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CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

日露戦争(1) -必ず知っておきたい日本の誇り-

みなさんは、これまでに何かを深く「誇り」に感じた経験はあるでしょうか?現代では価値が多様化している上に、平穏な毎日を過ごすことが当たり前となっているので、何かにそう感じる機会は少ないかもしれません。

ところで、このイケメンをご存じですか?
東郷平八郎 1877年

明治時代、最強の海軍を率いたロシアからの侵略に少ない兵力で立ち向かい、知恵と科学力を駆使して、日本が大勝利を収めた戦いがあります。

それが日露戦争です。

この戦争は西洋列強に植民地化されていたアジア諸国に勇気を与えた戦いで、特に「日本海海戦」は世界史史上、世界中の歴史家によってこれに勝る戦いはないと言われています。また、未だに世界中の海軍軍人が世界史最高の海軍提督は東郷平八郎と答えます。上の写真は、その東郷平八郎の若かりし頃のもので、彼がイギリスのポーツマスに留学した時の写真です。

そして、次の日曜日である5月27日は「日本海海戦」の開戦日です。

今回は、まもなくやって来る日曜日の記念日に際し、現代を生きる我々が享受している平和の意味を少し考えてみたいと思っています。日露戦争については多くのことがネットでも語られているので、今シリーズは出来る限り簡潔に、分かりやすさを求めて、列伝形式で人物に主眼を置いて書きます。では、行ってみましょう!


日露戦争の十年ほど前、ロシアはドイツとフランスを誘って日本に対し「三国干渉」を行いました。これは日清戦争後に国際法に基づいて獲得した朝鮮半島にあるリャオトン半島の放棄を強要するもので、撤退後、あろうことかロシアがここに居座ったのです。ヨーロッパでの南下政策を度々イギリスなど封じ込められていたので、ロシアは軍事力を背景に彼らのいないアジア方面に進出してきました。

そもそもなぜロシアが南下したいのか?というと、隣接するバルト海などは冬に港自体が凍ってしまい、ロシアは交易が出来ず金儲けが出来ないからです。ということは、しのぎを削っている他の西洋諸国と闘うための資金や外資を冬になると獲得できないことを意味します。だから、通商を行うためにロシアはとにかく凍らない港を獲得したかったので、「南下」政策を進めていたのです。しかし、ヨーロッパ・ラウンドでは大英帝国らに勝てないのです。黒海近辺で行われたクリミア戦争などがそれに当たります。イギリスの看護婦であったナイチンゲールが活躍した時の戦争ですね。

こうした事情でアジアに目を向けて、フランスから資金を借り入れて建造していたのがユーラシア大陸横断の「シベリア鉄道」です。だからアレは決して旅行目的で作ったのではありません。この鉄道の敷設目的はロシアによるアジア支配の円滑化だったのです。鉄道だと楽に軍需品や軍人を運べますからね。難航した建設でしたが、ようやく日露戦争の最中の1904年9月に全線開通しました。

このロシアに対し、日本は外交交渉によって何とか戦争を避けようとしましたが、ざっくり言うと、ロシアは強気の姿勢で聞く耳を持ちませんでした。当時、西欧の列強諸国から見ても、弱小な日本などロシアの相手になるはずがないと思われていました。いくつかその情勢を表す風刺画が残っています。

日露戦争風刺画1

日露戦争風刺画2

いずれも日本とロシアの国力を人物の大きさで表現したもので、教科書などでもお馴染みなので詳しい説明は必要ないでしょう。

この日露戦争は、陸と海とで行われたすさまじい戦いでした。

特に日本が警戒したのは、世界最強の艦隊と言われるロシアのバルチック艦隊がバルト海からアジアへやってくることでした。
ポートサイドでのバルチック艦隊−エジプトの巡視船に監視されている
ポートサイドでのバルチック艦隊 日文研データベースより

これがやって来るともう日本に勝ち目はない、と考えられていたからです。この戦いでロシアに負ける、ということは東京まで侵略される恐れがあり、この艦隊が到着して朝鮮の旅順港にいるロシア艦と合流する前に、まずは旅順港のロシア艦を陸から壊滅させることが急務でした。

この時、まさに日本の存亡の危機だったのです。

しかし、旅順のロシア艦を攻撃するには陸上での戦いは避けられません。時の司令官は乃木希典(のぎまれすけ)。

乃木希典
乃木希典将軍

陸上では、想像を超えていた難攻不落のロシアの要塞を攻略できず、映画にもなりましたが二百三高地での激戦など、最終的には実に84,435名の戦死者を出しながらもギリギリの所で旅順攻略を果たします。
日露戦争 朝鮮半島での戦闘マップ


この1年ほどの戦闘で、8万名以上の日本人が、祖国を守るために犠牲となりました…。

命を賭して祖国のために勇敢に戦った兵士らは、戊辰戦争の犠牲者を祀るために造られた靖国神社に、新たに「英霊」と称されて祀られることになったのです。

多大な犠牲を強いながらも陸での戦いに勝利した乃木将軍はその後、、明治天皇の大葬が行われた日の午後8時頃、妻・静子さんとともに明治天皇を追うかのように自刃して亡くなります。享年64(満62歳)でした。実は、あの戦闘で自分の息子二人を失っていたのです。司令官の地位にあるゆえ、大きな悲しみを抑えて公のために戦い、明治の終わりと共に人生も自らの手で終焉させたのです。

何という壮絶な死でしょう。

乃木将軍は次のような辞世の句を遺しました。あえて意訳はしません。

神あがり あがりましぬる大君の みあとはるかに をろがみまつる

うつ志世を 神去りましゝ大君乃 みあと志たひて 我はゆくなり



余談ですが、日本各地にある「乃木神社」はこの乃木将軍の功績を称えて建立された神社です。
また、東京には「乃木坂」というのがありますが、これも乃木将軍の功績によってつけられた地名です。
・・・乃木坂46、でしたっけ?彼女らやファンの人たちはこのこと、知っているんでしょうか??

こうした陸での多大過ぎる犠牲の上に、バルチック艦隊と日本国聯合艦隊との決戦が準備されました。その間には、圧倒的な物量と軍事力で日本を徹底的に叩くため、バルチック艦隊はバルト海にあるリバウ港を出発し、ほぼ地球を一周する形で7カ月もの航海を経て日本を目指しました。

バルチック艦隊航路
バルチック艦隊航路


迫りくるこの世界最強のバルチック艦隊にどう立ち向かうのか?

次回は、いよいよ伝説の日本海海戦へと突入します!

東京青山霊園:乃木希典将軍の墓



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