みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革 -2017-12-04 Mon 14:59
「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9 - アントウェルペン編(1) -」 の最後で、このように質問しました。
問い:「ヴェニスの商人」(シェイクスピア作と言われてい…もごもご)に出てくる、主役の一人「シャイロック」というユダヤ人がいますが、彼はなぜ金貸しをしているのでしょうか、次の中から選べますか? 1.儲かるから。 2.元々が金持ちだから。 3.自分の天職だと思ったから。 4.金貸しの才能があったから。 この答えを出す前に、当時のキリスト教の実態を知っておく必要があります。まず、16世紀までの、いえ、ルターまでの、と言った方が適切でしょうか。 この世の中では、概ねこのような流れになっていました。簡単な因果関係はこんな感じです。 <カトリック編:因果関係> (因):この世で良い行いをする。 (果1):良い行いをした人は「天国」へ。 (果2):悪い行いをした人は「地獄」へ。 更に具体的にはこのようになります。 (目的)死んだら、みんな地獄でなく、天国に行きたい。 ちなみに、酷いのばかりですが、比較的ライトなキリスト教の地獄絵を載せておきましょう。 ![]() 「アウグストゥス作『神の国』より挿絵 15世紀」 地獄に落とされた人々が、煉瓦造りの釜や巨大な鍋でぐつぐつと煮られています。 神に反抗している悪魔達も、嬉々として地獄では率先して罪人たちを苦しめています。 ↓ (因)そのためにこの世で良い行いをする。 ↓ (語義)「良い行い」とは何か。修道士:ヨハン・テッツはこんな話をしています。引用してみましょう。 「お前たちは神と聖ペテロが呼んでいなさるのが聞こえないのか。お前たちの霊魂とお前たちの死んだ親しい者の救いのことを思わないのか。…そもそもお金が箱の中でチャリンと音を立てさえすれば、魂は煉獄の焔のなかから飛び出し天国に舞い上がるのだ。免罪符を買えば、キリストの母マリアを犯しても許されるのだ。」(半田元夫・今野国雄 1977 「キリスト教史・・・」(世界宗教史叢書)山川出版社) ↓ (勧誘)これであなたも天国へ!さあ、悪いことをやってる奴ほど「チャリン」のお金の音をたくさん響かせよう!! ↓ (果1)お金をたくさん寄付した人は天国へ行けます。 (果2)お金をたくさん寄付しないお前らはとっとと地獄へ行け! ↓ (条件)ただし、天国へ行くためには正統なカトリックである必要があり、異教徒や異派はそもそも天国へ行く資格はない、地獄行は確定してます。あのダンテが「神曲」で14世紀初頭にもこういうことを書いてます。 ![]() 「サンドロ・ボッティチェッリによる肖像画(1495年)」 <DATA> ダンテ・アリギエーリ Durante Alighieri ■1265年~1321年9月14日(56歳没) ■イタリア、フィレンツェの詩人、政治家 ■代表作:「神曲」「新生」 あくまで、ルターが宗教改革を行った「当時の」という条件下ですから、ご了承ください。 さて、日本人にはよく分からない内容かもしれません。ただ、この因果関係の「形」だけは「仏教」と同じです。これも超ごく簡単に書いておきます。 <仏教編:因果関係> (因):この現世で修業する。 (果):修行次第で六道(りくどう)(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)のいずれかに転生する。 具体的にはこんな感じでしょう。 (目的)死んだら、みんな地獄でなく、極楽へ行きたい。 仏教のも酷いのばかりですが、これも比較的ライトな地獄絵を載せておきましょう。 ![]() ↓ (因)そのためには現世で修業しなければならない。 ↓ (語義)「業(カルマ)」とは何か。現世に生きていると必ず積み重なってしまう罪。歩いていると知らず知らずにアリを踏みつぶすという殺生をやってるかもしれないし、顔に出さずに「あいつムカつく」と心で思っただけで仏教では罪です。だから、生きていると必ず積み重なってしまいます。 ↓ (勧誘)極楽へ行くためには、ウチの宗派に入って念仏を唱えて修行しよう!「悟り」を開けるかも!?(凡人には普通無理だけどね~)。 ↓ (果1)上手く修行できた人は、上から「天上」「人間」「修羅」のいずれかに転生できます。 (果2)修行せずに業が溜まって死ぬと「畜生(牛とか豚とか)」「餓鬼」「地獄(最下位)」のどこかに落とされます。詳細はコチラのページで紹介されています。特に地獄の種類… 「仏教世界の「地獄」はどんな場所か」 このように内容は全然異なりますが、因果関係の「形」だけは似てますね。 良い行いをするから→天国。悪い行いをするから→地獄、という部分です。 ただ、この二者で決定的に異なることがあります。 それは、来世があるかどうか、という点です。 単純化すると、仏教ではいずれにしても来世へ転生出来るという可能性があるのに対して、キリスト教ではあの恐ろしい地獄へ行くともう終了~ということです。 これほど世界中で科学教育が進んでしまうと、現代では「そんなバカな」と思うでしょうが、当時まともな教育などありません。識字率ですらヨーロッパでは相当低かった、という事実もあります(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8」参照)ので、教会が地獄の怖さを流布すればするほど、ヨーロッパの人々の間では死ぬともう二度と這い上がれない「地獄」への恐怖は半端なかった ということなのです。 この、民衆におけるとてつもない恐怖を悪利用したのが、「贖宥状(しょくゆうじょう)」またの名を免罪符」 と言うのです。 「信仰によってのみ義とせらる」とするルターの立場(これを「福音主義」と言いました。※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、 オランダ 7」参照)は、カトリック教会がやっているような無慈悲な金もうけでなく、聖書に書いてあることを中心にしようという主張であり、聖書のみを仲立ちとし、信仰によって人々は神と直接結ばれるべきだとする立場です。 このように当時のカトリックの悪行を批判し、原初のイエス教えが記載されてある聖書に正しさを求めた、ということで「改革」なのです。 次回は、このルターの宗教改革以後、プロテスタントの変遷はどのように遂げたかを書きます。お楽しみに~! 今日のテーマに最もふさわしい、ハマ口推奨、今日の一曲はこちらです。 |
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