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西郷隆盛 (3)-薩長同盟:坂本龍馬ファンタジーを打ち砕く 2-

「西郷どん」今日からすね。

ところで、昨年2017年秋に、「坂本龍馬が教科書から削除されるかも」ということを受けて、「ふざけるなーっ!」とヒス○リックに騒いでいる人も多いようです。例えば、とある有名な先生の記事を引用しておきましょう。おヒマがある方、下にリンク貼っているので全文読んでみてください。

参考:「『坂本龍馬が教科書から消える』には、大誤報が潜んでいる」

・・・はい、それはもうおっしゃる通りかと。

ただ、教科書に登場してたからメジャーだということでなく、また、昔から有名でないから載せるなということでもなく、坂本龍馬を載せる載せないにかかわらず、子どもらに薩長同盟のちゃんとした内容と意義を正しく伝えられていないことを本来問題にしなければならいはずです。でないと、正しい歴史を子ども達に伝えるという教育の目的が本末転倒します。

で、この記事を読んでもさっぱりそれが書いていないので、この先生もしかして?…と疑ってしまいます。いやいや大先生に向かって畏れ多いことですね。それでもまあ、「縁の下の力持ちはなりだろ」とは思いました(;・∀・)

しかし、現にウチの中学生や高校生に聞くと、軒並み、よく分からないけど坂本龍馬が仲の悪い薩摩と長州を結び付けてくれたおかげで、幕府が滅びて明治の日本が作られた、と思い込んでますからね~。残念ながらボクの知り合いでも、このことをまともに語れる人は皆無です。

まだ今シリーズを書いてる途中で言うのもアレですが、メディアや学校が坂本龍馬をそんな誤解のあるように教え続けるなら、龍馬の記述のない方がよっぽどこの場合に限っては歴史の真理が伝わると思いますが…。

とにかく、この件に関してのボクの論点は、そんな今の世の中が騒いでいるところにはなく、ずっと前から懸念していることなのです。

さてと、前回は薩長同盟に至る国内事情を書きました。

あれほど血で血を洗う戦いを繰り広げてきた薩摩と長州が、その怨念の垣根を越えてまでどうして同盟を結ぶに至ったかの前提となる基礎編でした。

今の長州(山口県)の人をいっぱい知っていますが、やはりそれでも忸怩(じくじ)たる思いは抱いているようです。今でさえそうなので、当時は大変なものだったでしょう。何しろ、時の長州の人達は草鞋(わらじ)の下に「薩賊会奸(さつぞくかいかん)」と書いて、毎日踏み潰していましたからね。憎しみの深さがわかるエピソードです。ま、そりゃそうでしょうけど。

これは、「あの薩摩のカスどもと、会津のクズどもを毎日踏みつけにして、あの時の恨みを忘れまい」ということです。

しっかし、よくそんな所に西郷さんはほぼ単身乗り込んでいけたものです。よほどの根回しと、確固たる自信がないと出来ないことで、下手すると長州へ行った瞬間に首を取られます。

ただ、この時は長州に主導権はありません。その理由の一つが、幕府と朝廷、そして強力な諸藩をほぼ長州一藩で敵に回している状態だからです

だから、いろんな理由があるにしても薩摩が手を差し伸べてきたのは長州にとってラッキー過ぎます

というのも、西郷さんらがいくら味方の一橋慶喜を毛嫌いするようになったから、といって、逆賊長州と結ぶのは大変なリスクがあるからです。幕府が敵にまわるのは薩摩にとっても危険です。つまり、そこまでして同盟など結ぶ理由は薩摩にはないということです。

しかし、長州で高杉晋作によって俗論派が追い出され、正義派の政権が立てられたことによって、せっかく西郷さんらが和平の妥協案を取り付けてきたのに、一橋慶喜はそれに不満を持ち、ついに今度は自らが軍を率いて長州を滅ぼすための征討に出かけます

この情報は当然長州も得ることになります。

でも、長州にはもはや戦える武器がない。いや、逆賊長州はどこからも武器を売ってもらえないのです

絶体絶命の長州。まさに存亡の危機です。

ところが、思わぬルートから武器の入手が可能になります。

まず、当時の両藩の経済事情を見ておきましょう。

この年あたりはちょうど不作で、米がとれず金に困っているのが薩摩でした
当時は俸禄米(ほうろくまい)という制度であり、武士は給料を今のようにお金でなく、米で支払われ、その米を換金して生計を立てていました
ただ、武器はたくさん持っています。

これに対し長州は、普通に米はたくさんとれて金はあるのですが、肝心の武器がそうした事情で手に入らないのです

どうやったら迫り来る一橋慶喜らの軍に立ち向かえるのか?幕府軍が巨大な軍事力を持っていることは、「禁門の変」で既に身をもって体験済みです。早急に武器の入手ルートを探さねばならない・・・。

ここで偶然(?)にも、イギリスのラザフォード・オールコックのあとを継いだ、新公使ハリー・パークスなる人物が上海へ向う前に、下関にやって来ます。
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サー・ハリー・スミス・パークス(Sir Harry Smith Parkes)
■1828年2月24日~1885年3月22日)
■明治初期までの18年間、駐日英国公使を務める

パークスはここを訪れる前に京都へ行き、軍事力を背景に、安政五カ国条約の勅許と兵庫の早期開港を朝廷に迫ったのです。
これを「兵庫開港要求事件」と言いますが、朝廷からすると、穢れた外国人をそんな都の近くに来させるわけにいかない、という理屈だったので、いろいろあってこんな事件にまで発展しています。

ちなみに、この当時の天皇はガチガチの攘夷論者:孝明天皇で、明治天皇の父ですね。

下関にやってきたパークスは高杉晋作、伊藤博文と会談する場を持ちましたが、その時、ふと、この困窮した長州がすでに、敵であるハズの薩摩を通して秘密裏に武器を大量に購入しようとしていることを察知します、それも、ある人物から…

その人物の名は・・・













トーマス・ブレイク・グラバー。

thomas glover

次回もお楽しみに~!

西郷隆盛 (1)-幕末哀戦士-
西郷隆盛 (2)-薩長同盟:坂本龍馬ファンタジーを打ち砕く 1-

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