CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

岩崎弥太郎 ~世界の海運業への道のり~ 3

さてと、GWの喧騒も終わって、日常に戻ったようなあまり変わらないような…。

弥太郎、いきまーす。


弥太郎が面白さや凄さは、ストーリーテラーだったにもかかわらず、「龍馬伝」ではさっぱり描かれておらず、むしろ強い言葉でいうとねつ造されてトリックスター的な役割であったのが残念だった。ちなみに、「トリックスター」とは→コトバンク “トリックスター”

ただ、時の権力者に接待攻勢をかけて、有利な情報を仕入れるために100人以上ある芸者のブロマイドを使っていたりもした、というエピソードもある。もちろん、その100人から好みの芸者を選ばせるためだ。武士の世の中が終了した直後だけに、このような生き残り術を駆使せねば、多数の従業員を抱える経営者があのような大企業へと発展することもなかったのかもしれない。いつの世も、このような古典的な接待やハニートラップによって政治や経済は動かされてしまうという側面があるのは面白い。


明治5年8月、既に政府高官となっていた土佐の同郷:後藤象二郎より、弥太郎のもとに重要情報がもたらされる。
それは・・・
「日本国郵便蒸気船会社」という外資に対抗するために設立した巨大な国策海運会社によって、三菱商会が脅かされる可能性があるというものであった。この時点で、たった2隻しか船を所有していない三菱が、15隻もの船を所有している日本国郵便蒸気船会社に、社員一丸となって対抗することを弥太郎は決意するのであった。

国策会社であるだけに、資金的なバックボーンが大きい。これに対抗するために弥太郎は一計を案じる。

そもそも三菱には武家出身者が多く、客に対して尊大な態度をとる者もいた。武士の世の中だった江戸時代には最高位にある武士に対し、商業は蔑視されていたからである。

ところで、なぜ、「士農工商」なのだろうか?なぜ商業が最下位におかれているのだろうか?
江戸時代に流行った「朱子学」の影響なのである。朱子学とは儒教の流れをくむもので、朱熹(しゅき)によってまとめられた学問で、ある意味宗教と言ってよい実態のものである。

朱熹
朱熹 1130年10月18日(建炎4年9月15日) - 1200年4月23日(慶元6年3月9日)

江戸時代には徳川氏の社会支配において、「道徳」の規範としての儒学のなかでも特に朱子学に重きがおかれた。五代将軍:綱吉の時代に孔子を祀る湯島聖堂が建造され、更には老中:松平定信時代に幕府の藩校で朱子学以外の講義を禁止する、というあの「寛政異学の禁」が出されたほどであった。

湯島聖堂
史跡湯島聖堂

この朱子学において、商業とは蔑視されるべき対象なのだ。商売とは見方を替えればある意味卑怯な職業である。人が汗水流して作った物を安くで仕入れ、それに利ザヤを付けていかに人に高くで売るかを行うからである。
現代ではこれがごく当たり前に行われているから理解しづらいかもしれないが、労働が尊いと考える人たちにとっては、苦労もせず商品を横流しするだけで利益を得るということが耐え難いのである。

実は、あのシェイクスピアの「ヴェニスの商人」も似たような構造がここにあるのだ

なぜシャイロックが「商人」なのか?ということ。シャイロックというユダヤ人はキリスト教から見れば、キリストを殺した民族:ユダヤ人なのであるから蔑まれる存在であるために、キリスト教徒からすると真っ当な仕事は全てキリスト教徒が担う。ユダヤ人であるシャイロックは、商品を横流しする「卑怯な商業」にしか職がなかったから商人をやっていたのである。

しかし、現代でもユダヤの大資本家といいうのはたくさんいる。あのロスチャイルド家もユダヤの資本家として有名だし、アインシュタインもそうだったが、もともとユダヤ人はこのような優秀になる素地もその教育や民族の資質そのものにあるのかもしれない・・・。


江戸時代はこの商業を蔑視する「朱子学」が、その他「親孝行」やさまざまな理念が都合良いこともあるので、封建社会を維持したい武士によって受け入れられた、ということになる。

このようにして、商人は武士にとって蔑む存在であるため、借金をしては踏み倒し、また借金をしては踏み倒し、ひいては「徳政令」という名目で借金帳消し令が幕府からも公的に出されていたのである。これは金を貸していた商人にとってはたまったものではなかっただろう。
こういうことをしていたのが、以前にも書いたように<※肥前の妖怪 鍋島直正 1>、学校で習うような幕府の改革でなく、むしろ幕府が滅びる要因とすべきことなのである。

弥太郎の許にいた元武士にとっては、このように商業とはずっと蔑むべき存在だったのが、明治になって今度は自分たちがその商人として働かなければならなくなった。当然、これまでの商業に対する感覚をすぐにぬぐい捨て去ることは難しかったであろう。教育とてしも、ずっとその社会の支配における「道徳」の規範としての儒学、中でも特に朱子学に重きがおかれていたためである。

弥太郎の凄いところは、このような武士たちの意識変革を、自らも武士階級であったのにやってのけた点にある。

社員の服装を商人の着流し&前掛けに改めさせ、武士の悪弊を捨て、現在の商売のホスピタリティに通じる笑顔での接客を訓練させた。このようにして弥太郎は社員の意識改革を進めてサービス向上に成功したのであった。

現代でも他社との競合において、資本や物量でかなわないなら自社の何らかのメリットを強調させるしかないが、自分の習慣や身に着いたものまで真逆にしてしまうことはかなり難しいのではないだろうか。しかし、弥太郎はこれを事実やってのけている。やはり歴史に名を残す人物というのは、このような学ぶべき側面が山ほど備わっている。

こういうのを知ることが歴史を勉強する本当の意味なのではないか、とボクは思う。入試や学校のテストで採点の不便さを解消するために選択問題ばかり行われていたり、無機的に年代を覚えさせられたりしている現状では、真に学ぶべき内容がおざなりで、問題を解くテクニックや入試に高確率の語句暗記という本末転倒な学びになってしまう。日本人が英語教育をあれほど強迫観念に駆られて6年間も行うのにあまり話せないということと、この誤った教育システムとは無関係であるはずがない。

■岩崎弥太郎 ~世界の海運業への道のり~ 1
■岩崎弥太郎 ~世界の海運業への道のり~ 2





dejima_agin_rogo-3.png





テーマ:歴史大好き! - ジャンル:学問・文化・芸術

三菱関連 | コメント:0 |
<<岩崎弥太郎 ~世界の海運業への道のり~ 4 | ホーム | シュガーロード × オススメ和菓子♪>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |