで、日本海海戦へと入って行く前に、10年ほど前新事実が判明しました。実はこの海戦のさ中、日本の艦隊には、ヨーロッパなどからの「観戦武官」派遣の申し入れがあり、イギリス、アメリカ、ドイツ、ブラジル、アルゼンチン、オスマン帝国など13の国々から70人以上の武官が各艦に乗船していました。

そして、100年もの間、アルゼンチン国外へは機密資料だったアルゼンチンの観戦武官による文書が公開されたのです。その武官の名はマヌエル・ドメック・ガルシア。この後にアルゼンチンの海軍トップになる、いわばエリート軍人による記録です。

マヌエル・ドメック・ガルシア
マヌエル・ドメック・ガルシア

彼は、砲弾を受けた際の炎と血まみれの軍艦上にあって、客観的、かつ詳細に日本海海戦を分析しました。この文書によって、戦闘の全貌がより明らかとなってきました。「日露戦争観戦武官の記録」 全五巻 約1400ページにもわたる詳細な記録です。戦闘現場からの報告、作戦の分析、日本海軍の戦略、当時の日本国民がロシア帝国のことをどう思っていたか、また、どのようにしてロシアとのこの戦争に挑んでいったのかが記録されています。


アルゼンチン観戦武官の記録―日本海海戦
アルゼンチン観戦武官の記録―日本海海戦

世界最強の艦隊と呼ばれていたバルチック艦隊に対し、物量で劣る日本聯合艦隊が綿密な知略と情熱によって圧倒的に撃破した戦いの様子が克明に分かります。

この時、マヌエル・ドメック・ガルシアは1904年に来日し、観戦武官として装甲巡洋艦「日進」に乗船しました。

装甲巡洋艦「日進」 マルタ島
装甲巡洋艦「日進」 マルタ島にて

なぜアルゼンチンの軍事であるガルシアが日本の軍艦にいたのか?それには理由がありました。当時、イタリアのジェノヴァにアルゼンチンは軍艦を2隻発注していました。1904年1月7日、ジェノヴァの造船所でこの2隻を日本が買い取る交渉が行われていました。アルゼンチンが隣国のチリとの国境紛争に備えていたにもかかわらず、この軍艦の完成前にチリとの紛争が解決したのです。そこで、この2隻がもはや不要になってしまったので、日本海軍への導入を働き掛けることになったのでした。

この時、日本聯合艦隊は戦艦6隻など(軍艦23.3万t)、ロシアの極東における太平洋艦隊は戦艦7隻など(軍艦19.1万t)で、ロシアは極東の艦隊だけで、日本とほぼ互角の戦力を持っていました。ここにロシアはヨーロッパ側の戦艦が加わると戦艦26隻など(軍艦51万t)となって、圧倒的な差が生じてしまうので、日本は是が非でもこのアルゼンチンが発注していた2隻を手に入れようとしていたということです。これらの名が「日進」「春日」で、当時の最新技術を導入して作られていた速力のある装甲巡洋艦です。この譲渡契約にアルゼンチン側から派遣されていた建造指揮官がガルシアで、自らが建造に立ち会ったことから日本への観戦武官として行くことになったのです。

この2隻の引き渡しが行われた頃には、日本はロシアとの外交交渉は破局寸前だったので、日本の海軍本部から、一刻も早くこの2隻を日本へ向わせるようにとの催促の電報が入って来ていました。その進展をけん制するかのように、ジェノヴァの造船所の沖で「日進」「春日」の動向を見ていた船がいました。ロシアの戦艦「オスラービア」です。

1903年にビゼルトで撮影されたオスリャービャ
1903年にビゼルトで撮影された戦艦「オスリャービャ」

日進と春日が日本へ向けて出港する際に、このオスラービアが日進と春日の前を遮るように横切る、という一触即発の挑発行動をとったのです。

日本海海戦で重要な役割を演じるので、次回のためにもこの2隻の姉妹館の名「日進」「春日」と、ロシアの戦艦オスリャービャ」をぜひ覚えておいてください。

日本海海戦記念日である次の日曜日は、東郷平八郎提督が司令長官を務めた鎮守府があり、戦艦「三笠」が出陣した佐世保へ行ってきます!

では、次回もお楽しみにー!

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日露戦争(1) -必ず知っておきたい日本の誇り-

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