CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

鉄砲を伝えたのはポルトガル人ではない!? 6(最終回)

ようやくこの鉄砲伝来シリーズも最終話を迎えます。長い道のりでした┏○)) オツカレシタ
激多忙の中、久々に論文を読みまくったなぁwww
最終回は、鉄砲伝来に関連した日本人の技術力のポテンシャルなどです。


種子島の鉄砲館の説明板に次のような記述がある。

新兵器の出現で、これまでの戦闘方式が一変したことを知った戦国武将達は、急いで鉄砲の調達に努め、国内の鉄砲鍛冶が急速に発達した。鉄砲が種子島に伝わってから僅か三十年、驚くべき速度で普及した。これは日本の伝統的な刀鍛冶の鉄鋼技術が極めて優れ鉄砲製作に生かされたからで、こんな例は外国にみることは出来ない。

最後の「こんな例は外国にみることは出来ない」とは、「完成品の」鉄砲の販売で大儲けを出来ると考えていたポルトガル人らは、まさか日本がこんなに早く鉄砲を作れるようになるとは予想もつかなかった、ということを意味する。

何と、日本人はいわゆる「鉄砲伝来」と伝わる、1543年の翌年である天文十三(1544)年に鉄砲の国産化に成功しているのだ。
鉄砲を作るには化学と物理の高度な融合が必要だ。製鉄技術とその加工技術。弾道の計算など、テクニカルな考慮やトライアル&エラーがあって初めて製品化が可能だからである。

ただ、ポルトガル人はさすがにこの時代に世界を制していた民族で、鉄砲に必要となるが日本に存在しない物質があることを見抜いていた。それが「硝酸カリウム」。

「硝酸カリウム」
硝酸カリウム構造式
無色の結晶。斜方晶系。化学式 KNO3 天然に硝石として,チリの砂漠地帯やアメリカ西部などの乾燥地帯に産出する。潮解性がなく,酸化性が高いことから,黒色火薬に用いられた。マッチ・釉(うわぐすり)・医薬,食肉の保存料など用途が広い。硝石。硝酸カリ。

(「三省堂 大辞林」による)

これがないと鉄砲は単なる「鉄棒」であり、これをポルトガル人は見抜いていたからこそ種子島時堯(ときたか)へ鉄砲を譲ったのではないか?今「譲ったのではないか」と言ったが、「鉄炮記」には「時堯、其の価の高くして及び難きを言わずして而(すなわ)ち蛮種の二鉄砲を求め」となっている。島の伝承では永楽銭二千疋を支払ったというのだ。一方で、「無料」で譲ったという説も存在する。今回はあえてこの後者の説を採って、仮説を立ててみると次のようになる。

軍事的にも当時の日本にとって革命的に有効なこの武器は完成品としての価値はもちろんのこと、ハードに当たる鉄砲は、ソフトに当たるこの「硝酸カリウム」=火薬がないと使い物にならない。だから、これも付帯的に必ず売れる見込みしかないので、ハードをお試し無料であげたのではないか?

例えば現代に即して言うとこういうことだ、電話会社が新作のスマートフォンを街中でほぼ無料で配っていたとする。そして、契約を交わした人は、スマホがあるだけでは全く意味がないので、それを使い倒すために電話もするし、様々なアプリをダウンロードする。また、このアプリが無料のままでは全ての機能が果たせないとなれば、使用者がこれに価値を見出して、更に便利に使おうとすればどんどん課金してアップグレードしていくだろう。こうしてお試しでスマホを配っていた電話会社が後にアプリの普及と通話料で間接的に利益を生むシステムが確立していく。そして機械は壊れるものであるから、使い勝手の良い慣れたメーカーのものを次も使う可能性が生じ、同じ電話会社から次の機材を買う、という固定客になりうる。顧客を固定するには、この「無料」という導入は現代至る所で見られる現象だ。この鉄砲が「無料」で当主に贈られたとしても次のビジネスチャンスをつかむためにも十分考えても良い手段ではないかと思われる。

その是非はともかく、この場合のスマートフォンが「鉄砲」でハードに当たる。ソフトに当たるアプリが「硝酸カリウム=硝石(火薬)」である。ポルトガル人はこの両方の貿易で儲けを見込んでいたが、日本は独自のスマホを速攻で開発してしまった(ある意味これも「ガラパゴス化」だ)。ただし、ハードたる鉄砲はコピーされてしまったが、火薬の原料となる「硝酸カリウム」はどうにもならないのだ。世界史的には南米チリの「チリ硝石」の発見が、世界の鉄砲の普及を促進していた事実をポルトガルは当然熟知していたのである。

