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CROSSROADS×Nagasaki  -クロスロード×長崎-

異国文化が交差した長崎を科学と情熱で探究

出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 17 - 寄り道イギリス編(3) -

実は、オランダ東インド会社より2年前の1600年、イギリスが先に東インド会社を設立しています。
これもインドネシアにある香辛料を求めて設立されたものです。ジャワ島やインドに拠点を置いて、香辛料の獲得に乗り出しました。
エリザベス1世の時代です。

Elizabeth_I_(Armada_Portrait).jpg
1588年頃のエリザベス1世 無敵艦隊を倒してご満悦のご様子の図

しかし、この時期を考えてみると、このインドネシア辺りにはポルトガルを併合したスペインとオランダがいて、行けばこいつらと競合することになります

オランダは前回書いたように、毛織物の販売でスペインが大陸から持ってきた金・銀がしこたまあるので、交易に有利なのですが、イギリスはまだ大国ではなく、基本、民間交易を行うには毛織物以外の交換財があまり見当たりません。
当然、金・銀がなければアジアとの交易が出来ません。

アメリカ大陸にはスペインが幅を利かせていて、イギリスがアルマダの海戦で勝利したとはいえ、まだまだ世界では太刀打ちできません。また、航海術やコネクションの洗練度がスペインにはかなう訳がありません。

さて。

これまでの、この一連のブログを読んできていただいたみなさんが、もし当時のイギリス国王ならどう考えますか?

ボクなら必ず日本へ行きます。倫理観を抜きにすればですが…。

まず、日本には当時は銀が山ほどあるからです。日本との交易さえ成功すれば、つまり、日本の情勢を見ると日本製の武器より良質な武器を輸出できれば銀がゲット出来ることは分かっているからです。ヨーロッパは戦争ばっかりやってますから、ある意味武器の質は良いに決まってます。

日本の情報は南蛮貿易で交易を行っていたスペイン・ポルトガルなどから、確実にヨーロッパへもたらされていて、航海のリスクか富かを秤にかけて一攫千金を狙う、という当時はハイリスク&ハイリターンのビジネスだったでしょう。
ポルトガルは種子島に鉄砲売ってますし(※「鉄砲を伝えたのはポルトガル人ではない!? 1」シリーズ参照)、日本は戦国時代真っ最中です…。つまり、良い武器に対する需要はかなりある、と考えられます

以前、「ヴェニスの商人」の話、少し書きました。(※「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -」参照)
ま、いちお簡単にあらすじを書くと、
主人公のアントニオは、友人バサーニオから富豪の娘ポーシャと結婚する資金を融通してくれるようお願いされますが、彼の財産は航海中の船に積まれているため貸すことができません。そこで、期日までに返済されなければ彼の肉1ポンド(約450g)を与えるという無茶な条件を飲んで、大嫌いなユダヤ人の金貸し:シャイロックから金を借ります。ところが、船は難破し全財産を失います。
結局返せなくて、裁判官に化けたポーシャに命を助けてもらいましたけどね。
ただ、そうしてでもハイリスクの船の貿易というのは儲かるビジネスではあります。

これはイタリアの話ですが、全く同時期のストーリーです。

だからこそ、およそこの時代の交易はリスクヘッジ(危険を避けること)のために「船団」を組んで出かけていました
こんな感じで↓
LiefdeShip.jpg

というのは、複数の船と航海士で船団を構成することで、一度により多くの交易品を積載して航海を進めることが出来るし、もし海戦になったとしても、戦いをより有利に進めるなど多くの利点があります。また、仮に何隻かが沈没して、一隻しか戻れなくも、アジアの香辛料貿易はリスクを上回る利益が発生するのです

とにかく、アジアに行きさえすれば莫大な利益が発生する可能性があり、そこから日本に行って売買が成立する良い商品さえあれば、当時は銀が交換で得られます。

けれど、アジア貿易に関しては、イギリスは他の国からはずっと遅れた参入なのです orz

エリザベス1世はこうした状況を打破するために、スペインが幅を利かせている新大陸アメリカを避け、銀が獲得できる可能性の高い日本との交易が最重要だと考えたのではないか?・・・

ここで、エリザベスの視点で、ボクの勝手な推論をストーリー仕立てで書いてみました。
お題は「泪橋を逆に渡る」です。

◆エリザベス:「どうやらスペイン・ポルトガルのカトリックの連中が、日本人を奴隷として売りとばしたおかげで、「伴天連追放令」とやらで追い出されようとしてるみたいね。でも、私たちはキリスト教でもプロテスタントだし、こっちでカトリックとケンカしているしね。敵の敵は味方よ。きっと日本人もそう思うわ。でも、さすがに手ぶらじゃ無理よね~。あちらの王様にお土産が必要ね。何がイイかしら…日本人が今一番欲しそうなモノ」

●家臣1:「陛下、日本はいま戦国の世らしいですが・・・」

◆エリザベス:「あら、それならウチで作っている良い武器があるじゃない!『この武器で、あなたたち日本人が嫌いなスペインの無敵艦隊てやつを、この前ウチがこれでやっつけましたのよ、ホホホ』みたいな宣伝が出来そうよ。アレなら結構な利益が出るわね。武器って今ウチの在庫に何がある?」

●家臣2:「鉄砲と大砲はかなり。それに鉄砲の弾をはじく甲冑なんかどうでしょうか?」

◆エリザベス:「いい考えだわ。じゃあ決まりね。それにどうやらプロテスタントの国はまだ日本とは交易していないみたいね。出来ればウチが一番乗りで独占契約しておきたいわ。…でも、どうやって日本まで行けばいいの?誰か行き方知っている人、いないの?」

