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みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -

やー、寒いす(;´д`)<萎ェェェ↓

「寒さ撲滅ファシズム」のハマ口的には、いち早く南方に移住するか、地○温暖化推進をどうにか個人的にでも図りたいこの頃です。

さて、どーでも良い時候のフリはおいといて、今回は核心に迫れるのか!? 迫りますとも!

まずはカルヴァンの「予定説」のおさらいです。

「予定説て何?」の方は、「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、 オランダ 7」で既に詳細は書きましたので、そちらを参照してくださいねー。

山川の世界史B用語集の項目から引用してみると、「予定説」はこのようが定義となっていました。

「予定説」
魂の救済は、人間の意志や善行とは無関係であり、あらかじめ神によって決められているという説で、カルヴァンによって徹底された。そして自分の仕事を神から与えられた天職として励めば、やがて自分が救いの対象となっているという確信を得られるとした。カトリックでは蓄財を否定したが、カルヴァンはこの予定説において、天職に励んだ結果としての蓄財を認め、新興市民階級の活動を宗教的に承認したため、資本主義の発展に貢献することになった。


正直に告白すると、この中で、
「自分の仕事を神から与えられた天職として励む」
    ↓
「やがて自分が救いの対象となっているという確信を得られる」

というのが、以前のボクにはさっぱりわかりませんでした。

どのように見ても論理的飛躍としか感じられなかったからです。

でも、これはカトリックの考えと比較することで答えは得られます。さっそく以下でやってみましょう。

まず、旧来のカトリックでは、生きているうちに善行を積む→天国への扉を開ける、という因果関係です

これは日本の仏教なども因果関係としたほぼ同じです、と以前に書きました。(※「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革 -」参照)

この逆論理を考えれば理解できます。

つまり、プロテスタントの予定説によれば、神様が予め全てのことを決めているこの世の中で、良い行いをしようとあがいている人間はしょせん無駄な努力であり、結局は出来ずじまいで死ぬに決まっていて救われない。むしろ、どんなに悪いことをしようと思っても、予めこの世で真に良い行いが出来ている奴こそが天国への扉が開けているに決まっている、ということなんです。

だから、今、勤勉に何度も良い行いをやって、事実人に感謝されている自分は天国へ行けるはずだという確証を持つ、と考えればわかりやすい と思います。

※話はちょいそれて、以前、格闘家:須藤元気の著書「幸福論」にあったと記憶してますが、彼が四国のお遍路をした際に、ずっと「ありがとう」を唱えながら、しかもカウンターで言った回数を数えながら霊場を回ったそうです(ちなみに言った回数は、21万90回らしいです)。普通は人から何かをやってもらった時に言う感謝の言葉が「ありがとう」ですが、逆に、先に「ありがとう」を唱えることによって、自分が人を感謝できる人間になれる、と。この因果関係は日本の言霊信仰(ことだましんこう)の典型ですね。

話を元に戻しましょう。

これに加えて、カルヴァンは「蓄財」を肯定しています。これも逆に言うと、それまではカトリックで「蓄財」は否定されていた、ということになります。

否定されていた証拠は新約聖書にあります。
「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい」て、言ってますからね(新約聖書『マタイ19章16-26節』)。
と、イエスがこのように青年に諭す場面があります。

また、矛盾しますが、教会は民衆から税や「贖宥状(免罪符)」などの手段で金を搾取しまくっており、デカい教会はバンバン建てるわで、教会自らが放蕩の、いや、蓄財の権化みたいな体(てい)をなしていたのに、「お前ら蓄財やってんじゃねえ!」とツッコミが来なかったのはラテン語を独占して、人々を文盲のままにしておいたからこそでしょう

ちなみに、さっきのイエスの言葉を思い出してほしいんですが、実は「商業」というのは洋の東西を問わず、ずっと蔑まれるものでした
朱子学(儒教)思想においてもそうです。王族や貴族といった支配階級はそもそも別格です。
農業は人の生命の源を生産するので尊い。また、農業ほどでないにしても工業の物づくりがなくては物理的に生活が成り立ちません。いずれも、汗水流して生産に関わるものですから尊い、と考えられていました。江戸時代の「士・農・工・商」の上からの序列の意味がこれで分かります
つまり、江戸時代のコレ、チャイナから輸入された朱子学(儒教)の思想なのです。(いずれ、日本編はやります)

先ほどのカルバンの「予定説」では、この世における人のあらゆる生活は神様に対する勤めであることにもなります。頑張って仕事に専念し、更には「禁欲」を徹底して仕事で成功すれば、当然のことですが副次的なこととして蓄財も発生します。
第一義的には、他人に良い商品を売って、他人は喜んでくれた(これまで禁止されてた金はたまったけど)。てことは、「オレは隣人愛にも成功したんだ」となり、ますます自分は天国への扉が開かれた「選ばれし者」であると確信を持てるのです。


このようにして、宗教改革で生じた新たな生活倫理、これが「蓄財の肯定」なのです

ボクは歴史を科学で考えるので、当時の歴史事情や常識を考慮し、客観的に文献で事例を取り出して、極力今の価値観から断罪しないようにしながら、その功罪を判断しておかねば、といつも思うので言っておきますが、この「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教」シリーズを通して、カトリックやカルヴァンをこう書いてくると、カルヴァンがすごくイイ人のように見えますよね?つまり、カトリックが悪でカルヴァン派が善みたいな。

しかし、カルヴァンにはスイスで宗教改革を行った当初はやはり反対派が多くて、一時ジュネーブから追放されました。けれども、戻ってきた1541年から14年に渡って市政の実権を握り、「神権政治」という超厳格な教会改革と政治改革を実行したせいで、異端者をひっ捕らえて生きたまま火刑にするということもやっています。また、他にも独裁の恐怖政治を敷いて反対派などをバリバリ処刑に追いやってます。

こんな恐ろしい負の側面も過分にあるので、ぜひとも両論併記しておきましょう(どっかの国の、フェイクニュースで昨今読者数を減らしまくっている「朝○新聞とは違います→夕刊フジ 12/5(火)『朝○新聞の購読やめた』ツイッター大反響、長崎・平戸市長を直撃 『信用が著しく落ちている』 )。

余談ですが、カルヴァン派の「予定説」に基づく、こうした教義内容の性質に注目して、16世紀の一連の宗教改革と資本主義という新たな関係を逆説的に論じたのが、19~20世紀の大経済学者:マックス・ウェーバーの名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年)です。

Max_Weber.jpg
マックス・ウェーバー(Max Weber)
プロイセン生まれの、バカシブ男の代名詞!!
■1864年4月21日~1920年6月14日 (56歳)
■父は政治家、母は上流階級出身の敬虔なプロテスタントの裕福な家庭の長男
■政治学者・社会学者・経済学者

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「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年)

これは本当に皮肉なことなんですが当時最も金儲けに否定的であったキリスト教という宗教が、ルターによって原初の聖書に戻り、そして、そこから派生したスイスのカルヴァンによって金儲けを積極的に肯定する論理づけと、資本主義を生み出してしまったということになります
つまり、最もカトリックが嫌っていた商業(金儲け)に正当性を与えたということになります

でも、歴史上、カトリックがやらないけど、誰かがこの商業をやっていないと貨幣経済は成り立ちませんよね。
「・・・一体誰がやってたんだろ?」と思いませんか?

ルター以降、そして活版印刷術による聖書の大量な広がりによって、そこに書かれた内容を知ったキリスト教徒によって、蔑視されていった人たちです。

それが「ユダヤ人」。

次回、お楽しみに~!

もうすっかりスッキリ朝ですが、オヤスミのハマ口推奨の一曲でお別れです。


「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」

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