CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 16 - アジアへ(1) -

前に「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 1」で、書いたように、16世紀のヨーロッパの食生活は現代の我々が想像する以上に貧しいもので、家畜の飼料がなくなる冬には、家畜を殺して保存した、その腐った肉を食べるしかなかったという時代でした。

「香辛料さえあれば、肉の保存ができて冬でも腐った肉を食わずに済むのになぁ~。でも、交易路にはオスマン・トルコがいるしなぁ~orz」 という感じでした。

これに加えて、服飾産業も現代と比べて、実はかなり貧しいものです

今回は、この「服飾産業」の事情という観点からの、怒涛の展開です!

今の世界を見てみましょう。ほとんどの服は着やすい「綿製品」です。この綿製品が主流となるのは日本でもまだ後です。江戸時代までの日本ではその代わり、「麻」が主流でした

今のどっかの国の漫画オタク副首相の姓名が「麻が生える太郎さ」ですね。一族の由来がよくわかります。

ヨーロッパの人々が着ていたのは、綿製品が皆無だったこの時代にはほとんどが毛織物です。
農民の踊り1568
ピーテル・ブリューゲル「農民の踊り」1568年

ただ、13世紀には木綿と亜麻の交織のフスティアン織なども登場しているようですが、主流とはなっておりません。原料となる綿花があまりないからです。この綿花については、のちにイギリス関連で必ず扱いますのでぜひご記憶を。

毛織物の原料となる羊毛は、まずイギリスで羊を育て、この毛を刈って国外へ輸出されました。それを毛織物に加工したのがオランダ・ベルギーのフランドル地方でした

これより前の11世紀の中世にも、毛織物業を中心に商業とそれに伴う経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄したが、このフランドルです
低地もなんのそのです。
むしろ低地と平地の方が、開発が行われると水の便の利点を活かせます

山岳地帯で国際経済が発展するとは到底思えません。

船による往来が頻繁に出来るようになるというのは、交易が盛んに行われることを可能にする、ということと同義です。今でもヨーロッパ連合(EU)の玄関口は、やはりオランダのロッテルダムにある、通称「ユーロポート(ヨーロッパの港の意味)」です。コンテナがずらりと並ぶ光景は圧巻でさえあります。

ユーロポート
ロッテルダム ユーロポート

日本でも「江戸」が大都市になったのも地形的な利点を交易で活かせるからです。

東京に行けば分かるように、大規模な水運がこの都市を作り上げたことがよく理解できます。ちなみに、江戸は「穢土(エド=けがれた土地)」と呼ばれていた、という説もあるくらい、大坂(おおざか)や京都に中心が置かれていた時代からすると未開発の土地あり、沼地でした。豊臣秀吉の天下統一の際に、脅威となる徳川家康を「穢土」に追いやった、という説もありますが全く定かではありません。

とにかく、秀吉の天下統一の年である1590年にこの辺りにいた後北条氏の北条氏政が、あの「小田原征伐」で秀吉に滅ぼされ、その旧領に封ぜられて開拓の命を受けたのが徳川家康でした。その後、沼地の開発が進んで、江戸は当時の世界でも有数な大発展を遂げています。

オランダ・ベルギー=ネーデルラント(「低地」の意でした)も同様でした。中世フランドルの都市で商業が発展した都市として有名なのは、ブリュージュ、ガン、イープル。近世になると、アントウェルペン(アントワープ)、ブリュッセルが台頭します。「フランダースの犬」の舞台がアントウェルペンでしたね。(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9  - アントウェルペン編(1) -」 参照)


また、都市が経済的に豊かであるということは、文化が必ず発展します
音楽で「フランドル楽派」、そして絵画で「フランドル画派」が現れます。
ファン・エイク兄弟が確立した油彩画の技法がなければイタリア・ルネサンスもありません。また、トップにも載せた農民を生き生きと描いているブリューゲルもいます。ブリューゲルが描いた有名な作品は他にもみなさんも見たことありますよ(たぶん)。
  ハイ、コレ ↓
Pieter_Bruegel_the_Elder_-_The_Tower_of_Babel_(Vienna)1563.jpg
ピーテル・ブリューゲル「バベルの塔」1563年

以前にも触れましたが、バロック期にかけては、アントワープ大聖堂でネロが最期に見た絵画「キリスト昇架」を描いたルーベンスもフランドル画派でした。

と、毛織物の話に戻しましょう。

初めはイギリスでは高度な毛織物製品を作る技術がないので、原料を供給するだけでしたが、次第に金が貯まってくると、その資本によってイギリスでも毛織物業が始まります。そして、このフランドルと毛織物製品で競うようになるのです。

当時、フランス王の臣下の立場にあったフランドル伯が、こうした情勢下で競合するイギリス商人に圧力をかけてきたことがあって、これに反発したイギリスは「あーもう、面倒だからフランドルを直接支配下におこうぜ」となって、英・仏両国は戦争に発展しまず。