●家臣3:「陛下、それなら私めに良い案があります。水先案内人として慣れているとはいえ、さすがに敵のカトリック国の連中は無理です。けれど、同じプロテスタントでスペインから独立宣言したばかりですが、案内人はオランダから探すのはどうでしょうか?あいつら、まだ日本までではないですが、最近インドネシアまで香辛料を取りに行っているようです。奴らなら金次第できっと引き受けてくれるハズです。ドーバー海峡を挟んでウチとも結構近いし、すぐに連絡が取れますので、以前あなた様が袖になさり続けてたフェリペ様に気付かれないよう、密偵を放ちます。フェリペ様はもう70を超えられて耄碌されているとか噂です。そして、オランダから出航したとすれば、誰もイングランドの交易のためだとは気付きますまい。さすれば日本と交易独占交渉も秘密裏に行えます。そうそう、アルマダの海戦の時に見つけた、ウチの若いので、腕利きの航海士がおります。オランダ人とも仲がいいと聞いてます。たしか、名はアダムスだったかと…こいつを探しにすぐに誰か遣わしましょう」

●家臣1:「これで女王様がヨーロッパとアジアを、奴ら(スペイン)に代わって手中に収める日も近いですな」

◆エリザベス:「よく言ったわ!ではすぐに支度を」

◎一同:「ははーっ」

・・・・と。

でもコレ、あながち推論ではないかもしれないことを示す資料が、国立国会図書館に残ってました。ロンドンの大英図書館にも。と、日光東照宮にも。

次回、お楽しみに~!

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<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 3
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 6
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 7
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9 - アントウェルペン編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 10 - オランダ独立(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11 - オランダ独立(2) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 12 - オランダ独立(3) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 13 - オランダ独立(4) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 14 - 寄り道イギリス編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 15 - 寄り道イギリス編(2) -
「ガリヴァー旅行記」に長崎が出てくるの、知ってました? イギリス編 外伝(1)
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 16 - アジアへ(1) -


<宗教改革編>
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -」

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出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 16 - アジアへ(1) -

前に「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 1」で、書いたように、16世紀のヨーロッパの食生活は現代の我々が想像する以上に貧しいもので、家畜の飼料がなくなる冬には、家畜を殺して保存した、その腐った肉を食べるしかなかったという時代でした。

「香辛料さえあれば、肉の保存ができて冬でも腐った肉を食わずに済むのになぁ~。でも、交易路にはオスマン・トルコがいるしなぁ~orz」 という感じでした。

これに加えて、服飾産業も現代と比べて、実はかなり貧しいものです

今回は、この「服飾産業」の事情という観点からの、怒涛の展開です!

今の世界を見てみましょう。ほとんどの服は着やすい「綿製品」です。この綿製品が主流となるのは日本でもまだ後です。江戸時代までの日本ではその代わり、「麻」が主流でした

今のどっかの国の漫画オタク副首相の姓名が「麻が生える太郎さ」ですね。一族の由来がよくわかります。

ヨーロッパの人々が着ていたのは、綿製品が皆無だったこの時代にはほとんどが毛織物です。
農民の踊り1568
ピーテル・ブリューゲル「農民の踊り」1568年

ただ、13世紀には木綿と亜麻の交織のフスティアン織なども登場しているようですが、主流とはなっておりません。原料となる綿花があまりないからです。この綿花については、のちにイギリス関連で必ず扱いますのでぜひご記憶を。

毛織物の原料となる羊毛は、まずイギリスで羊を育て、この毛を刈って国外へ輸出されました。それを毛織物に加工したのがオランダ・ベルギーのフランドル地方でした

これより前の11世紀の中世にも、毛織物業を中心に商業とそれに伴う経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄したが、このフランドルです
低地もなんのそのです。
むしろ低地と平地の方が、開発が行われると水の便の利点を活かせます

山岳地帯で国際経済が発展するとは到底思えません。

船による往来が頻繁に出来るようになるというのは、交易が盛んに行われることを可能にする、ということと同義です。今でもヨーロッパ連合(EU)の玄関口は、やはりオランダのロッテルダムにある、通称「ユーロポート(ヨーロッパの港の意味)」です。コンテナがずらりと並ぶ光景は圧巻でさえあります。

ユーロポート
ロッテルダム ユーロポート

日本でも「江戸」が大都市になったのも地形的な利点を交易で活かせるからです。

東京に行けば分かるように、大規模な水運がこの都市を作り上げたことがよく理解できます。ちなみに、江戸は「穢土(エド=けがれた土地)」と呼ばれていた、という説もあるくらい、大坂(おおざか)や京都に中心が置かれていた時代からすると未開発の土地あり、沼地でした。豊臣秀吉の天下統一の際に、脅威となる徳川家康を「穢土」に追いやった、という説もありますが全く定かではありません。

とにかく、秀吉の天下統一の年である1590年にこの辺りにいた後北条氏の北条氏政が、あの「小田原征伐」で秀吉に滅ぼされ、その旧領に封ぜられて開拓の命を受けたのが徳川家康でした。その後、沼地の開発が進んで、江戸は当時の世界でも有数な大発展を遂げています。

オランダ・ベルギー=ネーデルラント(「低地」の意でした)も同様でした。中世フランドルの都市で商業が発展した都市として有名なのは、ブリュージュ、ガン、イープル。近世になると、アントウェルペン(アントワープ)、ブリュッセルが台頭します。「フランダースの犬」の舞台がアントウェルペンでしたね。(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9  - アントウェルペン編(1) -」 参照)


また、都市が経済的に豊かであるということは、文化が必ず発展します
音楽で「フランドル楽派」、そして絵画で「フランドル画派」が現れます。
ファン・エイク兄弟が確立した油彩画の技法がなければイタリア・ルネサンスもありません。また、トップにも載せた農民を生き生きと描いているブリューゲルもいます。ブリューゲルが描いた有名な作品は他にもみなさんも見たことありますよ(たぶん)。
  ハイ、コレ ↓
Pieter_Bruegel_the_Elder_-_The_Tower_of_Babel_(Vienna)1563.jpg
ピーテル・ブリューゲル「バベルの塔」1563年

以前にも触れましたが、バロック期にかけては、アントワープ大聖堂でネロが最期に見た絵画「キリスト昇架」を描いたルーベンスもフランドル画派でした。

と、毛織物の話に戻しましょう。

初めはイギリスでは高度な毛織物製品を作る技術がないので、原料を供給するだけでしたが、次第に金が貯まってくると、その資本によってイギリスでも毛織物業が始まります。そして、このフランドルと毛織物製品で競うようになるのです。

当時、フランス王の臣下の立場にあったフランドル伯が、こうした情勢下で競合するイギリス商人に圧力をかけてきたことがあって、これに反発したイギリスは「あーもう、面倒だからフランドルを直接支配下におこうぜ」となって、英・仏両国は戦争に発展しまず。

これを「百年戦争」と言います
百年も…。イギリスとフランスは後にも第2回戦の百年戦争をやっています。今でも仲が悪い訳です

この戦争初期に、イギリスとフランスの間の最も狭まったドーバー海峡にあるフランスの「カレー」という交易の要衝の地を寄こせと、1337年にイングランド王:エドワード3世が挑戦状をたたきつけ、後にここを占領します。そして、フランドルを輸出羊毛指定市場として商人組合に羊毛の輸出の独占権を勝手に与え、更には関税を徴収します。

百年戦争時
引用:世界の歴史まっぷ
カレーは上の方にありますので、チェックしておきましょう。

事の顛末(てんまつ)はいずれフランス編かイギリス編にて詳しく書きますが、この戦争後期に、劣勢だったフランスを救ったのがオルレアンのDQN少女「ジャンヌ・ダルク」です
ジャンヌ・ダルク
ドミニク・アングル「シャルル7世戴冠式のジャンヌ・ダルク」1854年(ルーヴル美術館・パリ)

ジャンヌ・ダルクが散歩していると、大天使ミカエル、アレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリタなどが現れます。そして、彼らが、「お前、イングランド軍をやっつけて、王太子をランスへと連れて行って、フランス王位に就かせななさい」という「声」を聞いた、というエピソードから始まります。はじめて聞いたのが12歳らしいです。そして、のちにこの通りに実行したいわゆるDQNさんなのですが、田舎娘に戦争での指揮を執るほどの戦略や経験値が備わっていたとはミジンコほども思われませんので、このエピソードはウソ・・・でなく、不明なのです。ただ、実際に劣性をひっくり返したのは歴史で語られている通りではあります…。

けれども、ジャンヌ・ダルクはシャルル7世にパリの解放を指示されますが失敗します。1430年にはコンピエーニュ包囲戦でケガを負って捕虜になり、イングランド兵に強姦されまくった上に、「お前、異端者だから死刑ね」ということで、1431年5月30日に火刑に処されてしまいました。19歳の少女であろうが容赦しません。その後ジャンヌ・ダルクは、死去して25年後に、ローマ教皇カリストゥス3世の命令で復権裁判が行われ、無実となって殉教が宣言されました。また、1909年に列福され、更に1920年には列聖されていて、フランスの守護聖人の一人となっています。

ですから、話がウソっぽくあろうがなかろうが、
このような聖人に向かって、DQNなどと失礼なことを軽々しく口走ってはいけません

ヘルマン・スティルケが1843年に描いた『火刑台のジャンヌ・ダルク』(エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク)。
ヘルマン・スティルケ「火刑台のジャンヌ・ダルク」1843年(エルミタージュ美術館・サンクトペテルブルク)

百年戦争は結局フランスが勝利し、イングランドはここから撤退します。この戦争後、イングランドでは例の「薔薇(ばら)戦争」が起こってウチでも諸侯はズタボロに疲弊しますが、この事態を収拾して、テューダー朝を開いたのがヘンリ7世でした(梅毒王ヘンリ8世の父の)(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 14 - 寄り道イギリス編(1) -」参照)

このように、百年戦争でイングランドは対岸の貿易港カレーをとるのが目的でした。ここはドーバー海峡の北海の出口に面しており、ドーバー海峡の幅が最も狭い所にあるため、貿易が楽に行えるということで、長年の貿易を支えてきた重要な都市だったからです。

ここさえ獲れば!イングランドが毛織物産業で大儲けできるハズ、だったんですがそうはいきませんでした世の中そんなに甘くはありません(人生訓)。

オランダ・ベルギー近辺のネーデルラントは毛織物製品の生産能力が高い技術を持っているからこそ、ヨーロッパの最先端地域だったのです

しかし、悲しいかな神聖ローマ帝国の一部であり、独立国ではありません…。

初めはフランク王国の一部であり、神聖ローマ帝国に組み込まれ、この当時はカトリックのスペイン王国の支配を受け続けます。
 
毛織物は非常に寒い冬が訪れるヨーロッパの人にとっては、衣食住の必須アイテムの一つです。だから、戦争中であっても、オランダの毛織物製品はスペインにも売られていましたし、何とオランダ独立戦争のさ中にもスペインと交易してるくらいです(禁止令が出たのですが、コッソリ)。

いわゆる「新大陸:アメリカ」にも、スペインが支配後には毛織物は輸出されました。輸出する、ということは「経済活動」です
当然マヤ・アステカ帝国などから収奪してきた金・銀が、今度はヨーロッパで毛織物の代金として支払われて、オランダに渡ります
そもそもオランダ自体は金・銀がとれないのですが、この毛織物貿易によって都市が潤うようになっていくのです

さて、こっからです

この金や銀がなかった時代。オランダは香料諸島(モルッカ諸島)へ行っても高価な香辛料と交換する財がありません。しかも、東南アジアに自国製品である毛織物を売って、香辛料を手にしようとしてもムダです。赤道直下で暑いから、南の国の誰もそんなクソ暑い毛織物製品を買う訳がありません(通気性最悪だし)。

香料諸島
                              香料諸島(モルッカ諸島)はココ↑

つまり、「供給(毛織物を販売)」したくても「需要(めっちゃ毛織物欲しい人)」が現地では皆無だということです

「だけど、冬でも肉を美味しく食べたいなぁ…」

これは肉食のヨーロッパ人にとっては切実な願いです。東南アジアの香辛料に超プレミアがついていたことは以前にも書きました。
しかし、オランダは毛織物をバンバン作って、スペインなどに売り、対価として金・銀を大量に獲得して蓄積が出来るようになると、それを持ってよ~やく念願の香辛料を求めに行ける訳です(;д;)。

ポルトガルが支配していたインドネシアの香料諸島は、こうして次第にオランダに支配が移っていくのです。

でも・・・なぜ、ポルトガル人がいなくなったと思います?こんなに儲かるハズ なのに

同じイベリア半島にあるポルトガルとスペインは、いわゆる「大航海時代」では交易圏の拡大を競ってきました。
トルデシリャス条約
スペインとポルトガルでまんじゅう(地球)を二つに分けるの図

しかし、16世紀の後半に入ると、ポルトガルの衰退が徐々に始まります。すると、スペインがその併合の機会をうかがううようになります。

不運にもポルトガル王朝は断絶し、これをきっかけとして1580年、あのスペイン王のフェリペ2世が軍隊を派遣し、ポルトガル王位を継承して、この国をスペインに組み込みました。また、ポルトガルを支配したばかりではなく、ポルトガルの海外領土も手に入れることになるので、そのフェリペの領土は地球規模となり、まさにこれをもって「太陽の沈まない帝国」となったのです。地球をまんじゅうのように真っ二つに割って分けていた時代はもう遠い話です。(※「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 3 参照)

また、カトリックであるスペインは自国と同じようにポルトガルでもユダヤ教徒追放令を出します

このユダヤ人らは、当時プロテスタントが独立運動をやっていたネーデルラントのアムステルダムに移住しました。しかも、このユダヤ人の中にはダイヤモンドを加工する職人などもいて、このユダヤ人の移住を機にアムステルダムの商工業が発展し、毛織物からだけでなく、商工業からの資本も蓄えられる、という富のスパイラルがオランダに訪れます

ここで、またフェリペはオランダの独立運動を妨害するために、オランダの商業船が元ポルトガルの港:リスボンへ入ってくることを禁止。そのため、かえってアムステルダムのオランダ商人が独自で海外に進出していくきっかけを与えることにもなってしまいました

後世の我々から見ると、ですが・・・この時のスペインの政策が宗教抜きに商売に徹したものであったら、今頃アメリカの一強でなく、スペイン一強だったのではないか?と想像してしまいます。

このようにして、カトリックとプロテスタント、更にはユダヤ教という宗教対立と独立戦争によって、スペインの事情からポルトガルは国として消滅していくのです。

ポルトガル人がいなくなったアジア交易に、チャーンス!!とばかりに、オランダ商人がどんどん参入してきた理由、とポルトガルがいなくなった理由はこのようなものでした。

ただし、オランダ人が多数で押しかけてきた、ということは、経済原理的にここで「市場競争」が生まれるということを意味します

つまり、多数の商人たちの「自由競争」になるので、香辛料を仕入れる価格が更に高騰してしまうということです

でも逆に、買った香辛料をヨーロッパに大量に持って行って、大量に香辛料を販売しようとすると、今度は「市場原理」からして販売価格は下がることになります

「高くで買って、安くで売る」。これは商売人的にはバカです。

さすがにこれでは、「はるばるアジアまでやって来きて買付けたのに、思うほど利益でないじゃん」、ということで、どうにか利益が出る方法を捻出するのです。

それは、商人らの複数の会社を束ねて一社にしてしまい、競争原理を排除して利益を根こそぎ独占しようするシステムです

途方もなくアジアで利益を独占した会社…
その名は「オランダ東インド会社」
(Vereenigde Oostindische Compagnie)

VOC、誕生です。

「染付芙蓉手大皿」江戸時代 伊万里焼
「染付芙蓉手大皿」江戸時代 伊万里焼
高さ6.4cm 径39.5cm 神戸市立博物館所蔵

次回は、長崎とも大変縁がある、このオランダ東インド会社について詳しく書きます!
お楽しみに~!


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<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
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出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 15 - 寄り道イギリス編(2) -
「ガリヴァー旅行記」に長崎が出てくるの、知ってました? イギリス編 外伝(1)

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「ガリヴァー旅行記」に長崎が出てくるの、知ってました? イギリス編 外伝(1)

ガリヴァー旅行記。
ガリヴァ旅行記

日本人なら誰しも小学生までに読んだことのある絵本であり、最もよく知られた物語のひとつでしょう。

ただ、この文芸作品は、全部を読んだ人でないと気づかないことがたくさん出てきます。

実在の国をガリヴァーは訪れています。それが「日本」。

で、何と、「ナガサキ」が登場するのです!


ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説によれば、ガリヴァー旅行記はこうなっています。

ガリバー旅行記
Travels into Several Remote Nations of the World..., by Lemuel Gulliver; Gulliver's Travels

イギリスの作家ジョナサン・スウィフトの風刺物語。 1726年刊。4部に分れ、第1部ではガリバーが漂着した小人国リリパットについて語り、小さいくせにいばりくさっている皇帝や国内の騒動を通してイギリスの政党対立を風刺する。第2部は巨人国ブロブディンナグ、第3部は空飛ぶ島ラピュータの物語。後者では、当時盛んであった自然科学研究の行過ぎや思弁にふける学者への風刺がある。作者の感情がいちばん激しく表わされていると思われる第4部では、理性的生物の馬フィナムに対比して、不潔で悪臭を放つ最下等の獣ヤフーが人間を表わし、作者の徹底的な人間嫌悪を示している。しかし、フィナムは理性万能の精神を表わすものとして、ヤフーと同様に風刺の対象になっているとも思われる。深刻な人間風刺として、また楽しい冒険的旅行記として、子供にもおとなにも愛読される、近代小説史の発端を飾る特異な作品である。



絵本で読んだ人は、小人の国:リリッパットの話だけしか知らないのではないでしょうか?

小人とは真逆の巨人の国に行って「お前、めっちゃ肌キレイやん!」と、ガリヴァーは可愛がられたりもします。
また、馬が人間(ここでは「ヤフー」と呼ばれてます)を家畜にしている国もあります。ある意味「猿の惑星」を彷彿とさせますね。

そして、第3部の「空飛ぶ鳥ラピュータ」から着想を得て、宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」が創られました。
ラピュタ

ナガサキ」が登場するのは次のようなくだりです。少し長めですが引用してみましょう。

「私は遠い遠い世界の果で難船したオランダの商人ですが、それからとにかく、どうにかラグナグ国までやって来ました。それからさらに船に乗って、今この日本にやって来たところです。つまり,日本とオランダとは貿易をしていることを知っていたので、その便をかりて私はヨーロッパへ帰りたいと思っているのです。そんな次第ですから、どうか、ナンガサク(長崎)まで無事に送りとどけていただきたいのです。」
 と答えてやりました。それから私はつけ加えて、
「それから、もう一つお願いがございます。どうか、あの十字架踏みの儀式だけは、私にはかんべんしていただきたいのです。私は貿易のため日本へ来たのではなく、ただ、たまたま災難からこの国へたどりついたのですから。」
 と、お願いしました。
 ところが、これを陛下に通訳が申し上げると、陛下はちょっと驚いた様子でした。それから、こう言われました。
「オランダ人で踏絵をしたがらないのは、その方がはじめてなのだ。してみると、その方はほんとうにオランダ人かどうか怪しくなってくる。これはどうもほんとうのクリスト信者ではないかと思えるのだがなあ。」
 しかし、とにかく、私の願いは許されることになりました。役人たちは、私が踏絵をしなくても、黙って知らない顔をしているように命令されました。
 ちょうどそのとき、ナンガサクまで行く一隊があったので、その指揮官に、私を無事にナンガサクまでつれて行くよう、命令されました。
 一七〇九年六月九日、長い旅のあげく、ようやくナンガサクに着きました。私はすぐそこで、『アンポニア号』という船の、オランダ人の水夫たちと知り合いになりました。前に私はオランダに長らくいたことがあるので、オランダ語はらくに話せます。私は船長に、船賃はいくらでも出すから、オランダまで乗せて行ってほしいと頼みました。船長は、私が医者の心得があるのを知ると、では途中、船医の仕事をしてくれるなら、船賃は半分でいいと言いました。
 船に乗る前には、踏絵の儀式をしなければならないのでしたが、役人たちは、私だけ見のがしてくれました。
 さて、今度の航海では別に変ったことも起りませんでした。四月十日に船は無事アムステルダムに着きました。私はここから、さらに小さい船に乗って、イギリスに向いました」



…と、こんな感じです。

1709年という年に長崎へ、あの「ガリヴァー」がやって来ていたのです。みなさん、知ってました?

18世紀前半の設定で「踏絵」も話が出てきます

筆者のスウィフトの生涯は、1667年11月30~1745年10月19日なんで、77歳まで生きましたから、当時としては結構な長生きですね。
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ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)■イングランド系アイルランド人の諷刺作家・随筆家

この「ガリヴァー旅行記」からは、当時の強烈な政治風刺が読み取れます

文芸作品だから、歴史的な価値はない、とする意見もありますが、そんなことはありません。
実はコレ、かなり貴重な資料となっているのです。

「フィクション(いわゆる小説)は事実を描くものではない。真実を描くものである」

これが世界文芸の常識です。文筆の力でこの世に現れていない真実を炙り出すという。

これに対して、日本の小説事情は特殊でした。

いつかこのブログでも明治にさかのぼって話をすることがあるとは思いますが、純文学が広まった日本では、「小説は事実を描くものである」という観念が広がっていきます。
尾崎紅葉が没したことを契機に、自然主義文学が隆盛していき、世界の小説にはない「私小説」という、自然主義文学から派生した流れが押し寄せてくるのです。田山花袋の「蒲団」がその始まりでした。

このような意外なところに、ひっそりと歴史の真実が転がっているのかもしれませんね

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<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 3
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 6
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 7
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9 - アントウェルペン編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 10 - オランダ独立(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11 - オランダ独立(2) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 12 - オランダ独立(3) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 13 - オランダ独立(4) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 14 - 寄り道イギリス編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 15 - 寄り道イギリス編(2) -

<宗教改革編>
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -」

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出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 15 - 寄り道イギリス編(2) -

オランダからイギリスへの寄り道の続きです。

ブラッディ・メアリのあとを継いだエリザベス1世ですが、ソッコーで「国王至上法」を施行します。
これは、「イングランド国内では、私こそが政治と宗教では至高の存在よ」、という趣旨の法律です

こうやって先王メアリのカトリック政策をちゃぶ台返ししてしまいました
ちゃぶ台返しがわからない方のために、イメージ図を載せておきましょう
    ↓
ちゃぶ台返し
※繰り返しますが、画像は単なるイメージです。
ちなみに、コレは、映画「自虐の詩」(尊敬する業田良家 原作)より、パンチパーマの阿部寛のちゃぶ台返しの図。

しかし、前回書いたように、あのメアリの後ですから、反動がMAXで、国民はそれでも大賛成です。

ということで、逆にバチカンの教皇庁からは「お前もか、エリザベス?なら破門じゃー!!」と、あっさり破門されてしまいます

また、ブリテン島の上にいるスコットランドのメアリ・スチュアート女王も黙ってはいません
Mary_Queen_of_Scots_from_Hermitage.jpg
メアリー・ステュアート(Mary Stuart)
■1542年12月8日~1587年2月8日(グレゴリオ暦2月18日)

※同じメアリという名前がですが、血の雨を降らせたメアリ1世 ↓とは別の人物ですから注意しましょう。
ブラッディ

このスコットランド王メアリは、新女王エリザベスに対し「私こそイングランド王位継承権者だわよ」と、事あるごとに主張し、エリザベス廃位の陰謀を企てます

これも、すったもんだを繰り返した末に、メアリは捕えられてゆるい軟禁状態となります。
そして、「バビントン事件」というエリザベス暗殺の陰謀の企てに関与した証拠が出てきたので、裁判で有罪となって死刑が宣告されます。

エリザベスは初め、メアリの死刑執行の署名をしぶっていたのですが、結局メアリは処刑されました。

このスコットランド王処刑を知った、(エリザベスにしつこく言い寄っていて、フラれ続けた)スペイン王フェリペ2世は、(その腹いせに)、「イングランドを乗っ取ったるわ!」と、あの最強のオスマン・トルコを(ラッキーで)破った、例の「無敵艦隊」を派遣します。

これでイングランドとスペインが激突する、アルマダの海戦~、となったのです。
スペインは負けて「無敵」ではなくなりましたが…。これがイングランドとスペインが戦った顛末です。
(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11- オランダ独立(2)」参照)

それにしても、「太陽の沈まない帝国」を作ったスペイン・ハプスブルクは侮(あなど)れない存在です
アルマダ海戦では勝利したものの、フェリペ2世↓の脅威は去りませんでした。
フェリペ2

何とかしてこの状況を打破したいと考えたエリザベス1世は、次にどのような手に打って出たでしょうか?

この当時のヨーロッパ各国の、カトリックとプロテスタント勢力図を見比べるとよく分かります。
キリスト教_教派分布

引用:【キリスト教】16世紀のキリスト教

ちょうどこの頃、散々これまで書いてきたように、ヨーロッパではルター&カルヴァンなどの宗教改革が進んでいて、カトリック勢力との争いが頻発していました。
カトリック勢力の敵はプロテスタントです。「プロテスタント」という言葉自体が「(カトリックに)抵抗する」の意でした。しかもフランスやスイスなどにも、プロテスタントは勢力が広がりを見せています。

彼らプロテスタントの人たちとなら、この強大なスペイン・ハプスブルク家に対する共闘が出来る」、エリザベスはそう考えたのです。

同じプロテスタント国ならばカトリック国のスペインの敵で、教皇庁から「破門」されたエリザベスの同志になるはずです。
そこで、当時プロテスタントが広がりを見せていたフランスを支援します。(※「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 13 - オランダ独立(4) -」 参照)

フランスの時の王は名君アンリ4世です。
ちなみに、フランスには彼の名前がついた超名門高等学校があります。
King_Henry_IV_of_France.jpg
アンリ4世(Henri IV)
■1553年12月13日~1610年5月14日
■ブルボン朝初代フランス国王(在位:1589年8月2日~1610年5月14日)

まさにこの頃、フェリペの圧政からの独立を目指していた国がありました。エリザベスは当然その国を支援することになります

それが・・・・ネーデルラント。つまりオランダなのです

オランダを通じて俯瞰(ふかん)してきたヨーロッパの歴史が、平面からだんだん立体的になっていくのが感じられます

どうしてイギリス人であるウィリアム・アダムスが、ポルトガルやスペインの船でなく、オランダの船に乗っていたか、こうして考えるとよく理解出来ます

さて、そのウィリアム・アダムスですが、彼はオランダ船「デ・リーフデ号」に乗って、南アメリカの下、あの険しいマゼラン海峡を渡り、太平洋を航行して日本まで辿りつきました。
この航海は過酷を極めました。もとは5隻からなる船団でやって来ていたのですが、途中で仲間の船がスペインやポルトガルに拿捕されたり、寄港した先々で赤痢や壊血病が蔓延したり、インディオの襲撃でも次々と船員を失っていきます。ウィリアムの弟:トマスもこの時インディオに殺害されてしまいました。

こうして、オランダのロッテルダムから出航時には110人だった乗組員が、過酷な航海を経て日本に到着した時には24人になっていました…。

しかし、そうまでして彼らオランダ人が日本に来なくてはならなかった事情というのは一体何だったんでしょうか?

実はボク、この展開を見越して、以前のブログで既に書いています。

長きにわたる伏線を経て、よーやくここに因果関係が明らかになり、その答え(?)が完結しようとしています( ;∀;)

みなさん、このシリーズ↓ を読んで、ぜひその答えを推理してみてください!
「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 1
「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 2
「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 3
「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 4
「ポルトガル人はなぜ日本に来たの?」に答えられますか? 5 最終回 ‐グローバリズムの落とし穴‐

次回も、お楽しみに~!

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<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 3
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 5.5 ―科学と非科学の違いー
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 6
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 7
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 8
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 9 - アントウェルペン編(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 10 - オランダ独立(1) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 11 - オランダ独立(2) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 12 - オランダ独立(3) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 13 - オランダ独立(4) -
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 14 - 寄り道イギリス編(1) -


<宗教改革編>
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 1 - 宗教改革(1) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 4 - 宗教改革(4)前編最終回 -」

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出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 14 - 寄り道イギリス編(1) -

現在イギリスと一括りに言いますが、もう少し複雑です。

そもそも、いわゆる「イギリス」の正式国名、覚えていらっしゃいますか?

「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」

長っ!とボクも小学校の頃に思いましたし、誰しも幼心にも思うことでしょう。なにせ、我が国は漢字で書くと二文字の「日本」ですから。

ちなみに、左隣の島「南部アイルランド」は「アイルランド共和国」で、カトリックが主流の国です

まず地図で位置関係をおさらいしておきましょう。

ukmap1013.jpg

サッカーの大会にはイングランド代表、スコットランド代表、ウェールズ代表など、グレートブリテン島から3チーム出てきます。

つい2014年のことですが、スコットランドはイギリスから独立する、と言ってきました。
「イングランドのやつらが、北海油田の利権独占したり、南部のロンドンに一極集中し過ぎだろ!」と不満を叩きつけ、この話が出てきたのです。
時のイギリス首相はトニ・ブレア。彼もまたスコットランド出身です。

住民投票は、単独での行政や防衛などリアルな線で考えていくと、「まだ無理だろ」という反対派が55.3%の票を獲得し、独立だという賛成票は44.7%となりました。途中までは案外競ったんですが、結局は独立しませんでした

しかし、この対立は今に始まったことではありません

対岸のフランスとハプスブルク家(神聖ローマ帝国とスペイン王国)が争っていた15世紀後半から16世紀初頭には、イングランドのヘンリ7世という王様が、背後にいるスコットランドの奴らをけん制しながら、「あいつらウチに攻めてこないだろうな」、とヒヤヒヤしながらイタリア戦争を見守っているというような状況であったくらいです。

Henry_Seven_England.jpg
ヘンリ7世(Henry VII)
■1457年1月28日~1509年4月21日

この王が即位したのは、薔薇(ばら)戦争による国内の混乱を解決したからでした。
赤ばらのバッジを目印にしたランカスター家、白バラのバッジを目印にしたヨーク家、という内乱だったのでそう呼ばれました。結果、赤ばらが勝って、ランカスター家の女系のテューダー家からの王が即位します。それがこのヘンリ7世です。

いずれ大英帝国を築いていくテューダー朝の成立です

ここでヘンリ7世は24年間もの長きにわたって王位につきました。
主の権力も回復、政治を安定させ、優れた統治と積極的な外交政策と経済運営を行ったので名君と言われています。

この段階ではまだイングランドはカトリックです

このヘンリ7世のあとを継いだのが、次男ヘンリ8世です↓
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似ているからまたビッグバン・ベイダーと間違えました。ヘンリ8世です↓
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ヘンリ8世(Henry VIII)
■1491年6月28日~1547年1月28日

ドーバー海峡を隔てた島国であり、あまりイタリア戦争の際には戦火を交えなかったのですが、それでも例のカール5世とフランソワ1世のイタリアを巡る争いに振り回されます。
つまり、都合の良い時だけ「平和の調停者」みたいに本人もしゃしゃり出てくるものですから、その時々で都合よく彼ら手練れからコキ使われるんです

また、敬虔なカトリック教徒でもあったヘンリ8世は、1521年にルターをボロカス批判します

これで、バチカンの教皇庁から、「君、何かイイね。カトリックの鏡だよ。今後君のことを『信仰擁護者』と呼ぼう」と、称号をもらうのです。

称号…こんな名誉なものを、それも当時のキリスト教のトップの権威からいただけるという。ヘンリはどれほど嬉しかったことか。

ボクなどは日頃「バカじゃない?」、「物忘れ王」、「無謀」という称号しかもらってません
それは称号ではなく、ただの罵りじゃね?と聞こえたような気がしますが、まあいいでしょう。
いつの日か見返してやろうと企んでいます(*`皿´*)

さて、こんな称号までくれたバチカンでしたが、のちにヘンリ8世はヘーキでそんなバチカンを裏切ってしまいます

まず、ヘンリ8世の遍歴なんですが、

1509年に10歳で結婚します。キャサリン・オブ・アラゴンという姉さん女房。
  ↓
で、ソッコーで多数の愛人を持ちます。
  ↓
王位に慣れてくると、父のヘンリ7世の代以前からの重臣を逮捕、処刑を繰り返す。


側近を逮捕・処刑しまくるとは…まるで、どっかの隣国の黒電話を見ているかのような粛清ぶりです。
black telephone2
※画像は単なるイメージです。

こんなヘンリ8世が「平和の調停者」というのもタチの悪いブラック・ジョークです

このようにして、国王の権威を利用して女性に手当たり次第手を付けまわるものですから、どっかから梅毒をもらってきてまき散らしまくります

しかし、カトリックは一夫一婦制の宗派なので、ヘンリの無謀な振る舞いを耳にした教皇庁としては、さすがに黙っていられません。
なにせこれほどカトリックの信仰を踏みにじっているのに、「信仰擁護者(笑)」じゃねえか、と


「あいつのどこが信仰擁護者だー!」と、突っ込まれるたら、ただでさえ宗教改革で信者が減っているというのに、カトリックの敬虔な信者達に対してもメンツが丸つぶれです。

一応、1527年にヘンリは離婚を申請しますが、姉さん女房であった王妃キャサリン・オブ・アラゴンの甥が、カトリック最強国で神聖ローマ帝国&スペイン王、あのカール5世 ↓ なのです。
1024px-Emperor_charles_v.png

さすがにこれでは怖くて離婚もままなりません・・・とはならず、ヘンリは執念の果てに1533年、王妃キャサリンと婚約無効を宣言して、愛人で可愛いアン・ブーリンと秘密結婚をしてしまいます。

いちよ、キャサリン(左)とアン・ブーリン(右)を比較しておきましょう・・・。
catherine ann

・・・まさか、ですが、みなさんは「ヘンリの気持ちがわかるわwww」なんて一瞬たりとも、かつ微塵にも思ってませんよね?

ところで、「婚約無効」て、何かおかしいと思いませんか?なぜ、「結婚無効」でないのかと
これは離婚となれば問題なので、過去の婚約した時点にさかのぼって、「そこ無効ね」と詭弁(屁理屈)を弄(ろう)したのです

こうして(未だに『紳士の国』と言い張っている)イングランドはカトリックの国から、一人の王の性癖の悪さによって、瞬く間にプロテスタント国になっていくのです。ヨーロッパ本土の、ある意味真面目な宗教騒動とは大違いです。

これでもし神聖ローマ帝国などから攻められてたら、当時弱小国だったイングランドは間違いなくタコ殴りにされていたハズです。まあ、国内のカトリックの人達は大混乱でしょうけどね。

もう一度出しておきましょう。こいつです↓
427px-Hans_Holbein,_the_Younger,_Around_1497-1543_-_Portrait_of_Henry_VIII_of_England_-_Google_Art_Project
ふう。今度は画像間違えませんでした。

