CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

「沈黙」遠藤周作と碧き海

映画:「沈黙 ―サイレンス―」が始まりましたね。
ウチの書庫にしばらく眠ってた、遠藤周作の原作「沈黙」を引っ張り出してきて久々読み返しました。

この作品や、一連の遠藤周作文芸を読んで思うのは、「信仰」と「人間」の普遍性とは何かということです。
「カトリック Catholic」とはそもそも「普遍」を意味するのに、世界史上のキリシタンの歴史には普遍性を認めず、あの新大陸での虐殺を始めとして、繰り返された多くの負の側面もあります。
そうした人間の両面を捉えて、遠藤周作がこの「沈黙」という作品から時を経て発展させたのが「深い河」(1993年)ではないかと思うのです。

人種を超越して、人間がもつ普遍性とは・・・。ルネサンスの先駆けとなったダンテ・アリギエーリの「神曲」においても、異教徒は地獄に落ちてしかるべきというようなことも書いてあります。異なる信仰を除外し、宇宙の営みに比べれば瞬きの間もない自らの生を正当化するのに都合が良い理を守り続け、権力におもねる人間の脆弱。

こうした、運命的に矛盾する存在の人間とは何か?という大きなテーマに生涯挑み続けたのが遠藤周作であるとボクは思っています。

「沈黙」に登場する架空の「トモギ村」のモデルの一つが、江戸時代に大村藩が治めていた黒崎村です。
黒崎と外海の海の美しさはもう素晴らしすぎて何度訪れたことが…
青いという言葉を使いたくないほど碧い。

外海の海

遠藤周作自身も、ここを「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」と評しているほどです。
そして、碧い海を遥か見下ろすこの丘に、「沈黙の碑」が建てられました。

沈黙の碑


「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」

あまりにも切ないこの沈黙の碑の言葉は、ここから初めて海を眺めて、訳もなく深く心に突き刺さった言葉です。


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