CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11- オランダ独立(2)

さて、オランダはどうやって神聖ローマ帝国、いや、スペイン・ハプスブルク家から独立を果たしたのでしょうか?

それは、三十年戦争で神聖ローマ帝国が解体され、カルヴァン派が勝ったからです!

と、具体的事例や論理性をすっ飛ばして結論から入るとまた訳が分からなくなり、批判の嵐が吹き荒れますので、順を追って書きますとも!

ちなみに、なぜ「三十年戦争」なのかというと、1618年から1648年の31年間の長きに渡って(途中断絶したり、また開戦したりしましたが)、行われたから…に決まってますよね、普通(;・∀・)

The_Hanging_by_Jacques_Callot.jpg

おっと、画像の挿入間違えました:(;゙゚'ω゚'): この画像、風のように忘れて下さい。

まず、当時の情勢を地図で見ておきましょう。

16世紀 プロテスタントの広がり
引用:世界の歴史まっぷより

アレ?この時、スペインとネーデルラントってフランスを挟んで戦ってるけど、フランスは何してたの?

こういう疑問が生じるのが普通です。

それに、海を隔てたイングランド王国とスコットランド王国やデンマーク、ノルウェー、スウェーデン王国などもこの戦争には関わってきます。
三十年戦争は世界史上「最後の宗教戦争」と呼ばれていて、カルヴァン派の積年の恨みが爆発する大戦争へと発展したのです

なぜルター派じゃないの?と思った人、スルドイです!

話は前回のブログで書いた、カール5世が開いたトリエントの公会議にさかのぼります。

公会議とは、バチカンの教皇庁に全世界からの代表者が集まり、教義などの重要事項を決定する最高会議のことを言います。

公会議は325年のニケーアで開催されたものが初めでした。ニケーアではイエスはいったい何者なんだという話し合いがなされました。この時、アリウス派とアタナシウス派の二者が争い、アリウス派が「人間だろ」と言ったのに対し、アタナシウス派は、「いや、イエスは父(創造主)であり、子(その息子で人間)であり、聖霊(…詳細は抽象的すぎて不明です。今度どっかの教会に礼拝行って神父様に聞いておきます。でも、理解できるかどうかの保証はありませんが…)だ」と主張しました。

この論争で結局アタナシウス派が勝ち、今に至る「三位一体(さんみいったい)説」が正当だとなったのです

話を戻しましょう。

元の木阿弥:トリエントの会議は、長いこと時間を費やしたのに、結局は妥協どころかこれまでのカトリックの伝統で行こうと決定したものでした。

ただ、会議途中の1558年、発起人のスペイン王:カール5世が亡くなりました・・・。

Charles_V,_Holy_Roman_Emperor_by_Tizian
伝ティツィアーノ・ヴェチェッリオ画、1548年(アルテ・ピナコテーク蔵)

神聖ローマ皇帝として、彼はどのような人生だったのでしょうか・・・。

イタリアを巡って、隣国のフランスのフランソワ1世&アンリ2世父子との戦争に明け暮れ、ドイツから広がった宗教改革後のプロテスタントとの戦い、スレイマン1世が率いる強大なオスマン帝国との戦いにも阻まれて、あと一歩のところで神聖ローマ帝国の覇権樹立という目的は果たせませんでした。

また、晩年には痛風による激痛との戦いと相次ぐ戦争に疲れ果て自ら退位し、息子フェリペにスペイン王の座を譲位。オーストリア・神聖ローマ帝国関係の地位と領土は、フェリペの弟のフェルディナント1世に継承させます。

これをもって、神聖ローマ帝国:ハプスブルク家はオーストリア・ハプスブルク系とスペイン・ハプスブルク系に分裂していくことになりました。

引退する前年の1555年、カール5世のスピーチが残っています。

余はドイツへ9回、スペインへ6回、イタリアへ7回、フランドルへ10回、フランスへ4回、イギリス、アフリカへ2回ずつ、合計40回におよぶ旅をした。(略)これまで余は、経験不足や、あまりのむこうみずさなどによって、多くの過ちを犯してきた。しかし、けっして誰かを傷つけようという意図はもっていなかった。もし万一、そんなことがあったとすれば、ここに許しを請いたい」と言って、涙で演説がとぎれてしまったそうです。

フェリペだけでなく、弟フェルディナンド、姉エレオノーレ、妹マリアという、彼の子供たちも出席し、1517年まで生まれ育った、ネーデルラントの一部ブリュッセルでの退位式でした。

そして、自らはスペインのユステ修道院に隠棲して、日常的な痛風の激痛に苦しみながら人生の幕を下ろすのです。享年58歳でした。

カール5世ほど、いろんな戦いに人生の大半を捧げねばならなかった宿命、ボクら現代に生きる人間には到底想像もつきません・・・


1556年からトリエントの公会議であとを継いでいたのが、バリバリのカトリック推進派フェリペ2世です。

フェリペ2世2

しかし、実はこの前年の1555年9月25日、ドイツ近辺の地域では公会議でない、神聖ローマ帝国のアウグスブルクで別の会議が開かれていたのです。だからここに教皇はほとんど関わっていません。皇帝と諸侯の間の取り決めです。

ここで何と、カトリック側は「ルター派は仕方ないから認めよう」という決定がなされるのです。主な決定内容は次のようなものでした。

1:ルター派は認める(カルヴァン派とツヴィングリ派は、あいつら噂によれば過激だからダメだけどね)
2:カトリックかルター派かは、その地域にいる領主が決めてね(個人が勝手に選ぶなよ)
もう少し細かいのもありますが、ま、これだけでイイでしょう。

このうち、「カルヴァン派はダメだけどね」、というのが後のために重要なポイントです

そうこうしているうちに、1581年、オランダはスペインからの独立を宣言してしまいました!

といっても、1555年のアウグスブルクでの和議以来、カルヴァン派が認められない中で、ネーデルラントは17州ある領邦のうち、北部7州(今のオランダ辺り)、南部10州(今のベルギー辺り)というように分かれてました。この南部にカトリックの連中には元々多かったことから、南部10州はスペインのカトリックの圧政に屈してしまいました。

しかし、北部は「カルヴァン派の信教の自由を勝ち取るまで負けぬ!」とばかりに抵抗し、ユトレヒトで同盟を結んで団結を誓います

この北部7州の中での一番有力だったのが「ホラント州」で、これがポルトガル語で「オランダ」に近い発音となって、先に日本にポルトガル経由で入ってきてたから、のちにネーデルラント人が日本に来た際、「ああ、南蛮人から聞いてたあんたらがオランダの人ね、この前来てたエゲレスの人と同じ『紅毛人』の 」となっていく訳です。(※「鉄砲を伝えたのはポルトガル人ではない!? 5」 参照)

お判りですか?南蛮人と紅毛人の違い

実はコレ、それぞれ「カトリック」か「プロテスタント」かの違いなんです

ちなみにですが、1584年に日本からの「天正遣欧少年使節」を歓待したのが、フェリペ2世です

JapaneseEmbassy.jpg

そして、このネーデルラント北部の連中が高らかに宣言したのが、「ネーデルラント連邦共和国」独立!」です。
・・・まだ、承認されてませんよ。単に、国だと言い張っているとヨーロッパの他国はみてますから。

なぜでしょう?それは国の名前に表れてます。

「ネーデルラント連邦共和国」

「共和国」は、「皇帝や王様がいない、貴族のパラダイス」という意味だからです
後でイギリス編の時にも使用する語義だと思うので、ここ暗記必須です。

初代総督(当然共和政だから「王」ではないですね)が、オラニエ公ウイレムと言います。アルファベットで書くと、Willem van Orange 英語ではオレンジ公ウィリアムになります。

WilliamOfOrange1580.jpg
オラニエ公ウィレム1世(Willem I)
■1533年4月24日~1584年7月10日

王がいないので当然ですが、話し合いを貴族みんなで進めていくというのは、歴史上なかなか経験したことがないので難しいことなのです。

しかし、この人は就任してわずか6年目でカトリック教徒に暗殺されてしまいます。

再びダークサイドのとばりが…。

しかし、ダークサイドの脅威は、ラッキーにもオランダに訪れませんでした。

要因の一つが、フェリペ2世のスペインの誇る「無敵艦隊」が1588年、アルマダ海戦でイギリス海軍に潰滅されてしまったことです
不運にも暴風雨もあって、「無敵」のハズが木端微塵です。

そもそもなぜ「無敵」という名前なのかというと、少しさかのぼること1571年、フェリペ2世はあの強大なオスマン・トルコ帝国と無謀にも戦います。教皇やヴェネツィアとの連合軍で挑みます。フェリペは、アメリカ大陸や日本の下のフィリピンまで支配領域に置いた力を過信していたのでしょう。ギリシア西岸の地、レパントでの海戦が火ぶたを切ったのですが、わざわざ地中海を横断してギリシアの方まで行ったのは、この地中海を支配しているオスマン帝国を叩き潰そうとしたからでした