こうした一人の王の、極めて不純な動機でカトリックを裏切り、イングランドはプロテスタントになっていきます。
このようにして出来たのが、ザックリ言えば今に至るプロテスタントの「イングランド国教会」です
ただ、この段階でまだ儀礼はカトリックのままだった、というのがガチで入試に出る情報です。

オランダ編なんで詳しいことは避けますが、このヘンリのしばらくあと、国王となったのがヘンリの梅毒を産まれる前から感染(うつ)されて、15歳で夭逝(ようせい)したイケメン王子エドワード6世です。
311px-Edward_VI_Scrots_c1550.jpg

母親はヘンリの3番目の妃であるジェーン・シーモアです。

エドワードがあまりに可哀そう過ぎて、「トム・ソーヤの冒険」でおなじみアメリカの作家:マーク・トウェインの小説「王子と乞食」の主人公となります

この小説を読んだ方はお分かりでしょうが、王子と乞食少年が服を交換して立場を入れ替わり、異なる視点で世情を見るという体裁ですが、つまりは、この16世紀のイングランドをディスりまくった小説でした

そして、様々な策謀渦巻く後継者争いの末に即位したのが、・・・・(血まみれの)メアリ1世(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル ↓
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メアリー1世 アントニス・モル画  1554年
メアリー1世(Mary I of England)
■1516年2月18日~1558年11月17日

手に持ってる赤いバラの花の、元の色は白だったんじゃないかな…。更に特殊能力者のボクがこの絵を見ると、心なしか牙が2本口から出ているのが見えるような・・・。

メアリはイングランド初の女王です。
彼女はガチガチのカトリックでスペイン王フェリペ2世と結婚し、イングランドにまたカトリックが復活します

メアリは徹底的にプロテスタントを弾圧し、異端禁止法を作って異端者を火であぶりまくります
この残虐な振る舞いから、彼女は「ブラッディ・メアリ」とあだ名がつきました。
ウォッカベースのトマトカクテルの名前になっていますね。ボクも家でたまに作って飲みます。
そして、この「血のメアリ」。多くの無辜(むこ)の民が火あぶりの刑にされている様を思い浮かべながらだと、このカクテルの味わいもまた格別増します

そして、この後に登場するのが、ヘンリ8世の離婚問題のきっかけとなった、愛人アン・ブーリンの娘、エリザベス1世です。

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エリザベス1世( Elizabeth I)
■ユリウス暦1533年9月7日~グレゴリオ暦1603年4月3日(ユリウス暦1602/3年3月24日)

今のイギリス女王はエリザベス2世ですが、まるで関係ありません。
エリザベスの代でテューダー朝は断絶し、今のウインザー朝の系譜はドイツ系だからです。昔は「ハノーヴァー朝」とドイツっぽい名前だったんですけどね。
第1次世界大戦の時に「敵国の奴らの血を、ウチの王様が引いているってコレ、よそにバレたら、ヤヴァす:(;゙゚'ω゚'):」。ってことで、イギリスっぽい名前にこっそりしてしまいましたが、もちろんバレバレです。

エリザベスが愛人アン・ブーリンの娘で、前王メアリは元の妃であるバリバリのカトリック信者キャサリンの娘です。

当然の如く、母親を無下にされた(強引に離婚させられた)恨みをメアリは、まるで無関係のエリザベスに向けます。処刑にはされなかった(奇跡的にも)ですが、エリザベスはロンドン塔に幽閉されるなどの仕打ちを受けるのです

この性根悪女のあとに王位についたのがエリザベス1世です。国民はきっと万歳三唱で迎えたことでしょう!あのク〇女がやっと逝きやがったぜ、と。

エリザベスだけでブログが4本くらい書けるのですが、止めておきます。(-_-;)
でも面白いのでいつか必ず書きます。

このエリザベスの時代に、あのカトリック信仰の憎き残虐女・血まみれのメアリ1世が戻したカトリックを再度放棄します

そして、教義がカトリック的であった部分も排除し、イングランド国教が確立します。

この中にはカルヴァン派の純粋なプロテスタントを目指した改革派も現れます。
「純粋」を英語で何と言うでしょう?pure(ピュア) です
つまり、これがイングランドのカルヴァン派の呼び名:「ピューリタン(ピュアな人)」なのです。もっとも、「ピュア」ですから、「バカ正直」の意味でディスり的に使われていましたが、いつしか自分たちからも「ピューリタン」というようになりました(「歴史に名を残す法則1」発動です。詳細は、「出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 4」 へドウゾ)。

のちにアメリカに渡った人たちのピューリタンの一団が「ピルグリム・ファーザーズ」。
この人たちの末裔が今のアメリカ人の基礎をなしています。だからアメリカは基本的にプロテスタントの国です。隣のメキシコはスペインが支配したので、今でもカトリックが主流です。

1600年、このエリザベス1世の時代にやって来たイギリス人が、(同じプロテスタント国)オランダ船:デ・リーフデ号事件で登場する、ウィリアム・アダムスです
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ウィリアム・アダムス(三浦按針)

この時の顛末は「鉄砲を伝えたのはポルトガル人ではない!? 5」 で詳しく書いたのでここでは省きますが、一般的に言われてるような「漂着」ではなく、ボクはエリザベス1世の何らかの意図を持って交易に来ているのではないかと考えています。

リーフデ号のいわゆる漂着後に幕府から相談を受けたカトリックのイエズス会士が、こいつら(プロテスタントのやつら)を「ぶっ殺せ!」と家康に進言したのに、逆に得体のしれないプロテスタントのやつらを重用しました。

何らかの意図が働かないとこの厚遇はありえないハズなのです

それは一体何なのか・・・?

次回、お楽しみに~!

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<オランダ編>
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 1
出島表門橋開通記念! みんなで学ぼう、オランダ 2
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「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 2 - 宗教改革(2) -」
「みんなで学ぼう、世界史としてのキリスト教 3 - 宗教改革(3) -」
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