CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

4: 聖フィリッポ・デ・ヘスス教会

まだ子供の頃、こんなに遊び場にしていた場所はない、というのがこの日本二十六聖人記念堂です。

なのに、この歴史は全く知らない。というか、誰も教えてくれなかった、というのが正しいように思います。
ただ、夕方まで遊んで、この独特なフォルムの教会の横を通って家に帰る時、正直この見慣れない外観がどことなく怖かった印象がありました。

高校で芸術をやって、はじめてこの建築があのアントニオ・ガウディの研究者で建築家:今井兼次氏による特殊なデザインだということを知りました。

聖フィリッポ・デ・ヘスス教会26聖人から
26聖人の広場から

ちなみにガウディは、もちろん「聖家族教会:サグラダ・ファミリア」の設計者。この教会の尖塔もこれに模しているけど、それよりも、ボクにとってはこれら、
カサパトリョ
<カサパトリョ>
コロニア・グエル
<コロニア・グエル>
この二つに、より近い感じを得ていました。

西坂の丘で殉教した26人が列聖されたのが、その殉教から約250年後。この聖堂は、列聖100年を記念し日本二十六聖人記念レリーフが今井兼次氏によって建立されたのが昭和37(1962)年。
「日本二十六聖人記念館」と同時期に日本のカトリック系の人々が中心となって建てられました。

設計は「日本二十六聖人記念館」同様、今井兼次氏によるものです。昭和の初め頃、アントニオ・ガウディを日本に紹介したのがこの今井氏です。彼がカトリック信徒だったので、信仰と建築が一体となった中世カトリックの世界を実践し続けたガウディの創作方法に心底共鳴し、この聖堂にガウディのエッセンスを盛り込んでいる、というのです。

26聖人を象徴するものは教会内部でも垣間見ることができます。

祭壇26聖人

こうした26個の大きさの異なる十字架をあしらった意匠の祭壇があります。

また、こじんまりとした聖堂でしたが、とても幻想的な雰囲気に満ちているのが印象的でした。

背面

そして、ここには聖なる遺骨も安置してあります。

26聖人遺骨室

これは、聖パウロ三木・聖ヤコブ喜斎・聖ヨハネ五島の遺骨の一部が収められてる遺骨室です。
さすがに開けて撮影しようとは、畏れ多くて出来ませんでした。

この聖パウロ三木の殉教に直面した言葉が後世に残るものです。

「ここにおいでになるすべての人々よ、私の言うことをお聴き下さい。私はルソンからの者ではなく、れっきとした日本人であってイエズス会のイルマンである。私は何の罪も犯さなかったが、ただ我が主イエス・キリストの教えを説いたから死ぬのである。私はこの理由で死ぬことを喜び、これを神が私に授け給うた大いなる御恵みだと思う。今、この時を前にして貴方達を欺こうとは思わないので、人間の救いのためにキリシタンの道以外に他はないと断言し、説明する。」

「キリシタンの教えが敵及び自分に害を加えた人々を許すように教えている故、私は国王(関白)とこの私の死刑に関わったすべての人々を赦す。王に対して憎しみはなく、むしろ彼とすべての日本人がキリスト信者になることを切望する。」


これは、26聖人の殉教を直接見聞したフランシスコ会員マルセーロ・デ・リバデネイラが、マニラに追放後書き記したパウロ三木の最後の説教だそうです。

・・・果たして、自分がここまで死ぬ間際に、こうした利他的で、一種の悟りを開けるものだろうか?

西坂の丘を1981年2月26日、ボクらが小学6年生の時、雪が舞い散る中をヨハネ・パウロ2世がいらっしゃいました。
今でもその時の事ははっきりと覚えています。学校帰りに友達数人とここまで学校から走ってきて、訳もわからずパウロ2世と間近でお逢いしました。

DSC01900.jpg
<日本二十六聖人記念堂内 ※特別な許可をいただき撮影しました>

隣にある「日本二十六聖人記念堂」も、あまりの資料の充実ぶりに、これで500円か?と疑ってしまうほどでした。
そのインプレッションは副理事長が書いてくれてます↓
お母さんが預かったお年玉の行方 「沈黙」編

次回は、この日本二十六聖人記念堂について触れたいと思っています。





キリスト教関連 | コメント:0 |
<<鉄砲を伝えたのはポルトガル人ではない!? 5 | ホーム | 月琴唄 ―丸山を濡らす旋律―>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |