CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

「肥前の妖怪」 鍋島直正 3

1844年、天保十五から弘化元年に代わる年の旧暦7月2日、オランダ軍艦がやって来た。それがオランダ海軍コープス大佐率いる軍艦パレムバン号。

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<オランダ軍艦パレムバン号長崎入港の図)>長崎学デジタルアーカイブズ

この時、長崎奉行所の役人にオランダ国王の親書と献上品を差し出した。しかし、その親書の現物は残っていない。だが、その日本語訳は、以前紹介した呉秀三氏の「シーボルト先生其生涯及功業」に全文が載っている(※シーボルト先生 ~その生涯と愛~ 1参照)。一部を抜粋してみよう。


我日本国が西洋各国と、なるべくは安穏平和の手段によりて、和親通商の条約を取結ぶことを望み、彼此雙方に差支のなき通商を開始するは、第一に日本の国益となることにして、徒らに国法と旧慣とに泥みてこれを拒絶するは、国家に取りても国民に取りても大いなる災害を招くものなりとの意見を提出せり。

大意:日本が西洋各国と、なるべく平和的な手段によって、通商条約を結ぶことをオランダは望んでいる。これは、双方にとっての支障がない通商を開始することが、第一に日本の国益となることであって、これまでの(いわゆる「鎖国」の)ような国法と旧来からの慣習とにこだわって、こうした諸外国との通商を拒絶するのは、国家にとっても日本国民にとっても大きな災害を招くものであるという意見を出させてもらう。

しかも、これは将軍徳川家慶に充てて、次のような大変丁寧に記されているのである。

貴国の政治に関係する事なるを以て、未熟の患を憂て、始て殿下に書を奉る。伏して望む、此の忠告に因て、其未熟の患を免れ給はん事を。

大意:貴国の政治に関係することなのではあるが、近い将来の災いを心配して、あえて将軍様にこの書を献上するのである。強く望むのであるが、この私の忠告を受け入れてもらい、将来の災いを逃れなさって欲しい。

また、次のようにも述べている。

是等の船を冒昧に排擯し給はゞ、必ず争論を開かん。争端は兵乱を起し、兵乱は国の荒廃を招く。二百余年来我国の人貴国居留の恩愛を謝し奉らんが為に、貴国をして此災害を免れしめんと欲す。古賢の言に曰く、災害なからしめんと欲せば、険厄に臨むこと勿れ、安静を求めんと欲せば、紛冗を致すこと勿れ。

この意味は概ねこうだ。

これら諸外国の船をむやみに排除するなら、将来必ず紛争を招く。紛争は必ず戦争となり、国の荒廃を招くだろう。二百年以上、我が国は貴国出島での居留を認めてくれた恩義に感謝するために、貴国がこうした戦争災害を逃れて欲しいと思っている。昔の賢人の言葉に、災害が無いようにしたいと思うなら、自ら災いが起こるようにしてはいけない。安定を求めようと思うなら、いらぬ紛争を起こしてはいけない、と。


このオランダ国王からの進言は、短絡的にシーボルトのアドバイスがあったからということだけではないだろう。1623年にイギリスはアンボイナ事件によってアジア経営から締め出されたが、この17世紀に繁栄していたオランダは、その後オリバー・クロムウェルによって1651年に制定されたイギリスの「航海条例」をきっかけとして4次に渡る「英蘭戦争」を経験して敗北、両国はヨーロッパ市場において完全に敵対関係にあった。したがって、オランダ国王としても、このような進言には、日本での貿易を独占していたオランダの権益を守るための側面があったことも確かであろう。

ここでは省くが、このオランダ国王ウィレム2世の親書は他にもアヘン戦争の事情や、日本へのアドバイスがたくさん盛り込まれている。この親書は1844年のものだから、ペリー来航の9年前の出来事であるにもかかわらず、その危険を的確に予測している点が本当にすごい。

にもかかわらず、江戸幕府の返答はこうだ。原文が漢文なので、いきなり現代語に訳して載せておく。

昨年七月、貴国の船が王の親書を携えて長崎港へ来航した。伊沢美作守がその国書を受け取って、幕府へと持って参った。貴国の王とは二百年もの通商があったので、さすがに日本の悪い点をよく御存じであり、たくさんの忠告をいただいたことには大変感謝いたす。
しかし、今その心配には及ばないところである。幕府の祖である家康公が幕府を開いた時、海外諸国とは通信も貿易も行っていなかった。後に通信を行う国、通商を行う国を定めている。通信を行っているのは、朝鮮と琉球に限っていて、通商は貴国と清のみである。この他に新たに交易を行っている国はない。貴国と我が国との関係は、これまで通商を介してであったが、通信はなかった。
したがって、今回こうした親書を遣わしたことは、我が国の祖法に反することになる。このことを国王へお伝えしたい。このように我が国の祖法は厳密に守られている。しかも、この祖法は子々孫々に至るまで長く守られるべきものである。失礼ではあるが、以後、こうした親書はご遠慮いただきたい。ただ、貴国との通商に関しては約定に従って、これまで通り続けていく所存である。
国王の忠告を聞いた我将軍は、とても深い感銘を受けている。十分な意を尽くすことは難しいが、こうした経緯があるので、どうかご了承いただくようお願い申し上げる次第である。
弘化二年乙巳六月朔日

日本国老中
阿部伊勢守正弘
牧野備前守忠雅
青木下野守忠良


・・・この江戸幕府からの返答書。明らかにおかしい点がある。
それは、「幕府の祖である家康公が幕府を開いた時、海外諸国とは通信も貿易も行っていなかった」という点。なぜなら、以前にも述べているが、徳川家康は、イギリスのウイリアム・アダムスを外交顧問として、イギリス国王ジェームズ1世の国書を受け取ってイギリスとの国交を持っていたからだ。

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William Adams
(※鉄砲を伝えたのはポルトガル人ではない!? 5 参照)

更には、伊達正宗の家臣:支倉常長がローマに渡ったが、これも元々家康がスペインとの交流に関心を持っていたからである。
つまり、オランダ国王からのこのような丁寧な進言に対して、江戸幕府は「ウソ」で返しているのである。

支倉常長
< DATA >
■ 支倉常長(はせくら つねなが)
■ 元亀二(1571)年)~元和八年七月一日(1622年8月7日)
■ 別名:六右衛門
■ 霊名:ドン・フィリッポ・フランシスコ
■ 主君:伊達政宗

サン・ファン・バウティスタ号復元
<復元された サン・ファン・バウティスタ号>

筆者は現代の常識や視点から歴史を断罪するのは間違っていると考えているが、さすがにこうした幕府の体たらくでは切迫する情勢を見究められず、滅んでも仕方がなかったのではないか、と思ってしまう対応であるのだ。

しかし、こうした幕府の粗悪な対応をよそ目に、鋭い着眼点から自ら長崎港に浮かぶオランダ軍艦パレムバン号に乗り込んだ人間がいたのだ。

それが、鍋島直正。





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