ということは、硝石の流通と確保こそが日本の戦国史を理解する上でも、とても重要なファクターになったと言えるだろう。
なぜなら、織田信長以降は鉄砲が日本の戦術を一変し、戦乱の世を決定づけたからである。

種子島時堯に命じられて初めて鉄砲を製作したのは刀鍛冶:八板金兵衛(やいたきんべえ)である。天文十二(1543)年の九月に命じられたが、驚くべきことに4か月後にはこれをコピーしているのだ。ただ、鉄砲の製作過程では、火薬を使用する以上大変危険を伴うもので、「暴発」の恐れがあるものだったのも確かだ。その内実と経過はここでは省くが、とにかく日本のモノづくり技術は今に始まったことではないというのはこれでわかる。まさに後の世、鍋島直正はその典型である。(※「肥前の妖怪」 鍋島直正 1参照)

種子島鉄砲
「鉄砲伝来 日本の歴史」より

これらと関連して、少し織田信長についても触れておきたい。

なぜ信長は「本能寺の変」で討たれたのだろうか?
もっと言えば、なぜ「本能寺で」なのだろうか?ということ。

これは次のように考えていく。

1:種子島時堯は、鉄砲の製造技術を独占しなかった。ここでもやはり「硝酸カリウム(※当時は『煙硝』と言っていた)」のルート確保のため、紀州に巨大な経済勢力を持つ根来寺と、当時海外貿易拠点の堺の商人にこの権利を与えていた。

2:種子島は鉄砲伝来の約100年前に法華宗に改宗されて、慈遠寺も法華宗に改宗されて、多くの学僧が本山へ修行に出ていた。その「本山」が「本能寺」なのである。

3:戦国大名の中で、最も早く堺を直轄地としたのが信長である。


これら1・2・3より推測されることを述べると次のようになる。

堺を直轄地としたのは鉄砲に必要な「煙硝」ルートを確保するためであることは明白で、これで堺には安定的に「煙硝」が供給される。また、信長には延暦寺焼き討ちや安土宗論、一向一揆弾圧など宗教弾圧者のイメージがあるのに、「本能寺」という「寺」に泊まっていたのか?そしてなぜキリスト教宣教師に好意的だったのか?これらの疑問は全て天下統一のための軍事物資の確保にあったのではないかということ。堺さえ押さえてしまえば、当時の日本の地政学的にも貿易船が西や南からやって来ると国際港となっている東端は堺である。それを独占的に供給するのがキリスト教を信仰するポルトガル人だ。信仰の自由を認めることで、ポルトガル人との商業が円滑にいく。

確かに、以西にある九州や中国地方では山口・平戸などいくつかの国際港があり、いち早く煙硝ルートを取り込んで実用化していたのは大友宗麟であり、日本最初の焼夷弾(焙烙火矢)を用いたのは毛利家の支配下にあったあの村上水軍であった。

しかし、東の武田氏や上杉氏、北条氏などの有力武家の鉄砲武装に歯止めをかける、直接的な貿易港は確実に堺である。これを信長は抑えたのである。つまり、彼らがいかに鉄砲を独自に開発しようが、その起爆剤となる「煙硝」がなければ前述の通りただの「鉄棒」であって無用の長物となることを信長は知っていたのである。

こうして、天才の情報戦と柔軟な発想によって戦国時代の覇者が決定していったのである。

そして、本能寺は2で述べたように種子島の慈遠寺の本山であり、ここは2007年からの発掘によって大量の煙硝を始めとする巨大な武器弾薬庫であったことがわかった。こうした煙硝つながりのある寺だから、信長はあの日この寺にいたのだ。明智光秀に完全包囲された信長は火を放って自害したと言われているが、首を渡すまいとして爆薬に引火させて大爆発を起こしたために、光秀が信長の遺体をどんなに探しても発見できなかったという。跡からは焼け焦げた瓦などが多数出土した。

本能寺跡
<本能寺跡>
出土した本能寺の瓦
<出土した本能寺の瓦>

視点を世界史と比較することによって日本の歴史もその真相が深く理解が出来る。このブログでは、長崎の通史を科学的な視点から再検証することを目的としており、様々な学問を導入して今後も妥当な真相をつかんでいきたいと考えている。既存の説に固執せず、新発見や多くの論文などを吸収することによって、多分自らの論が修正されていく箇所も出てくるだろう。しかし、それは有益な修正であり、過去に誤った解釈をしていたとしても何ら恥じる必要もないものである。本来、科学とは「反証可能性」を備えているものであるからだ。柔軟で偏りのない思考を持ち続けていきたい。



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