これを「百年戦争」と言います
百年も…。イギリスとフランスは後にも第2回戦の百年戦争をやっています。今でも仲が悪い訳です

この戦争初期に、イギリスとフランスの間の最も狭まったドーバー海峡にあるフランスの「カレー」という交易の要衝の地を寄こせと、1337年にイングランド王:エドワード3世が挑戦状をたたきつけ、後にここを占領します。そして、フランドルを輸出羊毛指定市場として商人組合に羊毛の輸出の独占権を勝手に与え、更には関税を徴収します。

百年戦争時
引用:世界の歴史まっぷ
カレーは上の方にありますので、チェックしておきましょう。

事の顛末(てんまつ)はいずれフランス編かイギリス編にて詳しく書きますが、この戦争後期に、劣勢だったフランスを救ったのがオルレアンのDQN少女「ジャンヌ・ダルク」です
ジャンヌ・ダルク
ドミニク・アングル「シャルル7世戴冠式のジャンヌ・ダルク」1854年(ルーヴル美術館・パリ)

ジャンヌ・ダルクが散歩していると、大天使ミカエル、アレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリタなどが現れます。そして、彼らが、「お前、イングランド軍をやっつけて、王太子をランスへと連れて行って、フランス王位に就かせななさい」という「声」を聞いた、というエピソードから始まります。はじめて聞いたのが12歳らしいです。そして、のちにこの通りに実行したいわゆるDQNさんなのですが、田舎娘に戦争での指揮を執るほどの戦略や経験値が備わっていたとはミジンコほども思われませんので、このエピソードはウソ・・・でなく、不明なのです。ただ、実際に劣性をひっくり返したのは歴史で語られている通りではあります…。

けれども、ジャンヌ・ダルクはシャルル7世にパリの解放を指示されますが失敗します。1430年にはコンピエーニュ包囲戦でケガを負って捕虜になり、イングランド兵に強姦されまくった上に、「お前、異端者だから死刑ね」ということで、1431年5月30日に火刑に処されてしまいました。19歳の少女であろうが容赦しません。その後ジャンヌ・ダルクは、死去して25年後に、ローマ教皇カリストゥス3世の命令で復権裁判が行われ、無実となって殉教が宣言されました。また、1909年に列福され、更に1920年には列聖されていて、フランスの守護聖人の一人となっています。

ですから、話がウソっぽくあろうがなかろうが、
このような聖人に向かって、DQNなどと失礼なことを軽々しく口走ってはいけません

ヘルマン・スティルケが1843年に描いた『火刑台のジャンヌ・ダルク』(エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク)。
ヘルマン・スティルケ「火刑台のジャンヌ・ダルク」1843年(エルミタージュ美術館・サンクトペテルブルク)

百年戦争は結局フランスが勝利し、イングランドはここから撤退します。この戦争後、イングランドでは例の「薔薇(ばら)戦争」が起こってウチでも諸侯はズタボロに疲弊しますが、この事態を収拾して、テューダー朝を開いたのがヘンリ7世でした(梅毒王ヘンリ8世の父の)(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 14 - 寄り道イギリス編(1) -」参照)

このように、百年戦争でイングランドは対岸の貿易港カレーをとるのが目的でした。ここはドーバー海峡の北海の出口に面しており、ドーバー海峡の幅が最も狭い所にあるため、貿易が楽に行えるということで、長年の貿易を支えてきた重要な都市だったからです。

ここさえ獲れば!イングランドが毛織物産業で大儲けできるハズ、だったんですがそうはいきませんでした世の中そんなに甘くはありません(人生訓)。

オランダ・ベルギー近辺のネーデルラントは毛織物製品の生産能力が高い技術を持っているからこそ、ヨーロッパの最先端地域だったのです

しかし、悲しいかな神聖ローマ帝国の一部であり、独立国ではありません…。

初めはフランク王国の一部であり、神聖ローマ帝国に組み込まれ、この当時はカトリックのスペイン王国の支配を受け続けます。
 
毛織物は非常に寒い冬が訪れるヨーロッパの人にとっては、衣食住の必須アイテムの一つです。だから、戦争中であっても、オランダの毛織物製品はスペインにも売られていましたし、何とオランダ独立戦争のさ中にもスペインと交易してるくらいです(禁止令が出たのですが、コッソリ)。

いわゆる「新大陸:アメリカ」にも、スペインが支配後には毛織物は輸出されました。輸出する、ということは「経済活動」です
当然マヤ・アステカ帝国などから収奪してきた金・銀が、今度はヨーロッパで毛織物の代金として支払われて、オランダに渡ります
そもそもオランダ自体は金・銀がとれないのですが、この毛織物貿易によって都市が潤うようになっていくのです

さて、こっからです

この金や銀がなかった時代。オランダは香料諸島(モルッカ諸島)へ行っても高価な香辛料と交換する財がありません。しかも、東南アジアに自国製品である毛織物を売って、香辛料を手にしようとしてもムダです。赤道直下で暑いから、南の国の誰もそんなクソ暑い毛織物製品を買う訳がありません(通気性最悪だし)。

香料諸島
                              香料諸島(モルッカ諸島)はココ↑

つまり、「供給(毛織物を販売)」したくても「需要(めっちゃ毛織物欲しい人)」が現地では皆無だということです

「だけど、冬でも肉を美味しく食べたいなぁ…」

これは肉食のヨーロッパ人にとっては切実な願いです。東南アジアの香辛料に超プレミアがついていたことは以前にも書きました。
しかし、オランダは毛織物をバンバン作って、スペインなどに売り、対価として金・銀を大量に獲得して蓄積が出来るようになると、それを持ってよ~やく念願の香辛料を求めに行ける訳です(;д;)。

ポルトガルが支配していたインドネシアの香料諸島は、こうして次第にオランダに支配が移っていくのです。

でも・・・なぜ、ポルトガル人がいなくなったと思います?こんなに儲かるハズ なのに

同じイベリア半島にあるポルトガルとスペインは、いわゆる「大航海時代」では交易圏の拡大を競ってきました。
トルデシリャス条約
スペインとポルトガルでまんじゅう(地球)を二つに分けるの図

しかし、16世紀の後半に入ると、ポルトガルの衰退が徐々に始まります。すると、スペインがその併合の機会をうかがううようになります。

不運にもポルトガル王朝は断絶し、これをきっかけとして1580年、あのスペイン王のフェリペ2世が軍隊を派遣し、ポルトガル王位を継承して、この国をスペインに組み込みました。また、ポルトガルを支配したばかりではなく、ポルトガルの海外領土も手に入れることになるので、そのフェリペの領土は地球規模となり、まさにこれをもって「太陽の沈まない帝国」となったのです。地球をまんじゅうのように真っ二つに割って分けていた時代はもう遠い話です。(※「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 3 参照)

また、カトリックであるスペインは自国と同じようにポルトガルでもユダヤ教徒追放令を出します

このユダヤ人らは、当時プロテスタントが独立運動をやっていたネーデルラントのアムステルダムに移住しました。しかも、このユダヤ人の中にはダイヤモンドを加工する職人などもいて、このユダヤ人の移住を機にアムステルダムの商工業が発展し、毛織物からだけでなく、商工業からの資本も蓄えられる、という富のスパイラルがオランダに訪れます

ここで、またフェリペはオランダの独立運動を妨害するために、オランダの商業船が元ポルトガルの港:リスボンへ入ってくることを禁止。そのため、かえってアムステルダムのオランダ商人が独自で海外に進出していくきっかけを与えることにもなってしまいました

後世の我々から見ると、ですが・・・この時のスペインの政策が宗教抜きに商売に徹したものであったら、今頃アメリカの一強でなく、スペイン一強だったのではないか?と想像してしまいます。

このようにして、カトリックとプロテスタント、更にはユダヤ教という宗教対立と独立戦争によって、スペインの事情からポルトガルは国として消滅していくのです。

ポルトガル人がいなくなったアジア交易に、チャーンス!!とばかりに、オランダ商人がどんどん参入してきた理由、とポルトガルがいなくなった理由はこのようなものでした。

ただし、オランダ人が多数で押しかけてきた、ということは、経済原理的にここで「市場競争」が生まれるということを意味します

つまり、多数の商人たちの「自由競争」になるので、香辛料を仕入れる価格が更に高騰してしまうということです

でも逆に、買った香辛料をヨーロッパに大量に持って行って、大量に香辛料を販売しようとすると、今度は「市場原理」からして販売価格は下がることになります

「高くで買って、安くで売る」。これは商売人的にはバカです。

さすがにこれでは、「はるばるアジアまでやって来きて買付けたのに、思うほど利益でないじゃん」、ということで、どうにか利益が出る方法を捻出するのです。

それは、商人らの複数の会社を束ねて一社にしてしまい、競争原理を排除して利益を根こそぎ独占しようするシステムです

途方もなくアジアで利益を独占した会社…
その名は「オランダ東インド会社」
(Vereenigde Oostindische Compagnie)

VOC、誕生です。

「染付芙蓉手大皿」江戸時代 伊万里焼
「染付芙蓉手大皿」江戸時代 伊万里焼
高さ6.4cm 径39.5cm 神戸市立博物館所蔵

次回は、長崎とも大変縁がある、このオランダ東インド会社について詳しく書きます!
お楽しみに~!


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<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 3
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 6
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 7
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9 - アントウェルペン編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 10 - オランダ独立(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11 - オランダ独立(2) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 12 - オランダ独立(3) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 13 - オランダ独立(4) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 14 - 寄り道イギリス編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 15 - 寄り道イギリス編(2) -
「ガリヴァー旅行記」に長崎が出てくるの、知ってました? イギリス編 外伝(1)

<宗教改革編>
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -」

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