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シーボルト先生 ~その生涯と愛~ 2 -「シーボルト事件」通説を流布す、の巻-

もはやボクのライフワークと化している、シーボルト先生の勝手放縦な独自研究ですが、今回は従来のウソ 通説を思いっきり流布することから始めます。

まず、その経緯を以下に時系列で17項目に分割して箇条書きしておきましょう。


「シーボルト事件」

1:1826年2月15日(文政九年正月九日)、花のお江戸ツアー(江戸参府)に出発。

2:シーボルトが目的としたのは、日本をくまなく調査することだった。

3:江戸に着くまでにいろんな所で見聞を行い、川原慶賀に絵を描かす。

4:花のお江戸に着くと、いろんな人たちと情報交換。

5:この中には、幕府の天文学者:高橋景保(かげやす)がいて、こっそりと日本地図を受け取る。

6:143日にも及ぶ長旅だったが、帰り道も調査しながらようやく長崎の出島に到着。

7:日本滞在が1年ほどになったので、蝦夷のことを詳しく知りたくなり、江戸の間宮林蔵に手紙を出す。

8:手紙を受け取った間宮は「シーボルト、って誰?」と、手紙の封を切らずにお奉行様に渡す。

9:1829年9月17日(文政十一年八月九日)、日本から帰ろうとしてた船が台風で座礁してしまい、なぜか再び荷物検査。

10:持ち出し禁止の「日本地図」が発見される。

11:長崎奉行から幕府に早馬が送られ、シーボルトの帰国は足止めを食らう。

12:江戸で地図をこっそり渡した、高橋景保が逮捕され、「あげました」と自白。

13:シーボルトのオタク・コレクションも残らず没収。

14:関係者や鳴滝塾の弟子たちも捕まり、ひどい拷問を受ける。

15:高橋景保はすぐ獄中で死に、これを聞いたシーボルトも自殺未遂。

16:妻タキに自殺は止められたが、シーボルトは国外追放処分となる。

17:1829年、追いすがるタキと娘イネを残し、泣く泣くシーボルトは帰国するのであった。


以上。

はい、流布してみました。

さて、今後の展開ですが、シーボルト先生のことを知っていただくために、日本へやって来るまでの若きシーボルトの話から進めなくては、事の真相がつかめません。

1990年代ぐらいから、これまでに多くの研究者や現地の人たちの努力によって新資料が発見されて、シーボルト先生が日本へやって来た目的やその背景となるヨーロッパ事情、そして、シーボルト先生の人物像がだんだんハッキリと分かるようになってきています。

いやぁ~ありがたいものです。

いま、宮坂正英先生や秦新二先生らがいらっしゃらなかったらと思うと…。

ただ、このシーボルト先生のことは、高校では日本史でちょっとだけ扱うところもあるくらいなのですが、中学生までで教わることはありません。

ホントにそれでイイんでしょうか?

つい先日、シーボルトゆかりの地、オランダのライデン市と長崎は(出島表門橋架橋にかこつけてよーやく)姉妹都市提携を結びました。

しかしコレ、今頃感がハンパないのは何なんでしょうか?

おそらくは、長崎市民だけでなく、日本国民がシーボルトの功績をほとんど知らないからだと思います。

そして、シーボルト先生のことを知らずに幕末の動乱を語るな、と言いたいところですが、ここは穏やかにいきましょう。

ボクは従来の歴史の検証に加えて、もちろん世界史や経済学、宗教学、地政学や統計といった様々な学問的観点から、推論と考察を加えていくつもりです。

と言っても、資料検証が膨大になり過ぎてて、なかなかまとまりがつかないのですが、このシリーズの1話目でも言いましたように、よ~~~やっと、まとまりがつきつつあります(;´∀`)

ウチの管理人&世界遺産部部長 Takao がシーボルト記念館に入るの図でお別れです。

高尾シーボルト記念館に入るの図

では、次回よりお楽しみに~!

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テーマ:歴史大好き! - ジャンル:学問・文化・芸術

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