無謀にしかけた戦争でしたが、勝ってしましました(ラッキーで)。

この時に「オスマンに勝ったオレには恐れる者はない、無敵だ!」ということでつけられたあだ名が「無敵艦隊」

ただ、ラッキーで勝っただけだったんで、のちに一緒に戦った奴らとの内ゲバもあって、また地中海の覇権はソッコー、オスマンに戻っただけに終わりましたが・・・。

しかし、オスマン帝国強いです

どうしても日本人は西洋の歴史と東洋の歴史を分断して教科書で学び、あとは「その他ね」で済ますことが多いと思われます。しかし、間違いなくこの16世紀に最先端の国は西洋ではありません。中央アジアから東アジアです。軍事にしろ文化にしろ、ホントに洗練されて素晴らしいのです。数学もアラビアの学問で、我々が使用する数字もアラビア数字です(ゼロの観念はインドですね)。

スペインやポルトガルといった、いわゆる「大航海時代」を担った奴らが、あれほど欲しがった「香辛料」が入ってこない理由が分かったでしょうか?

オスマン帝国が強すぎて支配領域を通れないのです。だから、東南アジアへ行くのにわざわざ遠回りして、アフリカの下を通って行かねばならなかった、ということでしたね。(※「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 1 参照)

小説「ドン・キホーテ」の作者ミゲル・デ・セルバンテスがこのレパントの海戦時にスペインの連合軍で参戦してます。それで左手に銃撃を受けて片腕となってしまいましたが、右腕が残ったために「ドン・キホーテ」が書かれた、と、いろいろ言われてますが、定かではありません。

その後もフェリペ2世は1580年には隣のポルトガルも併合し、いよいよもって「太陽の沈まぬ国」を絶賛建造中でした(オスマンのやつらがいないとこ限定)。オランダが独立宣言をする前年です。

しかし、この「無敵艦隊」が1588年にイギリス艦隊に負け、スペインの覇権は次第に衰退していくのです

そして、ついに1609年にはスペインとの休戦条約が締結され、オランダはスペインから独立を果たしました

ただ、ヨーロッパ内での国際的な承認は得ないまま時間は過ぎていきます。そして、国のカルヴァン派もまだ認められていないままなのです。「アウグスブルクの和議で、何でルター派認めたくせして、オレたち認めなかったんだよ」と恨み節全開でした。

こうして、八十年戦争の後半へとつながっていきます。いよいよ真の独立を果たした戦争へと。
ここにフランスも色んな国も関わってきます。ただし、それは血で血を洗う、人類史上でも過酷なものでした。

今回の最後に、カール5世の晩年について補足しておこうと思います。

カール5世は、1548年にネーデルラントの全州である17州を、スペイン王国およびフランスからの分離独立を認めました。
更には1550年には「バリャドリッド論争」の名で知られている、アメリカ先住民:インディオの地位とインディアス問題に関する審議会を開きました。
これは、アメリカ大陸でインディオを無差別に虐殺しまくったことを告発してきた、あのラス・カサス神父らの長年の活動が実ったともいえる決議でした。また、最終的にエンコミンダの世襲化の導入が阻止されるなど、アメリカ先住民:インディオへの不当な行為の撤廃を目指した、当時のヨーロッパ社会では人権という概念を意識した、非常に画期的な審議会となったのです。これをリードしたのがカール5世だったのです。

Bartolomedelascasas.jpg
ラス・カサス神父

「人間にはどうしても変えられないものと、変えられるものがある」、ということをカール5世を通じて、もう遥か前でしたが、ボクは学びました

歴史の研究というのは、未来をより良く生きるため、正しい判断をするために必要な、人類の知恵の集積を知ることです。こうした知恵をわかりやすく、子どもたちの心に響くように伝えられたらイイなと本当に心から思います。

次回、フランスとオランダの周辺国の事情です。お楽しみに~!

dejima_agin_rogo-3.png

<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 3
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 6
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 7
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 10 - オランダ独立(1) -

<宗教改革編>
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -

テーマ:歴史大好き! - ジャンル:学問・文化・芸術

オランダ関連 | コメント:0 |
<<出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 12 - オランダ独立(3)- | ホーム | みんなで知ろう☆PEACEBLUE代表・浜口剛の魅力(1)>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |