CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

島原の子守り唄

島原の子守り唄

おどみゃ島原の おどみゃ島原の
ナシの木育ちよ
何のナシやら 何のナシやら
色気ナシばよ ショウカイナ
はよ寝ろ泣かんで オロロンバイ
鬼(おん)の池ん久助どんの
連れんこらるバイ

帰りにゃ寄っちょくれんか 
帰りにゃ寄っりょくれんか
あばらやじゃけんど
唐芋飯(といもめし)ゃ栗ん飯
唐芋飯ゃ栗ん飯 黄金飯(こがねめし)ばよ
ショウカイナ
嫁ごん紅(べん)な 誰がくれた
唾つけたならあったかろ

沖の不知火 沖の不知火
消えては燃える
バテレン祭りの バテレン祭りの
笛や太鼓も鳴りやんだ
早う寝ろ泣かんでおろろんバイ
早う寝ろ泣かんでおろろんバイ


これを書くにあたって、倍賞千恵子さん、吉幾三さん、藤圭子さん、塩田美奈子さん、森昌子さん、小柳ルミ子さんなど、可能な限り聴き比べました。

心に響くのは、ホントにボクの主観なのですが、間違いなく倍賞千恵子さんでした

倍賞千恵子



なぜなら、この唄は「歌」でなく、子守「唄」だからです。子どもが眠りにつく時、誰のが一番心地良いのか、これを基準に聴き比べました。
他の人は普通に上手な「歌」に聞えました。しかし、倍賞千恵子さんのはちゃんと「子守唄」なのです。

ボクは「男はつらいよ」が邦画のバイブルなので、確かに主演を務める倍賞千恵子さんにはかなりバイアスがかかった見方をしているのかもしれませんが…。

この唄を作ったのは宮崎康平ですが、彼は南旺土木をやりながら島原鉄道専務になっています。
父:徳市が心血注いだ島鉄だったので、ここへ入ることが念願でした。
そして、オンボロの客車を修理して走らせて、昭和天皇のお召列車まで迎えています。

観光ブームの折から、宮崎は家庭を顧みることなく働きます。そうして、過労で倒れ、失明しました。
そうして、妻に去られた宮崎の人生は大きく変わりました。

「私は戦後女房に逃げられました。母親を慕って泣く赤ん坊をあやしながら、私はいつしかオロロンバイと唄っていました。それが島原の子守唄になったのです」と、彼はこのようなことを婦人会の講演などで話していたそうです。

しかし、彼がこの唄を創作した背景には、もっと哀しい根っこがありました。

当時の島原半島や天草の人たちは貧しかった。

「唐(から)ゆきさん」

貧しさゆえに人買いに買われていった、娘たち。
シンガポールやジャワ、スマトラ方面まで出掛けていったそうです。
この唄の底流には、宮崎がここで見聞きした、闇の事情があるのです。

島原に残っていた「唐ゆきさん」は、悲惨な渡航の状況をこう語っています。

「まっ黒か石炭船ん底ですたい。そるこそ腰巻一枚で、ピロウな話ですばってん、クソも小便もたれっぱなし、おそろしかっとひもじかっとでふるうちょる私たちば、ふとか外国の船乗りたいが、うつりかわり抱きくっとですたい」

目的地に着いてからも彼女らの地獄絵図は続きます。
夜に紛れて荷物同様に荷揚げされた娘たちは、密室に閉じ込められるのです。

ここではじめて食べ物が与えられます。
初めはパン、カレーライス、ビフテキといった具合に、だんだん上等なものになっていく仕組みです。
それは、この娘たちの食いつく様子を見ている西洋人たちのテストでした。

つまり、最後まで食い意地をはらず、食べ物に手を出さない娘に高値が付けるためです。
日本と違って、強情な娘ほど粘り強く働くと見ていた楼主たちの合理主義的な経営哲学なのです

歌詞の中にあらわれる「鬼池の久助どん」も人買いのひとりなのです。

作家の創作した意図の根底に、当時の島原の貧困と自分の悲哀とが交錯した、こうした視点も加えてこの唄を聴くといたたまれません。

「ながさきの民謡」 長崎新聞社編 を参考に書きました。


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